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ヒトを人間たらしめるもの 長谷川眞理子さん

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今回の夕学では「認知の進化と感情の進化」と題し、総合研究大学大学院学長の長谷川真理子先生が講演をされた。

長谷川先生は自然人類学がご専門。この自然人類学とは、「ヒト」という動物を生物学的に研究する学問のことである。また10年ほど前からはご自身の専門を超え、心理学、文化人類学、社会学、経済学の専門家らとともに、「ヒト」について多角的に研究する学際的な場をも創設してこられた方だ。

この長谷川先生のお話で印象深かった内容のひとつが、1848年に起きた「フィニアス・ゲイジ事件」。当時、アメリカの鉄道建設の現場で働いていたフィニアス・ゲイジという男性の頭部に、鉄の棒が突き刺さったという事件である。鉄の棒は、彼の顔の横から頭頂部に向かって貫通したのだが、ゲイジは命を落とすことなく、その後10年以上も生存した。日本でいえば江戸時代末期の出来事である。
事故後のゲイジの様子はどうであったか。言語は大丈夫。計算もできた。論理的推論もできた。記憶も失われていなかった。であるがしかし、元通りのまともな生活を送ることはできなかった。なぜか。

ゲイジの脳の損傷部位は前頭葉。また、前頭葉と大脳辺縁系との連絡部位も切断されたという。そのことによる影響が、彼の原状回復を不可能としたのである。
これらの損傷により、ゲイジは個別の能力が保たれていたにも関わらず、それらを全体として制御することができなくなった。例えば、きちんと計画を立てて采配を振るうようなことは事故後できなくなった。やるなと言われたことも、やってしまうようになった。自分自身の動機付けも、自己制御も、難しくなったのだ。

前頭葉とは、思考したり、判断をくだしたり、行動を制御したりといった働きをする場所。ゲイジは、それらの働きを失ったことで、元の生活を送ることができなくなってしまったのだった。
また、大脳辺縁系とは「爬虫類脳」とも呼ばれ、ヒトの情動を司る部位である。情動とは「快、不快、怒り、喜び、悲しみ、驚き、好奇心」などの心の動きで、ゲイジはこの大脳辺縁系と前頭葉とをつなぐ部位が切断されたことで、情動のコントロールもできなくなってしまったという。

これらの話を聞きながら私は、動物である「ヒト」を「人間」たらしめているものとは、言語や記憶などの個々の機能ではなく、あるいはそれらの機能を足し算しただけの集合体でもなく、それらが全体として調和をとりながら、時に欲求をコントロールしたり、感情と理性とを天秤にかけたり、記憶に感情を結び付けたりという、何かもっと体温のある有機的なものという実感をもった。感情や情動といった何か体温のあるような脳の機能こそが、ヒトを人間たらしめる。
一方で、感情や情動といったどこか曖昧にも思われる心の動きが、前頭葉や大脳辺縁系といった脳の働きであると明確に説明されることが、面白くも感じた。深淵を覗くというか、宇宙の神秘をチラリと見せられたような気がしたのだ。

もう一つ、長谷川先生のお話で印象に残った点がある。
チンパンジーにはできないがヒトにはできる「高度な認知」について説明される中で、「入れ子的構造の理解(nested structure)」という用語が紹介された。ヒトだけが「入れ子構造」を理解できるのだと。
入れ子構造とは、私の理解によればだが、何かを何かに入れ、それをまとめてまた別の何かに入れ、、、というつくりのことで、例えばこれを文章で言うと英語の「関係代名詞」で表現されるような構造のことである。
「猫が好きな私と、犬が好きな君とが、アフリカ行きの船の上で初めて出会い、共に旅をすることにした」という文章なんかはまさにそうだ。
また言葉に限ったことではなく、道具についても、石を研磨して刃をつくり、木材を加工して杖をつくり、その加工したものどうしを結んで武器をつくり、、、という二次加工も「入れ子構造」ということになるらしい。

なぜこの「入れ子構造」が今回印象に残ったか。 私のこの感覚を共有していただける方がいるかどうかはわからないのだが、私は何を隠そう「関係代名詞」が好きなのである。
確かあれは高校の頃だったと思うが、英語の授業で「関係代名詞」を初めて学んだ。私はその時、関係代名詞の登場により、文章がものすごく知的になり、表現する内容の複雑性も、格調も、ぐいっと上がるように感じたことを、今回の講演を聞いて思い出したのだった。こういう表現の手法があるのかという驚きと共に、関係代名詞を知ることで表現のステージが1つ上がったように思ったあの日。The man who laughs...という表現の、なんと知的であることか。高校生の私には、関係代名詞はとても新鮮だった。
それがチンパンジーには理解できないと聞き、なるほどそうだろうと思った。関係代名詞をチンパンジーが理解できようはずがない。入れ子的構造は、人間ならではの表現、あるいは創作活動なのであろう。

私には6歳になる息子がいる。最近ではずいぶん言葉巧みにいろいろなことを表現するようになったが、まだまだ幼さも残る。舌足らずの点も多い。
長谷川先生のお話をうかがったあと、息子が話す内容を観察してみた。入れ子構造になっているような、いないような、まだそんな段階にいる彼。
彼の言語能力を無理に引っ張り上げるつもりはないけれど、「入れ子構造」の言葉を巧みに使いこなせる人に成長してほしいと初めて思った。まもなく始まる彼の夏休みには、入れ子構造への理解と表現手法とを親子で磨いてみたい。

(松田慶子)