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AIとか、ビッグデータとか。 宮田裕章先生

宮田裕章大変失礼ながら、私は宮田裕章先生のことを存じ上げないままに今回の講演に出席したので、登壇された先生のビジュアルに驚いた。銀色の髪。オシャレな服。ブーツ。まるでミュージシャンのような雰囲気の宮田先生の姿に、一瞬、自分は別の講演に来てしまったのかと思ったほどだ。
先生曰く、これは多様性の表現の一つ。多様性と言葉で言いながらアカデミックの世界の人間は同じような服装ばかりしている、だから自分は少し違う服装をしているの、とのこと。

さて宮田先生のご専門は、ヘルスデータサイエンス、医療の質、医療政策。
私はというと、まったくもって門外漢。今回の濃密な講演を聞き終えての率直な感想は、果たして何割理解できたかな?いやほとんど理解できなかったというのが正しい認識ではないかな?というもの。
なので以下のレビューは、かなり私のバイアスがかかっていることをあらかじめお断りしておきます。ごめんなさい。

まずはAIの話から。
先生のお話しによると、現在はAIに対する過度な期待のピークが過ぎ、現在は幻滅に入る直前の状態である。AIそのものの議論ではなく、今後は人々の生活の追求のためにAIをどう活かすか、人とAIとが融合する社会をどうデザインするかが今後は重要。

これに関しては私も腑に落ちる感じがあり、例えばAIとそろばん名人とが計算能力を競っても意味がないわけで、やはりそこ(計算)はAIに任せ、人間とAIとがどう役割分担をするか、あるいはどう協力関係を築くことが幸せな社会の建設に有効かを考えるべきということが、今あらゆる分野で進行しているテーマなのだろうと理解した。
なおこのことは、だからそろばん名人の価値は損なわれる、という訳ではないと私は認識している。

次に、ビッグデータに関する話。
ビッグデータといえばとにかく巨大なデータのことで、"GAFA"に代表される様々な企業や政府などが保有しているもの。私はこれまで、このビッグデータは主に、社会の制度設計だとかベストセラーとなるような商品開発に利用されるイメージを漠然と持っていた。

しかし、実際のビッグデータの活用のされ方はこれとは異なり、一人一人にきめ細かくカスタマイズされ、個々人のきめ細かなニーズを拾いながらそれにフィットするようなサービスを提供するための資源となっていることを今回改めて認識できた。

これは先生が例え話として言われたのだが、体の調子が悪い時に自分の喉の様子をスマホで撮影し、送信すればたちまちのうちにAIが診断をくだし、1時間後にはふさわしい薬が自宅に届けられる、といったサービスが近い将来には現実化するかもしれない。しかも薬を飲んだ後の効果まで分析することでデータの精度はさらに高まり、一人一人へのサービスの質は向上していく。
こういう社会がもう、すぐそこまで来ているのだ。
事実としてamazonは現在、医療や健康分野への莫大な投資をしているとのこと。2018年にはピルパックという医薬品の会社を買収している。
医療の分野ではデータの共有がかなり進んでいるそうで、また共有されることで生み出される価値(=人々の健康への貢献)も大きいことから、これからさらに発展していくとのこと。

自分自身の体のことで考えてみた。
今、体調がすこぶる悪いとする。しかし何科を受診して良いのかがわからない。総合病院に行きたいけれど、紹介状なしに行って何時間も待たされるかもしれない。診療科を間違えている可能性はあるし、良い医者にあたるとも限らない。とはいえ、徒歩圏内にある小さなクリニックで大丈夫だろうかという不安も大きい。
そんな時、膨大なデータが蓄積されているAIによって一次診断をくだしてもらえたら、と確かに思う。自分で認識できる体調(体温だとか、どこが痛いだとか)を入力し、病名を予測してもらい、それをもとに病院に行く。あるいは町のクリニックにAIが設置されていても良い。

どんな名医であっても蓄積されるデータの量はAIには適わない。AIは絶対間違わない、とは言わないが、高い確率で正しい診断をしてくれるはず。その結果と、医者の診断とを照らし合わせて病名を出してもらい、それによって治療方針が決定されたら安心の度合いが違うだろうと思う。たとえそれが街の小さなクリニックだったとしてもだ。
このことによって医者の価値が損なわれるとは思わないが、医者の役割の力点は微妙に変化するかもしれない。診断名が出たあとに患者にどんな言葉をかけるのかとか、治療方針をどんな風に説明するのかとか。診断よりも治療に、一方的な説明よりも双方向のコミュニケーションに、力点が移行するだろう。

先生がおっしゃったのは、Sheared Values(共有される価値)は、Well-being(いのち輝く)のためにある、ということ。あらゆる人が、その人らしく生きられる社会をデザインするのが、digital transformationの先にある未来、ということ。またそのためのビッグデータでありAIでなければいけないということだ。

先生のお話しを聞いて私はずいぶんと明るい未来を思い描くことができた。一人一人の願いが叶えられる社会。あるいは、叶えられやすくなる社会、とでも言おうか。好むと好まざるとに関わらず、この動きがもう、私たちのすぐそこまで押し寄せてきているということ。私たちは、この流れを乗りこなしていかなければならない。

もう一つ、民主主義はどうなるのか?なんてこともふと頭をよぎった。行政サービスだって、この流れに沿って変容していくだろう。今よりもずっときめ細かいサービスが提供される日が来るのかもしれない。マジョリティだけでなく、少数の意見にもきちんと対応できる仕組みが整うのかもしれない。
となると、これからの社会において多数決に意味はあるのだろうか?よりふさわしい社会制度のあり方があるのでは?

答えの出ない問いを抱えたまま、私はこの日、会場を後にした。

(松田慶子)