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山縣亮太選手に聴く、「10秒の壁のその先で」

山縣亮太<img alt=号砲が鳴る。
男子100m走。
最速の男たちによる、わずか10秒の死闘。
果て無き努力、終わりなき苦しみ、ストイックを極めた者だけが掴める勝利。
そして勝負を決めるのは精神力――。
...講演前に抱いていた、そんな勝手なイメージは、しかし、山縣亮太選手の言葉によって次々と覆されていった。

「順位や勝ち負けよりも、自己記録の更新のほうが大事です」
「気持ちが乗り気でなくても、体調が良ければ記録は出ますよ」
「ケガで一年間試合に出られなくても、ストレスは感じませんね」

こんな言葉がポンポンと発せられるのだ。笑顔とともに。なんとポジティブな。

「いや、自分では、ネガティブだと思っているんですが」

うーん、これでは9秒95の日本記録を達成した走りの秘密には迫れない。もう一度、スタートラインから辿りなおしてみよう。

広島の野球少年だった山縣選手が、陸上競技に目覚めたのは小学五年生の時。
だが進学した修道中高の陸上部には、専門的な指導をする顧問がいなかった。
部員たちは、練習メニューを自分たちで考え、話し合って決めていた。
コーチの不在を制約とは思わず、むしろ「自由」と捉えて、考えて走ることの楽しみを覚えた。
その後も、慶應義塾大学、セイコーHD、と敢えて指導者のいないところを選んできた。

「指導者がいなくても、強い選手はいました。それはつまり、自分次第で強くなれる場所だということです」。そして「そこで強くなれたらカッコいい」。明快だ。

言われたことをやるのではなく、自分で考えたことをやる。
ある方法を試してみて、効果が出なくても、すぐにはやめない。
なぜうまくいかなかったのかを考える。失敗からの学びの積み重ねが成長をもたらす。
そして成長の実感は何よりのモチベーションになる。

「いい時も悪い時も、自分の結果を受け入れて、言葉で説明できるようにします。なぜ10秒0だったのか。なぜ10秒01ではなかったのか。なぜ9.99ではないのか。
そう考えることが自分を高めていくのです」

少しでも速く走るために、考えるべきことは山ほどある。
腕の位置ひとつとっても、わずかな違いがタイムに大きく影響してくる。
フォームから、食事の採り方まで、何十、何百とあるポイントのひとつひとつについて、試行錯誤を繰り返し、あるべき姿を探り当て、それを身体に叩き込む。
膨大な練習時間はそのためにある。

でもひとたびレースとなれば話は別だ。
考えすぎてはいけない。十も二十も考えている暇はない。ポイントはせいぜい三つまで。
コースに立ったら、5m先の自分を想像する。
走りながら、常に5m先の自分を思い浮かべ、そのイメージに飛び込んでいく。
いや、そこに吸い込まれていくというべきか。
0.5秒先の、未来の自分に導かれながら、現実の世界に足跡を刻んでいく。

昨年、10秒の壁を破り日本記録を更新した山縣選手。
今年、初めて本格的なコーチにつくことにした。
自ら考えるやり方を放棄したわけではない。ただ、一緒に考えて言葉のキャッチボールをしてくれる相手を、自分の外に求めることにした。

「スタイルを変えることに不安はありませんでした。変わらないことの方が不安でした」

これまでのやり方を極めた山縣選手だからこそ、その限界も感じられたのだろう。
更に高みを目指すための決断だった。

多くの試行錯誤の代償に、ケガも人一倍経験してきた。

「ケガは残念なことですが、そこには必ずヒントがあります」

ケガをするのは、自分の走りの何かがまずいということ。それが何かを考え、修正する。それが自己ベストの更新につながる。
この一年もケガのためにレースからは遠ざかっている。
普通なら焦りやストレスに苛まれそうな状況だが、山縣選手に悲壮感はない。

「その分、時間をかけて、いろんな新しいことにチャレンジできています。二十年かけて作ってきた身体を、一年掛かりで、もう一度つくりなおしています」

このポジティブさ、前向きさはどこから来るのか。

「無理にポジティブになろうとはしていないです。でも、何か起こると、それは自分にとってチャンスなんだ、と自然に考えています。自分にとってはそれが当たり前なので、ポジティブですね、と言われてもあまりピンと来ません」
「むしろ自分では、ネガティブな存在だと思っています。レースの前には、ああなったらどうしよう、こうなったらどうしよう、とあれこれ考えてしまいます。自信満々で走っているわけではありません。だから練習で準備をします」

わずか100m、たった10秒。ひとつのミスが命取りになる競技で、いかにしてミスを防ぐのか。やはり最後は精神力なのか。これについて山縣選手は意外なことを語った。

「フィジカル・メンタル・テクニックのうち、一番大事なのはフィジカル。次にテクニック。メンタルはせいぜい10%」
「失敗しないかと言えば、10秒の間に、自分は失敗しています。他の選手も失敗しています。みんな失敗しています」
「大事なのは、失敗しないことではなく、失敗を引きずらないことです」

メンタルが強いとか弱いとか、そう気にすること自体が、かえってメンタルの問題を大きくしてしまうのかもしれない。フィジカルやテクニックに集中すること、それが結果的にメンタルへの過度な意識を遮断してくれるのだろうか。

「結果にモチベーションを左右されることで、人は、メンタルをやられてしまうんじゃないでしょうか。だから、結果に重きを置かないことです」
「では自分は、何のために走っているのか」
「自分は、自分を幸せにするために走っています」

そう言う山縣選手の顔は、確かに、走ることの幸せに満ちていた。

スプリントと呼ばれる短距離走には、100m走のほかに200m走、400m走もある。似て非なる100m走と200m走について、山縣選手はこう語る。

「100m走は、例え身体がバラバラでも記録を出せる可能性があります。ただしそれは再現性のない、一過性の記録です」
「200m走は、身体の調和が取れていないと記録が出ません。だから200m走をきちんと走れることは、土台になります。その状態で100m走を走れれば、再現性のある記録が出せます」

より長い距離を走れる力が、短い距離を正しく駆け抜ける基盤になる。
そこから敷衍して言えば、10秒を正しく走る力は、その前の、もっと長い時間の過ごし方で培われるのではないか。それは20秒とか1分とかではなく、何年も何十年も、というタイムスパン。

マラソンなどの長距離走の場合、ランナーは、数十分も走り続けるうちに「ランナーズ・ハイ」と呼ばれる多幸感に包まれることがある。これは、長時間走ることによる苦しみを脳内物質が和らげようとしている、とも言われている。
100m走のような短距離走では、ランナーズ・ハイは訪れない。そこに到るずっと手前でゴールが来てしまう。
でも山縣選手の場合、レースの10秒間ではなく、そこに至るまでの過程が、スプリンターとしての多幸感に包まれているように感じられる。

「スプリンターズ・ハイ」。
走者の脳内だけでなく、周囲で観ている人すべてを幸せにする、魔法のチャーム。
100mを走っているのではない。この人は人生を走っているのだ。

(白澤健志)