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川野 泰周「本当の私で生きる~コンパッションと「1/2」の実践で自己の本分に立ち返る~」

「本当の私」

川野泰周 「ありのままで」「自分らしさを大切に」「あなた自身を表現する」といわれるけれど実際の生活では「ありのまま」でいられない。その最たるものが就職活動や交渉の場で「決められた時間内で効果的に相手の求める姿を具現化して見せる」場になっている。『プロフェッショナルを演じる仕事術』なんていう本もありますね。(別にこの本をけなしている訳ではない。)

就職活動で疲れ果てたある者はうんざりした表情で「自分を消費してるって感じ」と呟き、またある者は実力があるのに自信喪失のため混乱して泣いたりする。会って数分しか経っていない面接官から一方的に「評価」され「選別」されることに疲れ、回数を重ねて「労働力として商品化された自分」が市場に消費されているように感じてしまうのだろう。

自分らしさをそのまま出したら受け入れられる?答えてみろ。けっ。
まあ就職活動の場や職場でそうもいってはいられないだろうから人は演じることになる。そもそも自分なんてものはあやふやで、生まれ育った環境や接した人に読んだ本、おまけに国や時代の影響も大きいから「本当の私」なんてものは実は存在しないものかもしれない。様々なものに影響されて作られている「私」。命だって脈々と続く先祖から続いてきた結果の「私」。その先祖も無数のものの影響と生命のおかげで生かされてきた訳で...。考え始めると桁外れに広くて深い問題になる。

でもやっぱり「私」はある。他の人と違う考えを持ち、好みがある「私」が。現代は仕事も生活もお手本があり過ぎて厳密過ぎるから生きにくくなっている。心の中の「私」を大事にしないといつか行き詰まるし、同時に息詰まる。どこかで解放してあげないと。

川野泰周先生は禅僧で精神科医なので医療的なとらえ方と、瞑想を中心とした禅的なとらえ方の双方を紹介して本当の私、つまり自己の本分に立ち返る方法を教えてくれた。思い込みをいかに排除するか、個人の「人格」の成り立ちを知り、その取り戻し方の具体的な6つの方法である。

まず人間は「『体験』を『認知』して『反応』している」ということ。何か出来事があってそれに即反応して感情や行動に移るのではない、その間に「思考・認知」があった上で感情や行動に移るのだから「出来事や外部の刺激を、どのように捉えるか(認知)によって、感情や行動は変わってくる」。多くの人にこんな経験があるかもしれない。誰かと約束をしていたのに相手から連絡が来なくて「どうでも良いと思われてる?」と心配になる。重苦しい数日の後、思い切って相手に連絡を入れると「高齢の親がコロナに感染して対応に追われていた」のような予想外の答えが返ってきたりする。

もし、感情の前に「自分にはこうした考え方の癖もあるけれど、他の可能性もある」と、自分が考えがちな思考パターン以外の可能性を複数考える努力を続けていると心が楽になれる。考え方の癖とは、講演で紹介された「個人の『人格(パーソナリティ)』の成り立ち」を考えてみるとよくわかる。生来の(先天的な)心の性質である「気質」と後天的に形成される心の性質の「性格」。後者は時間をかけて変えることが可能なので、もし考え方の癖が自分を苦しめるなら意識して変えていける。そこで前述の6つの方法が登場する。

  1. スピードを半分にしてみる
  2. 物を半分にしてみる
  3. 消費を半分にしてみる
  4. 情報量を半分にしてみる
  5. 考えごとを半分にしてみる
  6. 自分へのやさしさを「2倍」にしてみる

そうすることで人は目の前にあることにだけ集中する、今この時だけに注意を傾けるという、これは川野先生が禅の修行でされていたことに繋がる。

イメージしやすいのは、禅生活といえばこれ「不要なものをそぎ落として生活する」の「物を半分にしてみる」だろう。物がたくさんあると注意資源を奪われてしまうからだ。同様にスマートフォンの使用量から脳を守るための「情報量を半分にする」。

様々な瞑想法が紹介され、私は瞑想にも種類があることを知った。今ここに根差していることを体感するグラウンディング瞑想。いつでも「自己の本分」に立ち返ることが可能だと知ること。カームイメージの瞑想では安らぎを与える風景の記憶を活用して「心の安全地帯」の存在を体験する。マインドフルネスの呼吸瞑想では、心で起こる反応に対して一切のjudgement(評価・判断)を行わずに「感じる」「あるがまま」の状態にする。他者と自己に対する感謝の念を育む、感謝の瞑想もあった。自己への感謝というのは珍しいが体のどこか一部に助けられることがないか考えるなど、これは自慈心につながるもののようだった。最後に慈悲の瞑想。他者の良いところを思い浮かべて幸福を祈る。そして自分に対しても同じ祈りをする。自分もまた慈しまなければならないから。

まず私が私を慈しまなければ他者からの評価に縋ることになる。私が私を愛し慈しめば少々のことでもへこたれない。「本当の私」は大切に守り、慈しみ、感謝し、幸福を祈りながら育てるもののようだ。

「自己肯定感≒自尊感情+自慈心」

(太田美行)