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上野 千鶴子「アンチ・アンチエイジングの思想」

上野千鶴子 ©後藤さくら 今日の講師は東京大学名誉教授の上野千鶴子先生。2011年に東京大学を退官された後も、NPO法人ウィメンズ アクション ネットワークの理事長として精力的に活動されている。2019年には東京大学の入学式の来賓として壇上で述べた祝辞が大きな話題となったことを記憶している方も多いだろう。

近ごろ世間では、アカデミックな実績もほとんどないのにメディアやSNSでだけ意気軒昂な「自称・学者」の活躍が目立つ。もちろん上野先生はそんな手合いと較べるのも失礼なほど正真正銘の社会学の泰斗だが、であると同時に、アカデミズムの外にいる市井の人間にとっては、まず何よりフェミニズムのアイコンであり、アジテーターであり、トリックスターだ。

男女雇用機会均等法という画期的な法律を物ともせず岩盤のように揺るぎない男性中心の社会だった昭和から平成前期にかけて、"働く女性"たちは、男性のみが通ることを許されるフリーウェイの高架を頭上に見ながら、ひたすら道なき荒野を歩き続けるしかなかった。

その頃、上野先生の存在は女性たちの行く手に空高く輝く道しるべの北極星だった。口さがない昭和男たちが「フェミニズムなんて"モテない女のヒステリー"だ」などと堂々と揶揄していた時代から、上野先生は一貫して、岩盤のジェンダーバイアスと闘い続けて来られたのだ。しかも先生は"モテる女"だった。

上野先生の一般向けの著作は何冊も読んできたが、中でも2010年に出版された『女ぎらい――ニッポンのミソジニー』(紀伊国屋書店)は私の座右の書で、今なお日々勇気づけられている。しかしこの本が出された頃から、上野先生の発言や著作には"老い"に関連する物が増えてきた印象だった。そして今回の講演タイトルも「アンチ・アンチエイジングの思想」だというではないか。

フェミニズムの闘士が"老い"の研究?なぜだろう、女性学と老年学とは関係ないのに?と、不思議に思っていた私が、この講演を聴き終わった2時間後にはその認識を大きく改めさせられることになる。

老いは文明のスキャンダル

NHKに「100分 de 名著」という番組がある。上野先生は昨2021年7月、その番組から講師に招かれ、ボーヴォワールの名著『老い』について紹介し、大反響を呼んだという。今日の講演はその本の冒頭の一節の紹介から始まった。

人間がその最後の一五年ないし二〇年のあいだ、もはや一個の廃品でしかないという事実は、われわれの文明の挫折をはっきりと示している。<中略>この人間を毀損する体制(システム)、これがわれわれの体制にほかならないのだが、それを告発する者は、この言語道断な事実(スキャンダル)を白日の下に示すべきであろう。 (『老い』上13/朝吹三吉訳 人文書院)

ボーヴォワールがこれを出版したのは1970年、62歳の時だった(老境を語るにはまだ早すぎる年齢に思えたので調べてみたところ、半世紀前の平均寿命は日本もフランスも男性が約69歳、女性が70代半ばだったようだ)。

上野先生は30代の血気盛んだった頃に「定年後の男は人間産業廃棄物」と発言して顰蹙を買う。その頃、生まれて初めて鏡の中の自分に老いの影を感じたことがあり、この本を読んで衝撃を受けたという。

文明社会と言いながら老いた人間を廃品扱いしているのはスキャンダルだと、ボーヴォワールは告発した。半世紀も前にこんなタブーを堂々と口にした人はいなかった。以来「老いは文明のスキャンダル」という一文が上野先生の脳裏から離れなかったそうだ。

廃品というのは物の喩えではない。昭和の一大ベストセラーとなった深沢七郎の『楢山節考』は実際の山村の伝承に取材して書かれた半ノンフィクションだ。日本に限った話ではない。生物学の知見では「老いた個体を扶養する動物社会はない」というし、社会学の知見では「老人を扶養する社会は35%、冷遇する社会は46%、遺棄・殺人する社会は19%」なのだそうだ。

老人の多くは古今東西、廃品扱いされてきた。控えめに言っても嫌われてきた。いわゆる"嫌老"だ。

しかし必ず来るヨタヘロ期

「人生100年時代」が官民をあげて謳われる現代、90歳を超えて生きる確率は男性で4人に1人以上、女性では2人に1人以上だ。アンチエイジングに努めてさえいれば100歳まで元気に生きられるように錯覚させられる。しかし現実は違う。健康寿命が100歳まで延びた訳ではない。実際にはフレイル(老齢で心と体の働きが弱くなってきた虚弱状態)の期間がかなり長く、平均すれば男性で8.84年、女性では12.35年をフレイル状態で過ごしており、その後も寝たきり期間が平均で8.6ヵ月あるという。

戦争でも前進戦より後退戦のほうが難しいとされるし、登山では上り坂を登るノウハウはあるが、下り坂を降りるノウハウはない。人生も同じで、前半生の"成長・発展・進歩"に関する情報は世にあふれているが、後半生の"衰退、縮小、退歩"に関する情報は少ない。老後を子どもに丸投げする高齢者や、丸投げされる側の子どもたち、そして丸投げする子どものいない高齢者、その誰もが不安を抱えている。

フレイル状態のことを上野先生は分かりやすく日本語で「ヨタヘロ期」と名付けたが「日本においてヨタヘロ期が長いのは、栄養水準・衛生水準・医療水準・介護水準が高いおかげ。本当にPPKがいいなら、栄養も衛生も医療も発達していない発展途上国に行けばヨタヘロ無しですぐ死ねる。

そして国民皆保険を達成している日本では、住宅+年金+医療+介護の体制が揃っているのだから自立しよう、おひとりさまでも最期まで在宅で過ごそう、と提唱しているんです」と上野先生は力強く語る。

障がい者などの社会的弱者に学ぼう

ヨタヘロ期が来るのに自立?どうやって?という疑問が浮かぶ。
それには「自立」のパラダイム転換が必要なのだという。そこで上野先生が着目したのは、障がい者など社会的弱者と呼ばれている人々だった。彼らは介護されつつ自立生活することのプロ。その生き方に学べばいいのだ、と。

そこで、交通事故で重度の障がい者となった中西正司氏(この方は障がい者の自立生活のためのサービスを障がい者自身が提供する「自立生活センター」を1986年に全国で初めて立ち上げた)や、新生児仮死の後遺症で脳性麻痺となった熊谷晋一郎氏(この方は東大医学部初の車いす学生となり、小児科医を経て東京大学先端科学技術研究センター准教授となった)などと「当事者研究」を行っていく。

その成果は『当事者主権』(岩波新書)や、『みんなの当事者研究/臨床心理学増刊第9号』(金剛出版)などにまとめられた。

自立とは依存先の分散である

高齢者が施設に入るとき意思決定をするのは、ほとんどがその子どもだという。しかし調査によれば高齢者の多くは「デイサービスに行きたくない」「ショートステイにも行きたくない」「暮らしを管理されたくない」「老人ホームには入りたくない」「子どもだましのリクレーションはやりたくない」「他者に自身のことを決めてほしくない」と考えているそうだ。

であれば、これからの高齢者は当事者主権を行使し、「私は生きるために誰かの助けが必要だが、だからと言ってその人に従わなければならない理由はない」と主張すればいい。それが上野先生の当事者主権研究の結論となる。
先述の熊谷晋一郎氏は「自立とは依存先の分散である」と言う。そのために介護保険があるのだから、それも使って周りに堂々と依存するべきなのだ。

「役に立たなきゃ、生きてちゃいかんか?」

女性差別を平気でする男性がいるのは、その男性が女(=被差別者側)になる可能性がないから。障害者差別も、自分が障害者になる可能性がほとんどないと思っているからできるのだろう。しかし高齢者差別についてはそうはいかない。差別をしていた人間自身が、差別をしてきた対象(高齢者)に必ずなっていくため、自己差別からくる自己否定感が最大の問題となる。高齢社会というのは、すべての人が将来にわたって多少なりとも中途障がい者になる社会なのだ。

だからこそ、成長と競争のみに価値を見いだす社会から、支え合いと分かち合いが普通に行われる社会へと、文明を造り替える必要がある。「高齢者には生産性がないというような言葉を聞くたび、私は相手の目をじっと見つめて言うんです...『役に立たなきゃ、生きてちゃいかんか?』」と、上野先生は凄みのある低い声で"実演"してみせ、会場の笑いを誘う。

「相互依存が恥ではなく、誇りであるような社会」を目指そうと上野先生はその著書『家父長制と資本制(岩波現代文庫)』で唱えている。

「フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です」というのは、例の東大入学式での先生の祝辞の一節だが、この文言の中の「フェミニズム」は、そのまま「アンチ・アンチエイジング」に置き替えることができる。女性学と老年学は意外にも似通っているのだ。「旧来の男仕立ての価値観とは違う、弱者が弱者のままで尊重される思想」こそが、これからの超高齢社会には必要だという上野先生の主張が、超高齢社会の諸問題を解くひとつの鍵となるだろう。

補記:こうした弱者が弱者のまま自立できるための支えとなる介護保険に、史上最悪の改定が行われようとしていることに、先生は怒っているという。2022年11月18日(金) 14時~16時、衆議院第一議員会館地下1階大会議室にて開催された「史上最悪の介護保険制度改定を許さない!!」院内集会の録画が公開されている。将来の自分たちの自立を守るためにも、是非とも視聴してみていただきたい。

(三代貴子)