「地表のフラクタル ~アリとヒトをつなぐもの~」(白澤健志さん/会社員/42歳/男性)

アリはひどく誤解されている。

まず、「アリ=働き者」という誤解。いや、もちろん多くのアリは多くの時間働いている。しかし働いていない時間もあるし、なかなか働かないアリもいる。
当たり前のことだが、我々がふつう目にするアリの姿は、地面を這いまわって餌を求める、まさに働いている最中のそれである。そのイメージがあるから、巣の中で働いている、あるいは働いていないアリの姿を正確に想像するのが難しい。その指摘を入り口に、長谷川先生はアリの世界へと私達を導いてくれた。

さて次なる誤解の元は、ほかならぬ、ベストセラーとなった先生の著書である。『働かないアリに意義がある』というそのタイトルだけを読んで、なるほど、アリにも怠け者がいるのだな、そして怠け者も正当化されるのだな、と思ってしまったとしても無理はない(アリがどっしり座って煙草を吹かしている表紙のイラストは、その誤解を助長するのに大いに役立っている)。

ここでも先生は正確にアリの姿を描き出す。働かないアリはいる。ただし、彼は働こうとしていないわけではない。働きたくても働けない、働く機会がないだけである。  

それはこういうことである。アリは外部の刺激に対して特定の反応をする。ただしどの程度の刺激があれば反応するか(閾値)は、一匹一匹の個体によって微妙に異なる。刺激に敏感な(閾値の低い)個体は、集団の中でも最初に反応を開始する(働き出す)。そのうち中程度に敏感な多数の個体が動き出す。刺激に鈍感な(閾値の高い)個体が反応しはじめるころには、対処が必要な仕事はもう終わっている可能性が高い。
そのような個体が「働かないアリ」の正体である。

 では、その「働かないアリ」に意義があるとはどういうことなのか。その問いへの答えを示す前に、先生はひとつの興味深い実験結果を紹介してくれた。
 アリの集団(コロニー)から、働かないアリだけを抽出して新たなコロニーをつくる。すると働かないアリの中から、必ず「働き者」のアリが出てくるというのである。逆に最初のコロニーから働き者のアリだけを集めても、その新しいコロニーには必ず「働かない」個体が現れる。いずれにしろ、偏った個体だけを集めたはずの新しいコロニーは、当初と同じような比率の「働くアリ」と「働かないアリ」の集団に落ち着く。

 話だけを聞くと不思議なこの結果も、閾値の個体差のメカニズムを先に知っていれば理解は容易い。即ち、同じ「働かない」アリの中でも個体差は必ずある。敏感な個体がいなくなったコロニーでは、残った鈍感な個体群の中で比較的敏感な個体が仕事をする余地が生まれる。そのような個体が、先ほどまでとはうって変って「働き者」としての活躍を見せるのである。

 集団の特徴的な一部を取りだしても、集団全体の特徴が再現される。そのようなフラクタル構造を持ったアリの社会が、この身近な地表に存在していることの驚き。その、目に見えないほどのわずかな個体差を精妙にデザインしたのが、神でないとすれば、それこそが自然の摂理に他ならない。

 では、「働かないアリ」が働くのはどんな時だろうか。
非常に大きな災難がコロニー全体を襲った場合、もちろん敏感な個体から順に、危機対応の任に着くことになる。しかしどんな個体も無限に働き続けることはできない。やがて個体は疲労を覚え、仕事を継続できなくなる。
 
その時、鈍感な個体が、ようやく危機対応の現場にやってくる。遅れて来た個体は、結果的に、先に来ていた個体の任務を引き継ぐ。そうしてコロニー全体としては危機への対応を中断することなく継続的に行うことが可能となる。そこに、「働かないアリ」の意義があるのである。

講演の後半、先生は専門外であると断りつつ、アリの社会を通して見えてきた人間の社会の姿についても言及された。その中の話題のひとつが「大きな物語の崩壊」であった。

かつて、サラリーマンが自らの生活向上と会社の成長を重ね合わせていた時代があった。会社の成長という大きな物語の中で、社員たちは自己犠牲も厭わず、会社という組織に自らを捧げていた。だがいまや大きな物語は崩壊してしまった。会社のため、というような言い方ではいまどきの若い社員はついてこない、と。

確かに、長谷川先生の言うように、会社の成長に自らを重ね合わせるような「大きな物語」は既に崩壊したかもしれない。
しかしこうは考えられないか。エコロジーの思想が世界に遍く広まりつつある今、人類は、地理的障壁を越え、世代間の断絶も越えて、地球レベルで「より大きな物語」を共有しつつあるのではないか。そしてそれこそが、その認識において、人類が進化を遂げつつあることの証左たりえないだろうか。

どんな生物も、自らの環境を自らの存続に不利となるように改変したりはしない。しかし近年の人類の歩みはその原理に反しているようにも見える。
人類もまた、他の生物と連続した生態系の一部であること。その、多様性を宿した生態系のフラクタルの中でしか、人類というコロニーは継続しえないこと。そのことを胸に刻み、自らのサバイバルではなく生態系全体のコンティニュイティを指向することが、人類に課せられたノブレス・オブリージュであろう。

忘れかけたら、足元を見ることにしよう。アリはいつでもそこにいてくれる。

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