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吉藤 オリィ「サイボーグ時代の人生戦略 ~人から必要とされ続ける生き方~」

"夢見る少年"の描く、孤独とは無縁の未来

吉藤オリィ

イーロン・マスク氏が買収したツイッター社の従業員に対し「激務か退職か」の二択を迫り、退職を選んだ人が続出したとのニュースが話題となっている。マスク氏の言う「激務」が、よく聞けば週40時間の出勤だというのには拍子抜けだが、ともあれどういう働き方を選ぶかは人それぞれ。働くか働かないかも自由だ。

ただ、こうした議論をするとき私たちがすっかり忘れていることがある。それは「働きたくても働けない人々がいる」ということ。失業者の話ではない。寝たきりの障がい者の話だ。例えば特別支援学校を出た肢体不自由児は5%しか就職できないという。

「障がい者?自分は健常者だから関係ない」だろうか?健康な青年・壮年でも事故や病気で、ある日突然ベッドから起き上がれなくなることがある。高齢者になれば出歩けない身体になったり寝たきりになったりもする。少なくとも、誰もが100%の確率で高齢者になるのだ。

働けることの有り難さ、人や社会から必要とされることの喜び。それを忘れて「働き方改革」だの「副業の是非」だの「早期リタイアFIRE」だのとあげつらっている"健常者"たちに、峻厳な現実を突きつけるのは、株式会社オリィ研究所 所長、吉藤オリィさんだ(本名は吉藤健太朗さんだが「オリィと呼んでください」とのこと)。

学生時代に開発した分身ロボット

オリィさんは早稲田大学創造理工学部在学中に「対孤独用分身コミュニケーションロボット OriHime」を開発、その普及のために2012年にオリィ研究所を設立した。そしてOriHimeを引っさげたオリィさんは2つの大きなビジネスコンテストで優勝、スタンフォード大学で開かれた世界中の学生起業家が集まるイベントでも日本代表としてプレゼンを行うなどで、メディアでもたびたび紹介された。

その頃の紹介記事は今でもよく憶えている。黒ずくめファッションのクールな風貌に、いかにも「新時代のITキッズ」といった印象が鮮烈だった(今日の講演ではこの"クール"という印象が裏切られるわけだが、それについては後述する)。

当時ちょうど民生用のコミュニケーションロボットが次々と市場デビュー、二足歩行ロボット「ASIMO」、アザラシ型ロボット「パロ」、追って家庭向け人型ロボット「Pepper」なども登場し、人気を博していた時期だった。そのためかOriHimeもそうした文脈の中で紹介されがちだった。

しかし実のところ、オリィさんのコンセプトはそれらとはやや違っていたーー。

マイナスを埋めて普通の状況にする

元来コミュニケーションという言葉は「人間が互いに意思や感情、思考を伝達し合うこと」という意味に過ぎないが、1980年代に入ってそこに情報通信技術の意味合いが付加されるようになった。インターネット普及前夜には"付加価値通信網"という言葉が喧伝された。音声などを運ぶだけの単なる通信ではなく、さまざまなアプリケーションにより双方向にリッチな情報をやりとりすることで通信に"価値"を"付加"できる、それが21世紀の通信だ、と。

90年代半ばからはインターネットのお蔭でそのビジョンが次々と現実化されて行った。

"ごく普通の通信"に価値がどんどんプラスされて行き、人間社会がとても豊かになったーーといった経過が情報通信の歴史だが、研究所を立ち上げたオリィ青年の眼差しが向けられていたのは、そうしたプラス方向への上昇ではなかった。

圧倒的な不足(マイナス)を埋めて"普通の状況"に持っていくこと。そのための通信技術であり、OriHimeなのだ。

寝たきりの親友と構想したカフェ

圧倒的なマイナスとは何かーーそれは"孤独"だ。病室や自宅から出られず好きな所に行けない、人と交流できない、働いて誰かの役に立つことができない。そうしたマイナスを抱えて苦しんでいる人が、世の中にはたくさんいるのだ。

オリィさん自身は障がい者ではないものの病弱で長期入院したり、5年もの間不登校で苦しんだりした経験があり、マイナスを抱えた人々の思いは他人事ではなかった。

オリィさんが今も親友と呼ぶ故・番田雄太氏は、4歳の時の事故により頸髄損傷となり、呼吸器を外せない寝たきり生活で24歳まで病室を出ることができなかった。学校にも行けず友達もできない絶望の20年間を過ごしていた。

2013年、オリィさんと出会った番田氏は「心は元気なのに、何もさせてもらえない。私は何のために生かされているのだろう」と嘆いたという。のちにオリィさんの秘書として勤務することになるこの番田氏との出会いが、その後のオリィさんとOriHimeの運命の歯車を大きく回すこととなるのだ。そのあたりの感動のストーリーをここに書く余裕はないので、是非ともオリィさんのnote『寝たきりの親友と話していた「自信」に対する考察』をお読みいただきたい。

番田氏は2017年に惜しくも亡くなるが、オリィさんはその翌年、番田氏と一緒に構想していた「分身ロボットカフェ」をオープンする。大型の自走式OriHimeを、パイロットと呼ばれる操作者(多くは寝たきりの障がい者)が自宅などの遠隔から操作し、接客をするカフェだ。

健常な若者でもいきなり就職するのは大変だが、学生時代にアルバイト店員などで社会経験をすることで、それをステップに社会に巣立って行く。同様に、長年引きこもりや入院をしていた人がいきなり働くのは難しい。だから分身ロボットカフェでの接客経験をステップに社会に出るというコンセプトだ。

めざしたのは存在の伝達ツール

このカフェで働く優秀なメンバーはどんどん引き抜きにあう。これまでカフェで働いてきた70人のメンバーのうち30人がさまざまな企業にヘッドハンティングされて行った。そこでオリィ研究所では定款を変えて人材紹介業も業務内容に加えたというほどだ。「OriHimeが目指したのは情報の伝達ツールではなく"存在の伝達ツール"なんです」とオリィさんは言う。

カフェだけでなく研究所の方でもさまざまな障がい者が社員として働いている。中でもALS(筋萎縮性側索硬化症)を患って元々いた職場を退職せざるを得なかったという人々には、外務官僚だった人や博報堂のバリバリの営業マンだった人、スタンフォード大学の研究者など、非常に優秀な人が多い。メリルリンチ証券で会長を務めていた人がALSの発症を機にOriHimeの利用者となり、オリィ研究所にエンジェル投資してくれたり、のちには顧問になってくれたりもしたという。

世の中は身体が動かせることを前提にデザインされているので、こうした優秀な人々でも寝たきりになった途端に仕事を辞めざるを得ない。身体障がいは、何より"環境の障がい"だという。これは社会にとっても損失なので、そういう人々の才能を活かせる社会をデザインしていくことがオリィ研究所のパーパスだ。

オリィさんはこうした障がい者のことを敬意をこめて「寝たきりの先輩」と呼ぶ。講演中は何度も「寝たきりの先輩」という言葉を発していた。「寝たきりの先に憧れを作りたいんです」、「身体が動かなくなっても孤独とは無縁で、死ぬ瞬間まで人生を謳歌することのできる未来を作りたい」と、楽しげに語る。

さまざまな夢を形にしていく熱量

演壇のオリィさんの語りは徐々に熱を帯び、それにつれて笑顔もこぼれ、出身の奈良のアクセントが強くなって行く。35歳の経営者というよりも、夢を語る少年にしか見えない。

途中「余談ですが」と断り、トレードマークの黒ずくめファッションの秘密について語り出した。ロングのトレンチコートのように見える黒い上着は、実は"黒い白衣"なのだという。研究者や医者は白衣を着ていることで「威厳があってカッコいい」。「でも個性がない。だから私は学生時代に自分で黒い白衣をデザインしたんです」というのだ。

色の斬新さだけではなく非常に多機能だ。まず左右のポケットには底がなく、上着をめくることなくズボンのポケットにアクセスできるため、財布やスマホをスマートに取り出せる。右の内ポケットにはノートPCを、左の内ポケットには長い傘を丸ごと収納できると説明しながら、マジシャンのように次々取り出して見せる。袖口には手袋が折り込んであり、寒い時にはサッと出せる。さらには裾広がりになっており、深いベントが施してある。「だから歩くと裾が美しくなびくんですよ、ほらね」と言いながらステージを歩き回って見せる。その目は悪戯っぽくキラキラと輝き、かつて抱いていたクールというイメージが、良い意味で裏切られていく。

自分をカッコよく見せたいという夢も、寝たきりの先に憧れを作りたいという夢も、オリィさんにとっては同じ熱量をもった目標。工学部出身の機械オタクという範疇を遥かに超え、ファッションから人材紹介業まで、ワクワクしながら創ってしまう。そんなオリィさんの物創りの歴史は、最新のnoteに詳しい。是非お読みいただきたい。
note『「孤独の解消」を生涯のテーマに決めてから倍の時が流れて

(三代貴子)