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菊澤研宗教授による【ドラッカー再発見】 その4

96歳という長寿を生きたドラッカーの前半生の集大成ともいうべき著作が、『現代の経営』(1954年、ドラッカー45歳の作品)です。
ニューヨーク大学の教授として経営学者の地位を確立したドラッカーが、これまでの考えを統合する書として書き上げたと言われています。
彼は、この本をもって「マネジメントの発明者」の称号を得ることになりました。

ドラッカーは、『産業人の未来』の後に、同書を読んだアルフレッド・スローンの招きでGM社の調査研究を行い、その成果は三作目の『企業とは何か』(1946年37歳時)にまとめられました。
「自由な産業社会」の主役が企業であることを透徹していたドラッカーは、企業が社会責任を果たすということは、どういうことなのか。企業経営にどのようにして自由を取り込むことが出来るのかに思いを巡らせていきました。
そして、その問いに答える鍵は「マネジメント」にあると考えたのでした。

「来るべき自由な産業社会の主役である企業経営のあり方として、「人間主義的マネジメント」という概念を掲げ、具体的なマネジメント論を展開した。」
菊澤先生は、この本をこのように概観しています。

「人間主義的マネジメント」とは、『産業人の未来』で明らかにした「機能する社会」のあり方を、具体的な企業経営論に落とし込んだものと言えるでしょう。

・自由人(自律的人間)である社員に対して、「位置」と「役割」を与える。
・企業は、社会の利益を会社の利益に転換することで、権力の「正統性」を与えられる。
・マネジメントとは、事業に命を吹き込むダイナミックな存在、有機的な機能である。

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菊澤研宗教授による【ドラッカー再発見】 その3

ドラッカーが29歳の時に発表した『経済人の終わり』は、チャーチルが絶賛し、書評を書いたこともあって、ドラッカーの名声を一気に高めることになりました。
同時期に米国に移住し、フリージャーナリスト、大学教授とキャリアを積みながら、ドラッカーは、「経済人の時代」の次に到来すべき新しい時代のあり方について思索を深めていきます。
そして、1943年、34歳の時、第二次世界大戦の最中に著したのが『産業人の未来』でした。

「来るべき平和の時代の姿を「自由な社会」として掲げ、そのために、いかにして産業社会を自由社会として構築すべきかを問題提起した」
菊澤先生は、この本を上記のように概観します。

「自由とは楽なことではない。それは幸福でもなければ安定でもない...」
「自由とは責任を伴う選択である、自由とは権利をいうよりも義務である...」
この本の中で、ドラッカーはさまざまな言葉・言い方で「自由」の概念を説明しようとします。しかし、肩に力が入り過ぎているせいか、やや冗長で、掴もうとするとスルリと両手から滑り落ちてしまいます。

そこで菊澤先生は、「カント的自由」の概念をフレームワークとして提示することで、ドラッカーが言いたかったことを見事に解説してみせました。

「人間を自由人(自律的な人間)として見なすこと」
それがドラッカーの「自由」であると。

自由な産業社会を実現するために
・企業は社員ひとり一人を自律的な人間とみなし、「位置」と「役割」を与えること
・経営者は、社会における権力の「正統性」を持つこと=社会に対する責任を果たすこと
この二つが果たされなければならない。

これが、ドラッカーが描いて見せた新しい時代のあり方です。

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菊澤研宗教授による【ドラッカー再発見】 その2

ピーター・ファンデル・ドラッカーは、1909年ウィーン生まれ。
落日前のオーストリア=ハンガリー帝国で、上流知識人階級の子弟として育ちました。
オーストリア政府の経済官僚であった父親が主催する週毎のパーティーは、多くの知識人・文化人が集まる知的サロンであったといいます。
早熟だったドラッカーは、幼いながらもサロンに顔を出し、シュンペーターやハイエク、フロイト等と親しく会話を交わしました。

しかしながら、第一次世界大戦での敗北、続いて襲ってきた世界大恐慌の荒波を受けて、その生活も一変していきます。ドラッカーも、事務員やアナリストとして働きながらフランクフルト大学を卒業したといいます。

大学卒業後、ドイツで新聞記者として活躍し始めたドラッカーは、急速に台頭してきたナチスの取材にもあたります。ヒトラーやゲッペルスの単独インタビューも行いました。
民衆の熱狂的な支持を受けてナチスが政権を握る中、ドラッカーは、欧州伝統の「自由」が否定されていく風潮に大きな危惧を抱き、イギリスへ移住を決意しました。
瞬く間に欧州を席巻していったファシズムの嵐の中で、それに棹さす決意で書き上げたのがデビュー作である『経済人の終わり』でした。

「ヨーロッパ知識人の伝統的価値観である「自由」を脅かすファシズムに対抗し、「自由」を守る意思を固めることを目的としている」
菊澤先生は、この本をそう概観します。

ドラッカーは、ファシズム全体主義は何故ヨーロッパに跋扈しているのかをいくつかの角度から分析しています。

・20世紀の経済社会を担うと期待されたアダム・スミス的な初期資本主義が世界恐慌の前にあまりにも無力であったこと。

・労働者の自由と平等な社会を実現してくれるとして期待を集めたマルクス主義が幻想でしかないことが明からになったこと。

・長らく欧州社会救済機関として機能してきたキリスト教組織も、大変化の前には、私的な精神安定装置にしかなり得なかったこと。

ドラッカーの洞察は、多少の編集を施せば、百年後の現在の混迷状況を分析する言葉としても有効です。

「ヨーロッパの伝統的価値観であるはずの「人間の自由と平等」を基礎とする社会が形成されなかったことが問題。 それは、「経済人」の時代の終わりであり、新しい時代の必要性を示している」
菊澤先生は、ドラッカーの主張を、このようにまとめてくれました。

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菊澤研宗教授による【ドラッカー再発見】 その1

この講座は、昨今の"ドラッカーブーム"とは一線を画し、ドラッカーが「いわゆるドラッカー」になるまで、を取り上げた講座でした。

「いわゆるドラッカー」とは、"ドラッカーブーム"でいう「ドラッカー」、つまりマネジメントの発明者として、マネジメントの原理・原則を説く「ドラッカー」です。

この講座で取り上げるドラッカーは、そういうドラッカーではありませんでした。
もっと哲学的で、もっと社会的で、もっと政治的な、理屈っぽいドラッカーです。
ヨーロッパを席捲しつつあったナチスに敢然と向き合った、若き政治学者としてのドラッカーです。
戦火の中で、ヨーロッパ知識人の伝統に根ざした「自由な経済社会」を実現するためにどうすればよいかを徹底的に考え抜いた社会思想家としてのドラッカーです。

ドラッカーは、企業の利潤最大化のために「マネジメント」を発明したのではありません。
ドラッカーの考える「マネジメント」とは、企業経営を通して、社会をより良くするために紡ぎ出された概念です。
だとすれば、わたし達実務家が、いま、ドラッカーを読むことは、"ドラッカーブーム"とはまったく異なる意味で重要です。

ドラッカーを通して、社会において企業が果たすべき役割を考える。
それが、この講座の目的でありました。

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