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阿久津 聡「健康経営ブランディングのすすめ」

健康経営というキラーワード

阿久津聡リモートワークが一区切りついたところで、「24時間戦えますか~」と鼻歌を歌っていたら、Z世代の息子が「何それ?ブラック企業のテーマソング?」と訊いて来た。
「バブル時代のサラリーマンはね、栄養ドリンクをキメながら徹夜仕事することが誇りだったのよ」と答える。

「マジか」Z世代の返事は総じて短い。

バブルは遠くなりにけり。思えば若者の会話も労働時間も、ずいぶんと短くなったものだ。
ノー残業デーだとかワークライフバランスだとかプレミアムフライデーだとか、さまざまな取り組みで後押ししてもなかなか進まなかった「働き方改革」も、新型コロナ感染拡大を奇貨としてリモートワークを中心に一気に進んだ。
 
「カメラに映る上半身はワイシャツだけど、下は短パンなんですよ」などと語る男性も多い。時間や場所だけでなく、着る物に代表される勤務スタイルの制約からも解放されるニューノーマル時代の到来だ。

そんな自由な働き方がすっかり当たり前のものとなった2022年夏、健康経営(R)ブランディングをテーマとした夕学五十講を聴講した。

ピカピカの経歴の教授の登壇

講師は一橋大学大学院経営管理研究科教授で日本マーケティング学会副会長の阿久津 聡先生だ。
事前に経歴を調べて驚いた。「駒場東邦中学校・高等学校を経て一橋大学商学部卒業。中学、高校、大学でそれぞれ留学。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了(商学修士)。一橋大では竹内弘高に師事し産業組織論、戦略論などを学んだ。その後フルブライト奨学生としてカリフォルニア大学バークレー校ハース・ビジネススクールに留学し、ゲーム理論や心理学の勉強も始め、MS(経営工学修士)取得後、行動経済学の論文によりPh.D.(経営学博士)を取得。指導教官はデイヴィット・アーカー。カリフォルニア大学バークレー校経営研究所研究員として、一橋大時代から指導を受けていた野中郁次郎一橋大教授とナレッジマネジメント研究にあたる。その後一橋大学商学部専任講師などを経て現職(Wikipediaより引用)」

「マジか」私も思わず呟く。

中高大と留学し、さらにフルブライト奨学生となり、竹内弘高教授やアーカー教授に師事し、野中郁次郎教授と研究...。あまりにピカピカの経歴に目眩がする。

果たして、登壇された阿久津教授を見て納得。まるでジャニーズのような風貌と優雅な物腰。これぞ国際的な経営学者という尊さに目は釘付けになる。

産業保健体制から健康経営への歴史

経営と健康との関係の歴史は古い。明治政府が近代国家建設の過程で、英国などの先進国に倣って早々に工場法制の制定をめざし、1897(明治30)年から帝国議会への法案提出を開始。紆余曲折を経て1911(明治44)年に制定された「工場法」が1916(大正5)年に施行され、ここから日本の労働者保護の歴史が始まったという。これが後に1947(昭和22)年に労働基準法へと発展、さらにここに定められていた「安全及び衛生」の規定が分離する形で、1972(昭和47)年に労働安全衛生法が成立した。

労働安全衛生法では経営側への義務が数多く定められたが、その中で「労働者の健康保持増進」が謳われた。経営側が従業員の健康に配慮することが責務となったのだ。こうした取り組みは「産業保健体制」と呼ばれる。

一方、1990年代に入るとアメリカで『The Healthy Company』(Rosen and Berger)といった論文が発表され、Johnson & Johnson社の健康経営による業績向上が注目されるなど、社会的・経済的背景からの「健康経営」という考え方が生まれた。

わが国でも2006年に特定非営利活動法人・健康経営研究会が発足し、法令遵守を超えた経営的視点で従業員の健康をとらえる考え方が誕生。経済産業省が「健康経営銘柄」や「健康経営優良法人」を認定する制度がスタートするなどにより、多くの企業が健康経営に取り組むようになった。

健康投資1ドルに対し3ドルのリターン

従来の「産業保健体制」が守りとするならば「健康経営」は攻めであり、経営的なリターンを狙った、従業員の健康への投資といえる。もちろん投資というからにはリターンが求められる。ではどのようなリターンが見込めるというのか。

例えば先述したJohnson & Johnson社では「健康投資1ドルに対して、3ドルのリターン」があったという。

健康投資1ドルの内訳は、健康・医療スタッフ等の人件費、保健指導等利用費とシステム開発・運用費、診療施設やフィットネスルーム等の設備費。対する投資リターン3ドルの内訳は、欠勤率の低下やプレゼンティーイズムの解消等による「生産性の向上」、傷病手当の支払い減や長期的医療費抑制による「医療コスト削減」、家族も含めた「モチベーションの向上」、「リクルート効果」、ブランド価値や株価上昇を通じた企業価値の向上による「イメージアップ」だった。

阿久津教授によれば、日本における健康経営についても「外部からの評価(=イメージ)が高まると採用応募者数の増加や社員の誇りが高められ、内部的なモチベーションアップや離職率減も期待できる」という。

健康経営ブランディングが企業を強くする

では、その健康経営を企業ブランディングに組み込むことの効果とは何なのか。まず誰もが想起するのは、近年とみに高まっているSDGsやESG投資など、社会全体の持続可能性への取り組みニーズへの呼応だ。

例えば製薬大手のエーザイでは、早くも1990年に内藤晴夫代表執行役CEOのもと「エーザイ・イノベーション宣言」を発し、ヒューマン・ヘルスケア(hhc)を企業理念に。2005年の株主総会でhhcが定款に規定され、株主とも共有。「統合報告書2020」では、日本企業として初めてESGの取り組みが企業価値の向上につながることを立証する実証実験の研究成果を公表した。

また丸井グループはビジョン実現のためのウェルネス経営文化の醸成を行い、その成果として人件費の削減とワーク・エンゲイジメント向上を達成、同時に2021年、4年連続で「健康経営銘柄」に選出、増収増益を達成し、コロナ禍でも株価を維持することに成功している。

こうした事例が示す通り、健康経営ブランディングによって企業ブランドの理念への共感が社員のワーク・エンゲイジメントを高め、それによって企業のパフォーマンスが上がり、外部からも評価され、さらにそれが企業ブランドの理念への社員の共感を強めるという"らせん状に上昇するサイクル"が生み出される。

重要度が増すワーク・エンゲイジメント

「産業保健の基盤に立って、企業理念の共感と実現を通して、従業員のワーク・エンゲイジメントを向上させ、バーンアウトを抑制することによって、生産性の向上と従業員の健康保持・増進を実現する持続可能な経営手法」というのが阿久津教授の考える健康経営(=健幸[ウェルビーイング]経営)なのだ。

リモートワークやジョブ型雇用など新しい働き方の中では、従来のような"長時間を社内で共に過ごすことで生まれる紐帯"には頼れない。何より重要になってくるのは従業員のワーク・エンゲイジメントだろう。

折しも、コロナ禍なのに社員の健康に配意しない企業からは転職してしまう若者が続出しているというニュースが流れた。それを見ていた息子が反応する。「それな!」。

少なくともジャッジの素早いZ世代を惹きつけるには、健康経営ブランディングは不可欠のようだ。

※「健康経営(R)」は、NPO法人経営研究会の登録商標です。
※「健幸」という造語は事業構想大学院大学の西根英一氏によるものです。

(三代貴子)