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7つの証言に聴く、西川悟平氏というキセキの調べ

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証言#1 中学校のブラスバンド部の顧問

はい、チューバ吹きだった西川悟平君に初めてピアノを教えたのは私です。
「チューバで音大を受けたいけど入試科目にはピアノ演奏もある。自分はピアノを弾けないので教えてほしい」とお願いされて。
筋はよかったです。何より楽しそうでした。
でもある時、「ピアノって面白い!僕はピアノで受験する!」と言い出して。
私は言いました。「そんなの絶対無理。ピアノ科の受験生なんて、みんな3歳から英才教育。15歳からやって受かるわけがない」。
何度言っても彼の決意は変わらなかった。そして最後には受かったんですよ。すごい努力をしたんでしょうね。
でも、そんな彼に、私は最初から最後まで否定の言葉しか投げなかった。ほんとうに申し訳ないことをした。いつか謝りたいと思っていましたが、先日、演奏会後のロビーで、三十年ぶりに彼に謝ることができました。
「先生のおかげで、僕は今ここにいる」。彼の笑顔に救われました。

証言#2 ピアノの調律師

ピアノを見れば、その人がどれだけ弾き込んでいるかわかります。
彼の場合、ハンマーが擦り切れていました。本物です。
職業柄、私にもいろんなコネがあります。その時は、大御所の来日公演の前座が一枠空いていました。やってみないか、と持ち掛けると、彼は「勤務先の和菓子屋が繁忙期で時間がない」という。
就職難でピアノの先生になれなかったのは仕方ありません。が、それは繕った言い訳に過ぎません。本当は人前で演奏するのが怖かったのでしょう。
「君にないのは、時間じゃなくて自信」。そう言って、半ば強引に彼を舞台に引き上げました。

証言#3 NYから来た大御所

演奏会の前座に若手が出るのは珍しくない。だが、その日のショパンのバラードは奇妙だった。極度の緊張が彼の指先から鍵盤に溢れ出し、何度かメロディが止まりかけた。
やっとの思いで演奏を終え、楽屋で落ち込んでいた彼に、私は言った。
「ユニークなショパンだったね。技術は足りなかったかもしれないが、心は表現できていた。きみ、仕事は?」
「和菓子屋の販売です」
「そうか。それは良い。ところでそれは、君が本当にやりたいことなのかね?」
「...はい、和菓子は好きだし、職場も楽しいし、幸せです」
「そうか。それは素晴らしい。で、それは、君が本当にやりたいことなのかな?」
「...」
「本当にやりたいことはなんだい?」
「...できれば、もっとピアノが上手くなって、世界中を演奏してまわりたい...」
「ならば、何を待ってるんだい?僕らが面倒を見るから、今すぐNYにおいで」
そして数か月後、彼は来た。猛練習の末、その二か月後にはリンカーンセンターのステージに立っていた。翌年にはカーネギーホールへのデビューを果たした。活躍の場はどんどん広がっていった。すべてが順調だった。相変わらず緊張が強いことは気になったが、そこからゴヘイの身体に異変が忍び込んでいたことには、全く気付かなかった。

証言#4 5人の医師

セカンドオピニオンという言葉はあるが、5人も違う医者を訪ねるなんて普通じゃない。
ま、それだけ受け容れ難い診立てだったということだ。
そりゃそうだろう、ピアニストが、活躍の絶頂期にだんだん指が動かなくなって、「あなたはジストニアという不治の病で、ピアノは一生弾けない」と言われたんだから。
でも我々5人は個別に診察し、揃って同じ判定を下した。あなたの指は動かない、ピアニストなんて夢のまた夢、と。
そして月日が流れた。あるとき、彼から寄付の申し入れがあった。
「あなたたちが動かないと宣告した指が、チャリティコンサートで1億7千万円を集めた。これを難病治療のために贈りたい。ただし条件がある。もう誰にも、絶対に、『あなたの指は治らない』なんて言わないでほしい」。
もちろん私たちは彼の言いつけに従うことにした。
最初の診立てが不十分だったとは思わない。でも、彼は、自らの力で運命を変えた。医学の常識を変えた。世界を変えたんだ。

証言#5 幼稚園児たち

うん、そのひとは、えんちょうせんせいのともだちで、ぴあのをひいてくれたよ。「きらきらぼし」をひいてくれたんだ。
さいしょはちょっと、こわいかお、してた。
ぴあのがこわいみたいだった。
でもぼくたちが、うたって、おどっていたら、すぐにぼくたちとおなじ、えがおになったよ。たのしかったよ。
あとでせんせいが、「れんしゅうして、つかえるようになった、ごほんのゆびだけでぴあのをひくなんて、すごい」っていってた。
ぼくたちは、ゆびのかずなんてぜんぜんきにしなかったけどね。

証言#6  会場のピアノ

今夜は、ときどき演奏付きの講演会ということで西川さんと一緒に久しぶりにステージに上がらせていただきました。もちろん弾く人によってタッチは違うんです。でも今夜の弾かれ方は、ほんとうに初めての経験でした。鍵のひとつひとつが、叩かれるというより、とても繊細な力で押し下げられる。浅く、深く。何か大切なものを扱うかのように、そっと、丁寧に。といって弱々しい音ではないんです。鍵盤の奥に押し込まれた音たちが、次々に包みあい、響きあって、レジリエントな音色を奏でていく。
はい、触れる指は7本だけ。でも、何かが足りないという感じはありません。1本1本の指が自律しながらも補い合い、助けあって、むしろ10本指よりも豊かな音の世界に感じられます。全部の指が動く人には、辿り着けない世界かもしれませんね。

証言#7 10本の指

そう、僕らはいつでも10本でひとつ。
彼が、ピアニストとして、息もつけない速さで成功のステップを登る間、僕らはひとつになって鍵盤を駆けまわりました。やがて緊張が、彼の心に収まり切れず溢れ出たときも、僕らはみんな同じように塗り固められました。
なんでそんなことになってしまったのか。ほんとうのところは僕らにもわかりません。とにかくそれは指ではなく、脳の障害なのだそうです。
そんなふうになってしまった僕らを、西川さんは、時間をかけてゆっくり、ゆっくり、1本ずつ解きほぐしていってくれました。お医者さんの宣告に反して指が動くようになった理由も、だからほんとうのところはよくわかりません。
ただ、僕たちはこんなふうに考えています。
指先から緊張が消えてなくなることはない。ただ、ある指から別の指に移し替えることはできる。ある指が動くようになるということは、その分の緊張をほかの指が引き受けているということ。そうして、1本、2本、動く指が増えていった。
いま7本の指が動くのは、残り3本の指がカウンターウェイトのように支えているからです。
7本指のピアニスト。そう呼んでくれてもいい。でもほんとうは、10本指のピアニスト。
7本の奏でる音の谷間で、3本が響かせる無音。
僕たちを感じてください。その織り成す場所に、そっと耳を澄まして。

(白澤健志)