大航海時代の冒険家は、長い船旅で出会った巨大な海洋生物を魔物のように描き、故郷に戻れば、その魔物との稀有な戦いを、きっとあった事なかった事を混ぜこぜにして、何が真実かなんてどうでもよく、ただ海の男の勇敢さが伝わる個性的な物語として、伝えようとした。
たぶん。
 
でも、大航海時代に描かれたイカのような?絵を見せながら語る、窪寺恒己氏は、冒険家というより、研究者の冷静な目を持ち、確かな言葉を選ぶ。
そこには熱いというより、穏やかな好奇心がある。
 
窪寺氏とダイオウイカとの付き合いは、約10年である。
ダイオウイカだけをずっと追いかけてきたわけではない。
北海道大学、オレゴン大学、東京国立科学博物館で、イカやタコを研究し、その延長線上にこの巨大なイカが現れた。
 
NHKで放送された「世界初撮影 深海の超巨大イカ」は、話題を呼んだ。
僕もこの番組を見たからこの講演にきたが、本日の聴講者ほとんどがこの番組を見ていた。
社会人が仕事を終えて、雨の丸の内に、イカの話を聞きに来ている。
思えば、不思議な光景で、なぜこんなに人が集まるのだろうか?
 
窪寺氏は、NHKで放映された映像と、放映されなかった映像を合わせて、この初撮影の大きな出来事を語った。
 
この番組は、NHK、Discovery Channel 、国立科学博物館が協力して、小笠原諸島 父島沖で、数ヶ月に渡り、ダイオウイカの姿を追いかけた番組である。
この大プロジェクトに集まったのは、窪寺氏のようなイカの専門家、イカをおびき寄せる知恵を持ったクラゲの生物発光の研究者たち。
最新LEDライトが応用された超高感度カメラ、二本の腕がグッと伸びるアクリル玉を乗せた近未来的なフォルムの潜水艇といった最高の機材群。
本当に見つかるか、撮影できるかわからない状況の中で、
人材と機材と、何とかして撮影したいという想いのかたまりを番組にぶつけたのである。
 
いざ深海へ。
 
海上に浮かぶ船とつながった小さな潜水艇は、より深い暗闇へゆっくりと沈んで行く。
 
透明度の高い小笠原の海は、水深500メートルのところでも、わずかながら太陽の光が届く。
聴講者からの「深海に長時間いるのは怖くなかったか?」という質問に、窪寺氏は「1回潜ったら、もう大丈夫だった」と答えた。
小さな恐怖はあっというまに好奇心に置き換わり、そして深海と一体となった。
窪寺氏が乗る最新鋭の機械も深海の一部となる。
 
目標地点にたどり着くと、撮影のために準備したあらゆるタイプのエサを撒き、静かにダイオウイカが出現するのを待つ。
窪寺氏は、ダイオウイカと闘うのではなく、静かに対話しようとしている。
 
しばらくの間、深海は、わずかな生物の声がするだけ。
すると突然、複数の足がカメラに向かってグニャッと伸びてきた。それは、暗闇の向こう側に立つ誰かが太い鞭を打ちつけたよう。
暗闇から現れるダイオウイカの大きく長い足の映像は、最高の見せ場であったが、会場に集まった人はとても静かに反応した。
次に、ダイオウイカがカメラを過ぎった時も、静かに反応した。
そして次も。
 
ダイオウイカは元々深海ではなく、太陽の暖かな光が届くもっと浅い海にいたらしい。浅い海に生きていたときの体の機能もわずかながら残している。
 
なぜ、わざわざ、太陽から遠く深い海を住処として選んだのだろうか?
いつ日の当たらない世界にいつのまにか紛れ込んでしまったのだろうか?
どうやって目の見えない世界で仲間と出会うのだろうか?
 
ダイオウイカは、深海で生きるために、目を見開き、体を大きくし、空から届く太陽の声を拾う。新しい生きる術を身につけ、わずかな影を頼りに、エサを探す。
真っ黒な世界で、濃い灰色を探す技術。
 
太陽の当たる世界は暖かく、生物が多様で、複雑で、カラフルな世界である。
深海はまるで宇宙のようで、何もなく、何かあるようにもみえず、シンプルな法則に支配されたように思える世界。
ダイオウイカという生物に視線を向けながら、同時にその取り巻く世界を感じ、余計なものを削ぎ落とされた時間と空間に入り込んでしまう映像であった。
そこにあるのは、驚きではなく、敬意のようなもの。
 
僕が小学生なら、「ダイオウイカ、凄い!!」という、その巨大さ、未知のパワー、恐れを伴った好奇心を話題の中心に置くだろう。
でも、大人はその世界に沈黙する。沈黙の中に生物を語る言葉をきっと探している。
 
講演で映像を改めて見て、ダイオウイカが巨大であることなんて、とても小さなことなのかも知れないと思ったのである。
 
これは思い込みかもしれませんが、丸の内でイカの話を聞く、ひとつの意味である。

 

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