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第5回 「孤高の成長論者 下村治」 その2

下村治が主張したこと 「成長理論」
下村氏が一方の主役を務める日本経済の「成長論争」は1959年から始まったと言われていますが、その前年に、下村氏は『経済成長実現のために』という論文を発表しています。
「いまや日本経済は大きな転機を迎えた。日本はようやく十分な供給力を身につける準備態勢が整ったのだ。あとはそれをどう実現していくのかが課題である。そのためには、さあ、需要を増やそう!」
下村氏は、力強く宣言をして「成長論争」の口火を切ったのです。
続いて1959年2月、『日本経済の基調とその成長力』と題する論文を発表します。この中では、57年に発表された政府の長期経済計画(6.5%成長)に異を唱え、日本の成長率予測が低すぎると指摘しました。これをきっかけに経済計画の策定者である大来佐武郎氏とも「大来・下村論争」と呼ばれる論争を展開することになりました。

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第5回 孤高の成長論者 下村治

4月に開始した竹中平蔵先生のよる『問題解決スキルとして経済古典』は、先週の土曜日をもって無事最終回を迎えることになりました。最後に取り上げたのは、竹中先生の「あこがれの人」であった下村治氏です。
一般の人々には馴染みのない名前ですが、池田勇人内閣の「所得倍増計画」の理論的支柱となり、1960年代の高度経済成長を予言した経済学者と言われると興味関心が沸いてくるのではないでしょうか。

本講座で取り上げる唯一の日本人ですが、これまでにも増して熱い講義となりました。
今回も二回に分けて、報告を致します。

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「下村治さんのようになりたいと思った」
竹中先生がエコノミストを目指そうとしたきっかけは、下村氏へのあこがれだったとのこと。
下村治は、日本の高度経済成長とそれを可能にした池田内閣の所得倍増計画の理論的な支柱として知られていますが、当時、錚々たる顔ぶれの経済人を敵に回して、孤軍奮闘、孤高の人として論戦を繰り広げました。そして結果的に、日本経済の成長は下村氏のほぼ言う通りになりました。

竹中先生は一橋大学卒業後、下村さんの後を追うようにして日本開発銀行(現日本政策投資銀行)に入行しましたが、当時下村氏は、開銀の設備投資研究所の顧問をされていました。
若き日の竹中先生の記憶に残る下村氏は、いかにも大人然といった雰囲気を漂わす「グレイトな人」であったそうです。
何かひとつの現象を見ることで、その背後にある宇宙を見通すことが出来る空間認識力を有した人であった印象を竹中先生は持っています。

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第四回 「ハイエク、フリードマンが考えた自由な経済」その2

ミルトン・フリードマンは、ハイエクと同様に「自由な経済」を主張しました。
ハイエクが経済学者から社会哲学領域へとスタンスを変えていったのに対して、フリードマンは、具体的な政策提言や論争を繰り広げたことで知られています。
二人とも、自由主義を標榜する「シカゴ学派」に分類されていますが、先述のようにハイエクは、人間の合理性の限界を認識して「懐疑主義」を貫きました。一方で、フリードマンは、極めて合理性を重視する立場を通し、「期待インフレ率」の考え方やそれを突き詰めた「合理的期待形成理論」という理論を構築しました。

フリードマンの考え方は、1962年の『資本主義と自由』という本を読むとよくわかります。
自由とは、自由放任ではない。むしろ積極的な政策によってはじめて実現する。
フリードマンはそう考え、自らを「急進的自由主義者」と呼びました。
竹中先生は、ハイエクは総論を語り、フリードマンは各論を語ったといいます。

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第四回 「ハイエク、フリードマンが描いた自由な経済」その1

参議院選挙の前日、6年前の選挙の思い出を語ることではじまった竹中先生の経済古典講座第四回。今回は「ハイエクとフリードマンが描いた自由な経済」です。
今回は、二回に分けて、まずはハイエク編です。

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ケインズの登場は、ケインズ革命と称されます。
資本主義の未来を悲観的に予測した言説(マルクスのように)に対して、「こうすれば資本主義は崩壊しない」という処方箋を提示したという意味において、ケインズの登場は画期的といえるかもしれません。
しかし、ケインズ政策は、第二次大戦後、広く取り入れられたわけではありませんでした。
オープンエコノミーのもとでは、ケインズが言うような財政政策・金利政策をとると、確かにGDPは増えるけれども、「クラウドアウト」効果を引き起こし、逆の圧力も発生することが分かってきたからです。

ケインズ後の新たな経済問題に対処した存在が、きょうの主役であるハイエクとフリードマン、そして少しだけ言及したブキャナンだと竹中先生は言います。
彼らのケインズ政策に対する問題意識は次の三つに集約されます。
1)集産主義の弊害
2)スタグフレーションへの対応
3)財政赤字の増大
竹中先生は、1)についてはハイエクを、2)に関してはフリードマンを、そして3)の問題ではブキャナンを論じることで、彼らに共通する「自由な経済」の思想を解説してくれました。

◆ハイエクの生きた時代
F・Aハイエクは、1899年ウィーンで生まれました。当時のウィーンは、ハプスブルク家の支配するオーストリー・ハンガリー帝国の終末期にあたります。ハプスブルク家一族の暗殺が相次ぎ、1914年の皇太子暗殺(サラエボ事件)を契機に、第一次世界大戦が勃発したことで、帝国は崩壊していきます。
ハイエクを含むオーストリー学派の思想的特徴である「懐疑主義」は、こういった時代背景を色濃く反映しているそうです。
人間は所詮非合理な存在であり、情報は不完全なものである。従って人間の理性には限界がある。
そう考える「懐疑主義」は、ハイエクが唱えた「自律・分散」の思想の基層を形成するものだと竹中先生は解説してくれました。

1929年、30歳の時に、英国のフェビアン協会の招きで英国に渡ったハイエクは、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで職を得て、徹底したケインズ批判を展開することで、経済学の表舞台に登場します。
フェビアン協会は、当時勢力拡大期にあった英国の社会主義右派の団体でした。
社会主義勢力が、社会主義を猛烈に批判することになるハイエクを引き上げたというのも「歴史の皮肉」であろうと竹中先生は言いました。
ちなみに、1934年にロシア革命が成立し、1932年には、ドイツでナチが、34年にはイタリアでファシストが政権を握ります。さらには38年にはドイツがオーストリーに侵攻します。
19世紀に民主主義を産み落とした欧州で、20世紀の初頭には、「共産主義・社会主義」と「全体主義」がひたひたと台頭していました。
そんな時代の中で、ハイエクは、やがて経済学者から社会哲学者へと、そのスタンスを変え、20世紀後半に花開いた「自律・分散」の政治哲学を説くことになります。


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第三回 シュンペーターの「創造的破壊」

夕学プレミアムagora 竹中平蔵教授が講義する【問題解決スキルとしての経済古典】
いよいよ佳境に入って来ました。下記は第三回の内容です。

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前回の「ケインズの異論」から一ヶ月経ちましたが、この間に、日本の政治状況には大きな動きがありました。鳩山首相(当時)が辞任し、菅直人氏が新首相に就任。
菅新首相が打ち出したのが、日本版「第三の道」構想です。
先の所信表明演説で掲げられたスローガンは「強い経済・強い財政・強い社会保障の実現」でした。
竹中先生は、菅首相の認識に対して冷静な反論をいくつか展開したあとに、「強い経済を実現するための経済理論として、欠かすことに出来ない人です」ということで、本日の主役「シュンペーター」に言及をしていきました。

◆シュンペーターが生きた時代、直面した課題
エーゼフ・アロイス・シュンペーターとケインズは同じ年(1883年)に生まれました。
20世紀を代表する天才経済学者に数えられる二人ですが、その着目するところは大きく異なりました。
ケインズが、眼前にある世界大恐慌にどう立ち向かうべきかを説いたのに対して、シュンペーターは、資本主義のダイナミズムを解明することに目を向けました。
「問題」に着目したケインズと「本質」を問い掛けたシュンペーター。
ふたりの立ち位置の違いは対称的ですが、現在の経済問題を考えるうえで、示唆深い、普遍的な理論を展開したという点では共通しているのかもしれません。

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第二回 ケインズの異論

先週土曜日に行われた 夕学プレミアムagora「竹中平蔵教授が講義する【問題解決スキルとしての経済古典】第二回目の講義内容です。
今回は、ケインズがテーマでした。

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竹中先生は、自らを「モダレートケインジアン」だと言います。
かつて、サマーズ(現国家経済会議(NEC)委員長)も同じ主旨のことを言ったそうです。
「いまの経済学者は皆、モデレートケインジアンである」と。

圧倒的に需要が不足して、圧倒的に失業が出ている時代にあっては、「政府が公共投資を行い、需要を作り出すべきである」というケインズの考え方は、まったくその通りです。
ただ、完全雇用が達成されるような状態の時に、「大きな政府」か「小さな政府」か、と聞かれれば、「小さな政府」がいいと私は答えるでしょう。
竹中先生はそう言います。
なぜなら、政府は間違えるから。政府の中にいた私が言うのだから間違いない。(笑)
つまり、経済とは、状況に応じて判断すべきものであって、ケインズがいいか、フリードマンがいいかという類の問いは意味のないものだということです。

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第一回 アダム・スミスの「見えざる手」

先週の土曜日から、夕学プレミアムagora「竹中平蔵教授が講義する【問題解決スキルとしての経済古典】がはじまりました。
この講座の主旨はこちらを。

初回は、「アダム・スミス」でした。
自分の勉強もかねて、講義内容のエッセンスをまとめてみました。ライブ講義の場にいないと、理解は深まらないかもしれませんが、「こんな講義だったのか」という雰囲気は、お分かりいただけると思います。
あくまでも城取のメモであって、講義録ではありませんのであしからず。

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◆アダム・スミスが生きた時代 直面していた問題◆
アダム・スミス(1723-90)は、経済学の祖と言われています。
哲学や文学は、ギリシャ・ローマの時代からありました。にもかかわらず経済学は、なぜスミスの時代に生まれたのか。それは、この時代に「経済的自由」が生まれたからだと竹中先生は解説されました。

なりたいものになれる。やりたいことが出来る。
「昨日と同じ明日が来る」のではなく、「昨日と明日は違う」

そういう時代になったからです。
そんな背景を受けて、「利得」という概念も登場しました。

もっと頑張れば、もっと働けば、いまよりも豊かになれる。

「経済的動機」が人を動かすエネルギーになる時代が到来していたそうです。
「経済的自由」がもたらす新しい社会のあり様や、自由な社会を秩序だてる概念を説明してくれる人が求められていた。そんな時代にアダム・スミスは登場しました。
そして、自由がもたらす新しい秩序は「市場」というシステムで説明されることになります。

「市場」というシステムは、13世紀から19世紀の半ばまで、実に長い時間をかけて社会に定着した概念だと竹中先生は言います。
新しい概念が定着するまでには、「変革への恐怖心」という呪縛を解き放つ必要がありました。通念を変えることへの根強い抵抗と戦うことも必要でした。
その仕上げの時期を迎えようという頃に、アダム・スミスが登場しまたことになります。

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