2012年度後期 一覧

 おちまさとさんが講演最後に言った、「正解をきかせてもらった」という一言。この一言が、私が今回の講演を聞いて一番響いた言葉であった。

 角田光代さんは、さまざまな人物を小説で描いている。その彼ら、彼女らの行動が自然に描写されていることに、おちさんは感嘆し、どうすればそのような小説を書けるのか尋ねた。冒頭の一言は、この一連の話によって湧いてきた言葉だった。

 おちさんの質問に角田さんはこう答えた。「私は善人です。たとえば、電車で座っていて、目の前にお年寄りがたてば、席を譲ります。ただ、それと同時に、口で表せないほどのすっごい凶悪なことも考えています。本当にいろいろ考えています。それを正直に書いている。」その答えを受け取ったおちさんは、「正解をきかせてもらった」とつぶやいた。

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小説家って、すごい。
書き続けることって、すごい。

これが、講演が終わって、湧き上がってきた感想でした。
なぜそう思ったかについて、講演を振り返って心に残ったことを挙げながら考察していきたいと思います。

講演の中で、最も自分の心に残った部分は、小説を書き続ける上での「壁の乗り越え方」についての話です。

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放課後の教室で、「角田さん」が帰らずにひとり残ってないか、ずっとずっと待ち続けた「おちくん」は、その待ち続けた想いを整理できないまま、突然のチャンスがやって来た瞬間、ただ覚悟を決めて、思い切って話しかけた。

「最近どう?」

「おちくん」は、国語の時間に読まれた「角田さん」の作文を聞いて、震えた。震えが止まらなかった。
それは、まだ秋に差し掛かる前の季節だった。

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「僕が一番大切にしていることは、人に会うことです」
津田さんの言葉で私が最も響いた言葉。
「今日はこの一言を聞くためにここに来たのかもしれない」と想うほど、この一言は私の心を軽くしてくれた。やっぱりそうか。つながるためには会いにいけばいい。

 私はtwitter、mixiのアカウントは作ったものの、放置。しかしfacebookだけは1年半ほど続けてきた。この講演会を聞いた時期、私はfacebookに疲れきった状態だった。津田さんのお話を聞きそしてfacebookやメールなどのネットを使ってきて今、私が感じていることを正直にここに書いていく。私がfacebookを始めたきっかけは、独立した時に「セミナー展開していくならば、やった方がいいよ」というアドバイスだった。本当に軽い気持ちで始めた。

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「やばいなぁ、言っていることが難しい・・」
今回も講演を聴き終わったあと、聞こえてきた心のつぶやきは「危機感」でした。

それくらい、講演者の話す内容が難解でした。
「抽象的」な話を、「抽象的」に話される感じです。

今回の講演者は、70歳にして、まだ毎年のように著書の執筆や評論活動を続けておられる方で、政治思想史の重鎮と目される方。

第27代の東京大学総長も務めた方による、「学ぶこと」の考察です。

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1.はじめに

 自分はどのように『学ぶ』ということをとらえているのかということを考えてみたい。それが、夕学『大人が学ぶということ』の講演を聴きたいと思ったキッカケです。

 自分にとって『学ぶ』とは本講演のコトバも引用して表現すると『生きること』、人生そのものといっても過言ではないのかもしれません。生きているだけで、日々、様々なことを学んでいます。ここで強く思う事は『どう生きるか』は『どう学ぶか』で左右されるのではないかと考えています。自分自身が何を学ぶのかを選択することによって、その選択の積重ねが、自分自身を作るのではないかと考えます。

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「最上のわざ。この世の最上のわざは何?」
白髪の女性と2人で壇上に現れた、樹木希林さん。
何の前置きもなく、この詩を静かに語り始めました。

 ホイヴェルス神父という方の友人が書かれた詩。
「楽しい心で年をとり、働きたいけれども休み、しゃべりたいけれども黙り、失望しそうなときに希望し、従順に、平静に、おのれの十字架をになう・・・」
 そして、この日の講演のタイトル、『老いの重荷は神の賜物』は、このような形で出てきました。
「老いの重荷は神の賜物、古びた心に、これで最後のみがきをかける。
 まことのふるさとへ行くために。」

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東京大学出版会。
薄っすら映る「縦書き」の枠。
その枠を全く無視し、「横書き」に手書きで綴った、講演内容と本の引用ページ番号のメモ。

僕は、配られたこの資料を一見して、約20年前の、大学時代の、大講堂の、静かな講義の記憶に、引きずりこまれた。

坂野氏は、お歳のせいか、体調が悪いのか、やや聞こえにくい声で、講義はたんたんと始まった。
著書「日本近代史」(ちくま書房)という学校の教科書を思わせるタイトルの本を出版した著者は、正に、間違いなく、学校の講義のように、講演を始めた。


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悲しいということに対して私の中で何かが変わった。

住職の話す言葉はとても流暢にたんたんと話し始めた。
御経のような祝詞のような言葉が耳に「スーッ」と入ってくる。

今でもなお続いている3.11の傷あとは心に響くものがある。

そこに住む人たちは同じ土地でも人がいる場所・人がいない場所で極端に違う。

すぐそこの境目で起きたことだ。

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死者と出会う

私はその現実に対峙したことがあります。
命を持って生まれることができなかった息子を、この手に抱いたことがあります。
息子が死んでしまったこと、それでも私が生きていくこと、そのことを理解できない悲しみと苦しみは、今も私の心に残っています。

南さんは、
生きることは、自ら死に向かうこと、
生と死の時間は並行して流れていること、
問いがあっても、答えがないことがあること、
単純な答えを出してはいけなく、抱えたまま生きていかないといけないことがあること。
ただ、切なさと悲しみとともに、耐えて、生き続けていると、
「問いのほうから答えを出すことがある、そのことは確実に言うことができる。」
切なさと悲しみが与えてくれた問いに対して、死者が回答をする、と。

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夕学五十講

このサイトは、慶應丸の内シティキャンパス(慶應MCC)が主催する定例講演会『夕学五十講』を受講した方々による講演レポートを掲載しています。

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