<?xml version="1.0" encoding="utf-8"?>
<rss version="2.0">
   <channel>
      <title>慶應ＭＣＣ「夕学五十講」楽屋blog</title>
      <link>http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/</link>
      <description>慶應丸の内シティキャンパス定例講演会「夕学五十講」担当者がお届けするblogです。</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2008</copyright>
      <lastBuildDate>Wed, 16 Jul 2008 14:55:12 +0900</lastBuildDate>
      <generator>http://www.sixapart.com/movabletype/?v=3.35</generator>
      <docs>http://blogs.law.harvard.edu/tech/rss</docs> 

<image>
  <url>http://www.keiomcc.net/img/sekigaku_logo.png</url>
  <title>慶應ＭＣＣ「夕学五十講」楽屋blog</title>
  <link>http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/</link>
  <description>慶應丸の内シティキャンパス定例講演会「夕学五十講」担当者がお届けするblogです。</description>
  <width>144</width>
  <height>144</height>
</image>

            <item>
         <title>「緑の東京へ一丸で」　猪瀬直樹さん</title>
         <description>18:30東京着の新幹線を降り、駆けつけるように会場入りした猪瀬さん。
額には大粒の汗、夏カゼで鼻もぐずつかせながら、「何から話しましょうか」とつぶやいて、早速マイクに向かいました。
講演は、都庁で開催中の夕張観光物産展から始まりました。市価の約半額というお買得感もあって、夕張メロンが1日に400個売れるほどの盛況イベントだそうです。切り盛りしているのは、都庁から夕張市の応援派遣されている二人の職員です。
財政破綻した夕張市の苦境は深刻だそうです。人口はピークの十分の一の12,000人、借金総額350億円、市役所職員も次々と辞め、行政も滞りがち、東京、北海道はじめ全国から10名近い応援職員を受け入れ、なんとか苦難を乗り越えようとしているとか。

</description>
         <link>http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/2008/07/post_255.html</link>
         <guid>http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/2008/07/post_255.html</guid>
         <category>00100000現在の夕学五十講</category>
         <pubDate>Wed, 16 Jul 2008 14:55:12 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>武士の世の終わり　『海舟がみた幕末・維新』第11回 その２</title>
         <description>3月から続いてきた、半藤一利史観『海舟がみた幕末・維新』もついに最終回です。
思えば、黒船来航から西南戦争まで、幕末・明治、激動の四半世紀を一気に語り下ろしていただきました。
この講演をもとに、近々新潮社から本が出る予定ですので、皆さん乞うご期待。
また講演ＣＤ集も発売されることになっていますので、こちらもお楽しみに。

-----------------------------------------------------------

明治四年（1871年）7月14日、廃藩置県の詔勅が下り、封建体制から天皇中心の中央集権体制への変革がなされました。新政府は、大きな課題のひとつを片付けたことになります。
その年の11月には、岩倉具視を全権大使とする使節団が米欧に向けて出帆します。
世にいう岩倉米欧使節団です。
木戸、大久保、伊藤らの要人46名に加え、中江兆民や津田梅子など留学生を含む総勢100名超の大使節団でした。
その目的は、
１．幕末以降の条約締結各国への国書の奏呈
２．不平等条約改正に向けた下準備
３．各国の近代的制度・文物の調査研究
でしたが、条約改正交渉は、早々に認識不足が露呈して失敗に終わり、結果的に、西洋諸国を視察しながら、新たな国づくりの構想を巡らすことが主目的となりました。
米国から欧州を巡回する、実に1年10ヶ月に及ぶ長期間の旅でありました。

</description>
         <link>http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/2008/07/11_1.html</link>
         <guid>http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/2008/07/11_1.html</guid>
         <category>夕学プレミアム 「海舟がみた幕末・明治」</category>
         <pubDate>Sat, 12 Jul 2008 13:53:01 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>廃藩置県への道　『海舟がみた幕末・明治』第11回その一</title>
         <description><![CDATA[鳥羽伏見の戦いに明けた慶応4年（1968年）は、九月に明治元年と改まりました。
翌2年の三月には、明治天皇の東京への動座も完了。春までには、新政府の主力メンバーのほとんどが東京に集まってきました。
とはいえ、その実態は混沌状態で、各自が自藩の利を考えて自己主張を繰り返すばかりで収拾が付かない事態となりました。
新政府の中核として重きをなすのは、下級武士層出身の志士と一部の公家だけで、政争には強くても政務には疎い者ばかり、目指すべき青写真があるはずもなく、混乱は深まりました。
本来、新たな国づくりの中心になるはずの、長州木戸、薩摩大久保の両有力者が、性格と考え方の相違から、意思疎通を欠きがちだったことも混乱の一因だったとのこと。
統制派の内務官僚タイプである大久保利通と八方気配り派の外務官僚タイプの木戸孝允では、水と油の違いがあったようです。

半藤さんが紹介された当時の狂歌の一節

<strong>「上からは、明治だなどといふけれど、治まるめい（明）と下からは読む」</strong>

]]></description>
         <link>http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/2008/07/post_254.html</link>
         <guid>http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/2008/07/post_254.html</guid>
         <category>夕学プレミアム 「海舟がみた幕末・明治」</category>
         <pubDate>Sat, 12 Jul 2008 11:18:01 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>意思決定の実際と対策　　長瀬勝彦先生</title>
         <description>随分と前のことですが、とある組織で人事部に配属され、新卒採用の仕事に携わった時期があります。その時に、人事部長から、面接用の評価シートの修正を命じられました。
我が社の求める人材像をもとに、一般教養・知識、表現力、論理力、対話力等々いくつかの能力項目を設定して、それに見合う具体的な行動評価項目を洗い出しました（例えば、挨拶ができたか、笑顔の印象はどうか、時事問題に答えられたか、簡潔な自己紹介ができたか、志望理由に説得力を感じたか、厳しい質問にどう対応したかetc）
評価シートは、それらを10項目程度のチェックリストに仕立てて、5点法で点数化しました。もちろん重要な項目には加重をかけて総合点がでるようにしてあります。
ところが、人事部長は、実際の面接の際には、項目は一切チェックせずに、ただ総合点だけを付けて、横になにやら走り書きのメモを書き入れていました。
「使わないのなら作らせるなよ！」と腹を立てて、先輩に訴えたところ、「君の勉強のために作らせたのだよ」「でも、よく出来ているから僕は使うからさ」と慰めてくれたものです。
にもかかわらず、その先輩も実際は、まず総合点を書き入れて、あとで要素毎の点数を逆計算しながら記入していました．．．．

間違いのない判断を下すために用意された、さまざまな分析ツールが、実際に意思決定をする際には使われない。　この種の経験は多くのビジネスパースンが持っているものではないでしょうか。
頭で考えた理屈と実態の意思決定の乖離現象。それこそが、長瀬先生が専門とする行動意志決定論の研究領域です。

</description>
         <link>http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/2008/07/post_253.html</link>
         <guid>http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/2008/07/post_253.html</guid>
         <category>00100000現在の夕学五十講</category>
         <pubDate>Fri, 11 Jul 2008 12:08:40 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>冨田先生の夕学 ＜追記＞</title>
         <description><![CDATA[7日（月曜日）の冨田勝先生の夕学で、藻から軽油をつくる研究について紹介がありました。
講演後の控室で、「実用化のメドはどんなものなんでしょうか」とお聞きしたところ、「5年～10年は無理、夢を追う話です」とおっしゃっていましたが、きょうの朝日新聞のは、デンソーが量産に向けた本格研究に着手すると発表したという記事が載りました。

「藻から軽油を量産へ　デンソー、年８０トン計画」
<a href="http://www.asahi.com/eco/NGY200807080010.html">http://www.asahi.com/eco/NGY200807080010.html</a>

記事によれば13年までには量産化体制をつくる計画とのこと。

「夢を形にする」というのはこういうことなんですね。

]]></description>
         <link>http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/2008/07/post_252.html</link>
         <guid>http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/2008/07/post_252.html</guid>
         <category>00300000 おしらせ</category>
         <pubDate>Wed, 09 Jul 2008 10:14:19 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>バイオサイエンスの最前線　冨田勝さん</title>
         <description><![CDATA[冨田先生が所長を務める、慶應の先端生命科学研究所は、ＩＴ主導のバイオサイエンスという新しい研究アプローチを取るユニークな研究所です。
ＷＥＢサイトの紹介文をみると次のように書いてあります。

<blockquote>当研究所では、最先端のバイオテクノロジーを用いて生体や微生物の細胞活動を網羅的に計測・分析し、コンピュータで解析・シミュレーションして医療や食品発酵などの分野に応用しています。本研究所はこのようにＩＴを駆使した「統合システムバイオロジー」という新しい生命科学のパイオニアとして、世界中から注目されています。</blockquote>

山形県鶴岡市という自然環境に恵まれた土地で、世界と戦う先端生命科学研究所のコアコンピタンスは二つある、と冨田先生は言います。

ひとつは<a href="http://www.iab.keio.ac.jp/jp/content/view/313/1/">、「メタボローム解析技術」</a>と呼ばれる分析技術です。
メタボローム解析は、“究極の成分分析技術”とのことで、対象となる物質の細胞がどのような成分で成り立っているのかを一度に分析してしまう「スグレモノ」だそうです。
先端生命研は、独自開発したCE-MS法というメタボローム測定のノウハウを有し、これによって得られたメタボロームデータの解析ソフトウェアおよび代謝物質データベースを武器に、さまざまな領域で応用研究に着手しているそうです。

もうひとつは<a href="http://www.iab.keio.ac.jp/jp/content/blogcategory/40/85/">、「E-Cell（電子化細胞）」に代表される卓越した情報技術</a>です。
コンピューターシミュレーションによる細胞メカニズムの再現技術など、ＩＴを駆使して生命活動のモデルを構築・解析する技術を10年以上も蓄積しており、これらによって得られた膨大なデータを用いて、生命現象の包括的な理解が可能になっているそうです。

この二つの武器を使って、どのような研究に取り組んでいるのか、そのいくつかを冨田先生は紹介してくれました。

]]></description>
         <link>http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/2008/07/post_251.html</link>
         <guid>http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/2008/07/post_251.html</guid>
         <category>00100000現在の夕学五十講</category>
         <pubDate>Mon, 07 Jul 2008 11:38:30 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>ロボットを通して人間を考える　瀬名秀明さん</title>
         <description><![CDATA[東北大の大学院でミトコドリアの研究に勤しんでいた瀬名秀明先生が、バイオホラーの傑作と言われる<a href="http://item.rakuten.co.jp/book/4283331/">『パラサイト・イヴ』</a>でデビューしたのは、博士課程在籍中の13年前のことでした。
太古の昔に存在していた利己的遺伝子「イヴ」が、何億年に及ぶ生物寄生の眠りから覚め、ヒトに対して反乱を企てるというものです。
ミトコンドリアＤＮＡの解明にから導かれた、人類最古の人類が、数万年前に北アフリカに生まれた女性であったという最新知見をベースにしたホラー小説でした。

この作品を期にＳＦ作家としての活動もはじめた瀬名先生が、ロボットの世界に関心を持ったのは、文芸春愁から依頼されたサイエンスルポがきっかけだったそうです。
「ロボットは人間を越えられるか」をテーマに掲げ、ロボット研究の最前線を追った長期取材でした。

その取材をきっかけに、ロボット研究への理解を深めた瀬名先生が気づいたのは、ロボット研究が、ＳＦやアニメ等の空想世界におけるロボット文化と相似形をなしながら進化してきたという事実だそうです。

]]></description>
         <link>http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/2008/07/post_250.html</link>
         <guid>http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/2008/07/post_250.html</guid>
         <category>00100000現在の夕学五十講</category>
         <pubDate>Fri, 04 Jul 2008 14:13:17 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>何が若者を苦しめるのか　本田由紀さん</title>
         <description>「若者と仕事」に関わる問題に対する識者の見解は、大きく３つに分かれます。

ひとつは、「自己責任」を強調する論。
厳しい時代だからこそ、本人（若者）が強い意思と明確な目標をもって努力しなければいけないという論調です。ご本人がたいへんな苦労をして成功を掴んだ方に多い意見です。
いまひとつは、若者に寄り添いながら、彼らが意欲と希望をなくさないように温かいメッセージを送ろうというもの。
以前、夕学にも登壇いただいた玄田有史先生は、こちらに近いスタンスではないでしょうか。
三つめは、若者に寄り添うスタンスは同じながらも、彼らを産み出した社会そのものを厳しく糾弾する論
本田先生は、この立場ではないかと思います。実証的なデータに基づきながら、若者を疲弊させ、絶望させる何ものかを明確にしようという姿勢です。

本田先生が、各種データもとに「若者の働き方の変化」を分析した結果によれば、「全ての若者は苦境にある」そうです。
正社員は「過剰な労働」に、非正社員は「過少な賃金・安定」に、それぞれ押しつぶされていると言います。

</description>
         <link>http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/2008/07/post_249.html</link>
         <guid>http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/2008/07/post_249.html</guid>
         <category>00100000現在の夕学五十講</category>
         <pubDate>Wed, 02 Jul 2008 15:13:35 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>部分という名の幻想　福岡伸一さん</title>
         <description><![CDATA[三島由紀夫はかつて、柳田国男の『遠野物語』をして「これこそが小説である」であると激賞しました。
民俗学者であった柳田が、遠野出身の青年 佐々木喜善が語った山深い故郷の昔話を、聞き書きしてまとめたというこの本に、人を慄然とさせる文学の本質を、三島は見いだしたと言います。
柳田が『遠野物語』に込めたのは、「これを語りて平地人を戦慄せしめよ．．．」という前文の一節に代表されるように、忘れ去られた縄文精神の代弁者としての力強い宣言でした。

科学啓蒙書としてはもちろん、文学としても高い評価を得た『生物と無生物のあいだ』という本に、福岡先生が込めたのは、生命機械観の呪縛にとらわれ、途方もない過ちを犯しているかもしれない現代科学の世界に対する、強い危機感だったようです。

福岡先生によれば、「生命とは何か」という深遠な問い掛けに、ひとつの答ええを提示したのは、デカルトの<strong>「機械的生命観」</strong>だったそうです。生命とはミクロの部品から構成されるプラモデルのようなものだという認識です。
この思想は生命科学の基底に生き続け、20世紀の中頃には<strong>、「生命とは自己複製するシステム」</strong>であるという生命観に結実しました。
ワトソン・クリックが発見したＤＮＡの二重らせん構造は、生命が自らの中に、自己を複製する機能をもった、25,000種の遺伝子からなる高性能コピーマシンであることを証明したと言われます。

]]></description>
         <link>http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/2008/06/post_248.html</link>
         <guid>http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/2008/06/post_248.html</guid>
         <category>00100000現在の夕学五十講</category>
         <pubDate>Fri, 27 Jun 2008 12:22:30 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>中央集権国家への胎動　『海舟がみた幕末・明治』（第10回）</title>
         <description>1968年（慶應4年）3月14日、勝と西郷の直接会談により、翌日の江戸総攻撃の中止は決まりましたが、これですべての事が収まったわけではありません。江戸城無血開城という新たな難事がはじまりました。両雄は休む間もなく動き始めます。
まず西郷は、翌日には京都に向けて出立。5日後の20日は、二条城で岩倉、三条、大久保、木戸らと緊急会議を行います。
「徳川公大逆といえども死一等は免じるべき．．．」と語気強く迫る西郷のとりなしに対して、穏便主義の木戸孝允が賛同します。寡黙な西郷に代わり弁舌を振るい、岩倉、大久保等の強行派も折れ、会議はまとまりました。
西郷は、すぐに長駆、江戸に舞い戻り、準備を整えます。

一方、勝は、21日に英国外交官アーネスト・サトウと面談。西郷との会談の様子を伝え、「武力衝突回避」を第一義とする勝の主張を明かします。親薩摩のサトウの口から、西軍に情報が伝わることを想定しての動きでした。
さらに、横浜に押し寄せていた海軍先鋒隊の総督大原茂実を単独訪問します。
血気盛んな大原を押しとどめ、暴発を抑制するための行動でした。西軍側にも多くの知己を持つ勝海舟ならではの交渉といえるでしょう。
横浜では、翌日に英国公使館にパークスを電撃訪問し、夕方まで粘って会談に成功します。
この席で、勝は誠心誠意、現今の外交問題を説明し、西軍に対する自らの考えを正直に、しかし強い決意をもってを話します。
「慶喜の助命」、「幕臣の生活にメドをつける」　この2点を保障してもらえれば、一切戦うつもりはないこと。
ただし、これに同意をもらえない時には、江戸を火の海にしてでも戦う決意を持っていること。
いずれにしろ、外国の手出しは無用であること。

パークスは、勝の人間性、明晰さに感服し、それまで薩摩寄りだった姿勢を一転、万が一西軍が慶喜の命を狙う場合があれば、ロンドンに亡命させるという密事まで約しました。

最低限の要求事項は明確にし、あらゆる手段を講じて相手にそれを伝えつつ、不測の事態に備えた万全の対策を打つ。勝の名声が後世に残る理由となる大仕事でした。

勝に惚れ込んだパークスは、すぐに西郷宛の手紙を駿府に送り、江戸から戻る途中の彼を呼んで、徳川に対して苛酷な処罰を取らないように要請します。
パークスの意外な態度に、勝の動きを察知した西郷は、その政治力に舌を巻いたそうです。

</description>
         <link>http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/2008/06/10.html</link>
         <guid>http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/2008/06/10.html</guid>
         <category>夕学プレミアム 「海舟がみた幕末・明治」</category>
         <pubDate>Fri, 27 Jun 2008 10:15:58 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>社会のための富の創出を　　スコット・キャロンさん</title>
         <description>1960年代、ＩＢＭ社員のお父上に伴って来日し、幼児期を日本で過ごしたというスコット・キャロンさん。本格的に日本語を学んだのは20年近く前、慶應大学の国際センターが主催する一年間の日本語集中コースだったそうです。
「その時の恩師が来ていたら困ります」とおっしゃっていましたが、なかなかどうして、微妙な言い回しや「どう言えばいいでしょうかね」と言い淀む感じまで、日本人そのもので、まったくストレスなく講演を聴くことが出来ました。

キャロンさんが、「なぜ、日本株に投資をするのか」という理由は、きわめて明解です。
ただひとつ「日本を愛しているから」
在日通算19年、子供4人を日本で育て、永住権も獲得して、日本に骨を埋めようと思っている。一人の人間として日本のために働きたい。その思いからだそうです。

</description>
         <link>http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/2008/06/post_247.html</link>
         <guid>http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/2008/06/post_247.html</guid>
         <category>00100000現在の夕学五十講</category>
         <pubDate>Thu, 19 Jun 2008 12:04:35 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>やみくもに守らない、やみくもに取り入れない　西尾久美子さん</title>
         <description>「祇園祭のお稚児さんが決まった」というニュースが先日ありました。
京都の街、特に八坂神社から鴨川をはさんだ河原町通りまでの一帯は、7月17日の山鉾巡行に向けて、まつり準備が日々整えられていきます。一年のうちで、もっとも京都らしい季節の訪れかもしれません。
そんな京都の雰囲気を夕学の会場に持ち込んでいただいたように、西尾先生は、あでやかな着物姿で登場されました。
聞けば、学会を含めて重要な場での発表は、いつも着物と決めているとか。

柔らかな京ことばにのせて、京都花街の基礎知識をご紹介いただく姿は、西尾先生自身がお茶屋のおかみさんではないかと錯覚してしまうほど決まっています。
おそらくは意図的に披露されていると思われる、時折かいま見せる「いけず」な物言いも含めて、完璧な演出には恐れ入りました。京都を堪能した2時間でした。

</description>
         <link>http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/2008/06/post_245.html</link>
         <guid>http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/2008/06/post_245.html</guid>
         <category>00100000現在の夕学五十講</category>
         <pubDate>Mon, 16 Jun 2008 19:18:57 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>戦いを終えて見える風景  出井伸之さん</title>
         <description>「イチローや松井に、今からゴルフに転向しろと言っても、まず変わらないでしょう」
「企業も同じです。一流になればなるほど変わりにくくなるものです」

出井さんは、『迷いと決断』という、ご自身の著書を示しながら、ソニーと格闘した10年の日々を総括することからはじめました。
たとえＣＯＥと言えども、自分で動かせることが如何に少ないかを痛感した10年だったそうです。
そこには、どうすれば良いかは見えていても、その道に組織を引導していくことができなかった忸怩たる思いを、静かに振り返る達観した心境が見てとれたような気がします。

1995年に出井さんがソニーの社長に就任した際に、社員と危機感を共有化する目的で示した有名な図があります。
人々が天真爛漫に泳ぎ回る“自由闊達、愉快なる理想工場”という池からは、ネガティブキャッシューフローという川が流れ出ていて、その川はやがて“倒産という滝”に注いでいるというものです。
ソニーの経営陣にあっては珍しいタイプの分析的な戦略家であった出井さんには、社長就任時のソニーは、いつまでも夢だけを追い求めてはいられない危機的な状況に映ったようです。</description>
         <link>http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/2008/06/post_244.html</link>
         <guid>http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/2008/06/post_244.html</guid>
         <category>00100000現在の夕学五十講</category>
         <pubDate>Fri, 13 Jun 2008 14:39:15 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>人の数だけ「ひとり」がある　山折哲雄さん</title>
         <description><![CDATA[意外なことに、山折先生の講演はオリンピックの話題から始まりました。

「オリンピックというのは、スポーツの祭典であると同時に、世界中の人々の精神世界がぶつかり合う場でもある。そこでは、必然として「日本人とは何か」という想念が浮かび上がってくる」

山折哲雄さんは、いかにも宗教家らしく、オリンピックをエンタテイメントとして楽しむだけでなく、日本人のこころが凝縮して表出される「日本人精神発露の場」としてご覧になっているようです。

トリノ冬期五輪の期間中、過去の日本選手の活躍の軌跡を振り返る映像が放映されたことがあったそうです。そこで流れた<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E7%95%91%E7%A7%80%E5%AD%90">前畑秀子さん</a>（ロサンゼルス五輪銀メダル、ベルリン五輪金メダルの水泳選手）のインタビューに、山折先生は注目しました。
出発にあたって送り出してくれた「母の言葉」を胸に刻み、「死ぬ覚悟」を秘めてスタート台に立ち、スタートの号砲に「神様」と叫んでプールに飛び込んだと前畑さんは振り返ったそうです。
山折先生は、このインタビューで語られた<strong>「母の言葉、死、神様」</strong>の三つのキーワードに着目し、恐らくは、当時の全ての日本人の精神構造の中に共有化された意識と価値観を見いだします。だからこそ、アナウンサーの「前畑ガンバレ！」の絶叫が、いまだに心に響くのだと。

]]></description>
         <link>http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/2008/06/post_243.html</link>
         <guid>http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/2008/06/post_243.html</guid>
         <category>00100000現在の夕学五十講</category>
         <pubDate>Tue, 10 Jun 2008 12:39:45 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>勝・西郷　運命の会談　『海舟がみた幕末・明治』第九回</title>
         <description>1868年（慶応4年）1月6日深夜、戦意を喪失した慶喜は「江戸で再起を計る」と大阪城を脱出します。

追って7日には、新政府により徳川慶喜追討令が出されました。
ちょうどこの頃は、夏目漱石・幸田露伴・秋山真之など、明治を担う人材が次々と生まれた時期であり、そして、大阪を脱出する人々の中には太平洋戦争終戦時の首相、鈴木貫太郎の幼い姿があったそうです。

11日、慶喜が品川へ到着するところを、勝海舟が迎えます。
半藤先生によれば、勝はちょうどこの時、生活の糧を得るために乗馬を売ろうとしていたところで、使いの到着に、あわてて売るのをやめてその馬へ乗って品川に向かったとか。
不遇の時代を過ごしていた勝に、ようやく舞台が調います。

勝は慶喜に対し、強い口調で責め寄りました。
「なぜ大阪城に立てこもって戦わなかったのか」かなりガミガミと言う勝に心を打たれたか、慶喜は「この上は、頼るのはその方ただひとりである」とまで言いました。
勝の腹はこのとき決まったというのが、半藤先生の解釈。
そしてこの時代、「日本国」を見据えて事にあたったのは、勝海舟ただひとりであったということも。
徳川も薩摩も長州もない、ただ「日本国」のためにのみ力を尽くすという決意は、幕末のこの時期、他に見られることのない、勝なればこその先進的な考えだったのです。

</description>
         <link>http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/2008/06/post_246.html</link>
         <guid>http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/2008/06/post_246.html</guid>
         <category>夕学プレミアム 「海舟がみた幕末・明治」</category>
         <pubDate>Mon, 09 Jun 2008 19:29:25 +0900</pubDate>
      </item>
      
   </channel>
</rss>
