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石井遼介氏に聴く、心理的安全性のつくりかた

石井 遼介

新入社員の皆さん、初めまして。そして、私たちの職場へようこそ。
今、皆さんは、期待と不安で胸いっぱいだと思います。いや不安のほうが大きいかな。
ここでどんな仕事をするのか、職場の雰囲気はどうなのか、気になりますよね。
仕事の内容は後で説明するとして、その前に大事な話をひとつ。
今、私たちの職場で最も大きな課題は、「心理的安全性」の確保です。
...そう聞くとなおさら不安になるでしょうか。
「じゃ、今は心理的に安全じゃないのか?」「どんだけパワハラな職場なんだ?」と。
いやいや、心理的安全性って、パワハラの有無といった単純な話じゃないんです。
では、どういうことなのか。
先日、『心理的安全性のつくりかた』という本の著者、石井遼介さんの話を聴く機会がありましたので、それも踏まえてお話しさせてください。

心理的安全性」、そもそもは歴史あるテーマなんです。MITのエドガー・シャイン教授とウォレン・ベニス教授が最初に「組織の心理的安全性」を論じたのが1965年のこと。以来、多くの研究者が様々な切り口でこのテーマに取り組んできました。
その一人、ハーバード大学のエイミー・エドモンドソン教授は「チームの心理的安全性」に着目しました。ある企業の51のチームを対象にした実地調査から、彼女は「心理的安全性がチームの学習行動を促進しパフォーマンスを向上させる」ことを明らかにしました。
1999年に発表されたこの研究論文は、年を追うごとに多くの研究者に引用され、今やその累計は9000回にも及びます。
ですが、学術分野での人気とは裏腹に、ビジネス界ではあまり話題になりませんでした。

それが世間に「発見」されたきっかけは、かのグーグルでした。
あるとき同社は、「最高のチームをつくる要因は何か」を突き止めようと、社内の180のチームを対象にした調査プロジェクトを立ち上げました。各チームを構成するメンバーのスキル、性格、経歴などを調べ、多様なメンバーの多様な組み合わせが比較検証されました。しかし、どの要素も、各チームのパフォーマンスの高低の差を説明することはできませんでした。
やがて彼らはエドモンドソン教授の論文に巡り合い、「心理的安全性」というキーワードを発見します。そして「心理的安全性」の高低こそが、チームのパフォーマンスの高低をもっともよく説明できる要因であると気付いたのです。
グーグルのように選りすぐりのエリートで構成される会社でも、そのメンバーが能力を十分に発揮するには、チームの心理的安全性が担保されていることが不可欠だったのです。2016年にこの結果が公表されると、「心理的安全性」というワードは瞬く間に世界を駆け巡りました。

この反響を受けて、エドモンドソン教授は2019年に書籍『恐れのない組織 「心理的安全性」が学習・イノベーション・成長をもたらす』を上梓します。これにより心理的安全性の考え方がビジネス書のレベルで世界に広まりました。邦訳は2021年に出ましたが、日本では2020年に石井遼介氏が『心理的安全性のつくりかた』という本でいち早く心理的安全性の考え方を解説しましたので、こちらで概念を知ったという方も多いと思います。

さて、心理的安全性とは何か。エドモンドソン教授の1999年の論文では、「チームの中でリスクをとっても大丈夫だ、という、チームメンバーに共有される信念のこと」と定義されています。
石井さんはこれを「地位や経験に関わらず誰もが率直な意見・素朴な疑問を言うことができる組織・チーム」と言っています。こちらの言い回しの方が分かりやすいかもしれません。

心理的安全性がない職場では、何が起こるでしょうか。石井さんはこう述べます。

  • 課題を見つけて報告しても「じゃあやって」と言われ自分の仕事が増える
  • 新しいアイデアを共有してもダメ出しだけされる
  • 挑戦しても失敗したら犯人捜しが始まる

こうして、罰や不安を与えるチームの中で「話しづらい」職場が出来上がっていきます。

職場が「話しづらい」と、何が起こるでしょうか。
人々は、無気力に陥り、不安に絡め取られます。気がかりなことがあっても口に出さず、見過ごし、問題から目を背けます。それが大事故や大事件に帰結することもあります。
エドモンドソン教授はいくつもの実例を挙げていますが、ここでは「テネリフェの悲劇」を紹介しておきましょう。

1977年、スペイン領カナリア諸島のテネリフェ空港で、ジャンボ機同士が滑走路上で正面衝突する事故が発生しました。濃霧の中、片方の便の機長が、管制塔から許可を得ないまま離陸滑走を始めたことが直接の原因でした。
副操縦士は、離陸許可を得ていないことに気付きながら、離陸を急ごうとする機長にそのことを強く言えませんでした。航空機関士は、「まだ滑走路上に他機がいるのでは?」と機長に懸念を伝えましたが、「大丈夫!」と強い言葉で否定されると、それ以上は言えず、スロットルレバーを離陸位置にしました。
十数秒後、両機は滑走路上で衝突し、大破。あわせて583名もの尊い命が奪われました。民間航空史上最悪の犠牲者数という不名誉な記録は、半世紀近くたった今も破られていません。それは、「言えなかったこと」が生み出した悲劇だったのです。

さて、心理的安全性をつくるのは誰でしょうか。
リーダーの役割は決定的に重要です。エドモンドソン教授も「心理的安全性はリーダーによってつくられる」と言っています。
彼女は、世界中の良きリーダーたちの姿を紹介しています。その中で、外国のビジネスパーソンらに混じって、日本人の増田尚宏氏が紹介されているのは特筆すべきでしょう。

東日本大震災で爆発事故を起こした福島第一原発のことは誰もが知っています。
でも、間一髪でそれを免れた福島第二原発の奇跡は、日本ではあまり知られていません。
絶望的な状況で、それを成し遂げたのが、当時福島第二原発の所長だった増田氏でした。
私も直接お会いしたことがありますが、増田氏は、決して強権的なリーダーではありません。穏やかで、ユーモアを絶やさず、明るく前向きなムードをつくって人々を束ねるリーダーです。部下を信じ、意見を聞き、即断即決、しかし自分が誤っていたらすぐに謝り修正する。柔軟だけれども芯の強い、レジリエントなリーダーです。

そんな増田所長と福島第二原発を襲ったのが、津波による原子炉冷却装置の喪失でした。
本震、余震、津波、停電、そしてメルトダウンの恐怖。どう見ても物理的に安全とは言い難い職場で、数百名の所員が不眠不休でも的確に危機対応に当たれたのは、増田所長の言葉や振る舞いが、その場を「心理的に安全なもの」にしていたからにほかなりません。そして所員は、持てる能力をすべて発揮し、突貫作業で電源ケーブルをつないで、タイムリミットの2時間前に冷却装置を復旧させることができたのです。

増田氏は優秀なリーダーでした。しかし、リーダーが優秀でないと「心理的安全性」のある組織はつくれないのでしょうか。自らを見失ったリーダーの下では、テネリフェのコクピットクルーのように、沈黙し、運命を受け入れなければならないのでしょうか。
いえ、そんなことはありません。エドモンドソン教授は語っています。
「リーダーになるのに、上司である必要はない。リーダーの仕事は、最高の仕事をするためにすべての人が必要とする文化をつくり育てること。その役割を果たしているときは常に、あなたはリーダーシップを実践しているのである」。

そう、「心理的安全性」をつくる後押しは、誰にでもできるのです。まだ職場に染まっていない新入社員の皆さんでも。いや、そういう皆さんだからこそ気付けることがあるのです。だから、それを口に出してください。素朴な質問をするだけでもいい。そうした、ひとりひとりのちょっとした振る舞いが、職場の雰囲気をつくっていくのです。

テネリフェ事故の反省から、航空会社は「クルー・リソース・マネジメント」(CRM)と呼ばれる訓練を開発しました。この中でパイロットは、相互に謙虚に懸念を指摘することの大事さと、それを言いやすい雰囲気のつくりかたを肌感覚で学びます。例え間違った指摘であっても、言われた側は、指摘してくれたことに感謝する。アサーションと呼ばれるこの取り組みは、今ではコクピットだけでなくあらゆる職場に浸透して、ヒューマンエラーを防ぐのに役立っています。皆さんも、今日からその新鮮な眼で積極的にアサーションしてくださいね。

あ、心理的安全性の話ばかりしてしまいましたが、大事なのはそれだけではありません。
よく誤解されるのですが、心理的安全性のある職場とは、ムリせずラクに過ごせる職場、いわゆる「ヌルい職場」ではありません。それは「心理的安全性は高い」が「仕事の基準が低い」職場です。私たちが目指すのは「心理的安全性も仕事の基準も高い」職場。日々の健全な衝突を通じて「学習し成長する職場」です。だから仕事はそれなりに大変ですよ。ちなみに、心理的安全性が低く仕事の基準が高いのは「キツい職場」、どちらも低いのが「サムい職場」。こんな職場にはしたくありませんね。

ともあれ、皆さん、私たちの職場、ともに学習し成長しあえる場にようこそ。今日、皆さんの第一歩に立ち会えたのは、私にとっても光栄なことです。あらためまして、入社おめでとうございます。そしてこれからも末永くどうぞよろしく。

(白澤健志)