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田口佳史先生を囲む「トムの会」を開催しました

昨夜、夕学プレミアムagoraで中国古典シリーズの講義をお願いしている田口佳史先生を囲む同窓会が行われました。
田口先生には、論語、老荘、大学と中国古典を講義していただきましたが、そのすべてを受講されている平野崇雄さんが幹事役となり、三講座の修了者を対象にした合同同窓会として企画されたものです。

新東京ビルの三菱21世紀倶楽部を貸し切った会場には、総勢28名の方々が集結しました。二十代から七十代まで、年齢、職業、立場もさまざまですが、皆さん楽しく交流されました。

学びて、時にこれを習う。また説(よろこ)ばしからずや。
朋あり、遠方より来たる有り。また楽しからずや。

論語冒頭の一節のごとく、ともに学んだ朋友同士が、実践での活用報告を交換しようと集まった会でした。

乾杯の音頭を取っていただいたのは、最年長で田口先生から「ミスター老荘」と称せられた柏原晃一さんです。
弁護士である柏原さんは、法律家にとって最も難しく、かつやりがいを感じるのは、利害を異にする人々の和解を仲介することだとおっしゃいます。
これは「陰陽相和す」ことを旨とする老荘思想に相通ずるものがあるそうです。

乾杯の後、短いながらも田口先生の講義をお聴きしました。

「上り坂の儒家、下り坂の老荘」

二つの思想を使い分けることこそが、日本人が培ってきた東洋思想であるという、いつもの教えを改めて胸に刻むことが出来ました。

順番にお聴きした皆さんの報告は、とても興味深いものでした。
それぞれが感銘した東洋思想の一節を、大切に胸に抱き、事ある毎に指針として振り返りながら日々を送っていらっしゃることがよく分かりました。

田口先生に感謝の気持ちを込めて、細田純代さんから花束が贈呈されました。細田さんは、お父上が創業した品川測器製作所という会社を切り盛りする若き女性経営者です。お忙しい中を三講座とも、熱心に受講されました。

最後の締めは、橋本恵治さんでした。
橋本さんは、agoraだけでなく、社内の研修で、そして田口先生の私塾タオクラブでも学んでいらっしゃるというメンバー随一の東洋思想通です。
「朋」とは、師を同じくする仲間という意味である。田口先生という師のもとに集った縁を大切にしましょうとまとめていただきました。

田口先生のagora講座は、今後も継続する予定ですので、これを期に同窓会の名前を決めようということになり「トムの会」と命名することになりました。

「足を知る者は富む」という田口先生お気に入りの老子の言葉に由来しています。
田口先生は、愛犬の名前に「トム」という名前を付けています。
毎朝毎夜呼びかける度に、この言葉の含意を心に刻見直そうという思いからの命名だと聞いています。

明日からは、トム君を呼ぶ度に、「トムの会」も思い出していただければと思っております。
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春の中国古典シリーズは「孫子」を取り上げます。
">田口佳史さんに問う中国古典【人生の戦略書・孫子】

田口先生は夕学にも登壇いただくことになっています。
7月1日(金)「見えないものを見る ~東洋思想から読み解く日本文化と日本人」

田口佳史さんに問う中国古典 【大学の道】 その3

昨日のブログで、大いなる学び(Great Learning)の道は、1)明徳を明らかにすること、2)民に親しむこと、3)至善に止まることの三つであると言いました。
これは「三綱領」と呼ばれています。
『大学』には、「三綱領」の下に、「八条目」と言われる八つのキーワードがあります。

「格物」「知致」 「誠意」「正心」 「修身」「斉家 」 「治国」「平天下」

物格(ただ)して知致る。知致りてのち意誠なり。意誠にしてのち心正し。心正しくしてのち身修まる。身修りてのち家斉(ととの)う。家斉ひてのち国治まる。国治まりてのち天下平らかなり。

冒頭の「格物」「知致」という言葉は、その読み方・解釈を巡って古代から喧々諤々の論争が展開され、いまもって複数の解釈が存立すると言われているそうです。

「格物」とは、当事者意識をもって物事に向き合うこと
「知致」とは、人間の叡智を極めること

田口先生は、それぞれを上記のように解説してくれました。

当事者意識をもって物事にあたれば、自ずと知恵が湧き出てくる。それが人間の叡智である。 そんな意味になるでしょうか。

「誠意」とは、こころの声に誠実になること
「正心」とは、こころの中に基軸を持つこと
「修身」とは、自身の身を修めること

叡智を極めていけば、おのずと自身のこころに誠実になれる。こころに誠実になれば、揺るぎない基軸が形成される。こころに基軸がある人は、自然と身も修まってくる。

借りものの知識・理論に頼り過ぎず、当事者意識をもって事象に向き合い、叡智を絞って考え抜くことが、自分の内面を鍛え、価値観の形成に繋がっていくという『大学』の根本思想がよく伝わる文章だと思います。

「斉家 」「治国」「平天下」については説明するまでもないかと思います。
個人の精神性・自律というミクロな問題が、国家・社会というマクロな領域へと連鎖していくことを諄々と説いているのがおわかりいただけると思います。

「物に本末あり、事に終始あり」
この世の物事の「本末と終始」、道理を形成するメカニズムの根幹は、「格物」「知致」である。当事者意識をもって物事に向き合うこと、考えて考えて考え抜いて叡智を極めることである。それこそ、大いなる学び(Great Learning)の道である。

町の寺子屋に集う童から昌平校の大学者まで、あらゆる人が、各自時々の課題を抱え、幾度も読み返したという『大学』の汎用性を、あらためて感じます。


田口佳史さんの中国古典シリーズ、次回は4月11月(日)から開講します。
今度の教材は、『孫子』です。
兵法の書、戦略の要諦として活用されてきた本ですが、今回は少し切り口を変えて、「人生の戦略書」として読んでみようという趣向です。
ご興味のある方は、是非受講をご検討ください。

田口佳史さんに問う中国古典【人生の戦略書・孫子】

田口佳史さんに問う中国古典 【大学の道】 その2

『大学』の英語表記はGreat Learingだそうです。
英語の方が、言葉の持つイメージがよく分かりますよね。
"大学"とは、大いなる学び、つまりGreat Learingとは何か、を真正面から問い掛けるものです。

田口さんは言います。
『大学』の大意は、冒頭の一言で言い尽くされている、と。

大学の道は、明徳を明らかにするに存(あ)り、民に親しむに存り、至善に止まるに存り。

いきなり結論を言い切っています。
大いなる学びの道は、1)明徳を明らかにすること2)民に親しむこと3)至善に止まること、この三つの実践の中にある。

最初の「徳」という概念が、『大学』ひいては『論語』など儒家思想における最重要概念だと言われています。
わたし達は、「徳」という言葉を当たり前のように使っていますが、意味の理解についてはかなりあやふやではないでしょうか。
学校教科の「道徳」の印象が強いので、「徳」=倫理意識、品性といった意味で理解することが多いかと思いますが、田口さんは、もう一歩踏み込んで「徳」を解説してくれました。

曰く「徳とは、自己の最善を他者に尽くしきること」

この定義には、人間の価値は、その人固有の属性に由来するものではなく、周囲の人々、社会との関係性の中で、立ち現われてくるものだ、という根本思想があります。
「徳」のある人は、自己の利益を優先せずに、他者のためになること、周囲にとって有意なことに自己の最善を尽くす。それが人間にとっての倫理であり、品性の根源だということではないでしょうか。

私は、「徳」の意味を、さらにもう一歩拡大解釈して、「社会における自らの役割を全うすること」だと解釈しています。
他者に尽くすという表現だと、依存的な感じがしますが、自分を含めた社会の中で自分の役割に全力を尽くすことだと考えると、「徳」という言葉は、大いなる学びの道の第一に掲げるにふさわしい壮大なテーマに感じませんか?

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田口佳史さんに問う中国古典 【大学の道】 その1

agoraの中国古典シリーズを田口佳史先生にお願いをするようになって、次回(2011年4月開講)で4回目になります。
『論語』『老子・荘子』は、それぞれ講義をベースにした書籍も出来て、こちらも大好評のようです。
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田口さんは、おそろしく懐の深い人です。
相撲に擬えれば、相手の力や技を真正面から受け止めているのに、いつの間にか自分の十分な形になっている。 そんな感じでしょうか。

『論語』の中に、「われ、少(わか)くして賎し ゆえに鄙事に多能なりという一説があります。
孔子は、若い時分に苦労をし、いろいろな経験をしたので、世の中の些事に至るまで、何でもこなすことが出来る、という意味です。
前後の文章から、孔子は自分の「鄙事多能」を誇るのではなく、君子たるもの鄙事に多能であってはならない(ドンと構えた大人(タイジン)であるべきだ)と逆説的に諭しているというのが一般的な論語解釈ですが、私は、この一文を読むと、孔子には「鄙事多能」をちょっぴり誇らしげに思う気持ちもあったのではないかと感じます。

実は、福沢諭吉も「鄙事多能」を自負していて、『福翁自伝』の中には、家財道具の修理や値切り交渉などが得意であったと、自慢げに詳述しています。

孔子、福沢諭吉が、「鄙事多能」を、やや誇らしげに語る時、その真意は、些事がこなせることを自慢することにあるのではなく、世の中の本末、表裏を隅々まで見聞体験してきた末に、物事の道理を知ったのだという経験の深さを誇りとすることにあるようです。

田口さんも「鄙事多能」の人ではないでしょうか。

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