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千葉 雅也「働く大人のための「勉強の哲学」」

千葉 雅也台風19号が吹き荒れた日の前夜、千葉雅也先生は、大人が勉強することの意義について語ってくださった。

同調圧力から自由になるためのスキル、あるいは覚悟

勉強とは自分に新しい知識やスキルをプラスするものであり、つまりは「足し算」だととらえる発想は「よくある勉強観」である。
それに対し、「深い勉強」とは自己破壊であり、ラディカルに「変身」することである、と千葉さん。無論、千葉さんがオススメするのは後者の勉強だ。

深い勉強には三段階のプロセスがあるという。

第一段階とは「ノリがいい」段階。会社や学校、地元などの「こうするもんだ」という方向性、いわば一種の「同調圧力」がある中で空気を読み、環境にうまく適合している状態だ。

第二段階は「ノリが悪い」、もっと言えば「キモい」段階。空気を読んで同調していた自分が変身を遂げ、環境の中から浮き上がる。周りから疎外されている状態である。

第三段階は、ノリの悪さを経由した上で、「環境に従属するノリではないノリ」を獲得する段階。千葉さんはこれを「高次のノリ」と表現された。

同調圧力の中で空気を読み、うまく立ち回っている誰か。その人間を描くだけではドラマにはならない。
その人間が何かに気付き、あるいは学んだ結果として変身を遂げる。組織から浮き上がり、周りからは疎んじられ、時にキモがられる。
それでも信念を曲げずに行動を続けるうちに組織内で一目置かれたり、周りの人々に変化をもたらしたり、大きな成果を上げたりする。こういうドラマ、よく見るような。

ちなみに最初から第二段階からスタートするというのは、主人公が端から変わり者であるケースのことだ。ドクターXの大門未知子しかり、相棒の杉下右京しかり。こうした筋書きも案外多い。

このような内容のドラマが多いのは、視聴者から支持されるからだろう。なぜか?
組織の同調圧力の中でストレスを感じている人々が、虚構の世界の中で自らの代弁者を求めるからであろうというのが私の考え。一種の憂さ晴らし。ストレス解消。
ただそれだけでなく、自分もいつかは、、、と変身願望を持つ人だっているに違いない。

ではどうしたら同調圧力から自由になれるかだが、千葉さんは「アイロニー」と「ユーモア」という二つの思考スキルを説明された。

アイロニーとは根拠をどんどん深掘りすること。言い換えるとツッコミ、になるらしい。
例えば芸能人の不倫を非難している会話の中で、「そもそも不倫って悪いことなんですかね」「そもそも悪ってなんですかね」と足場を破壊していくのがアイロニー。
今そこにある話の前提、根拠を疑うこと。別の言い方をすれば、同調圧力を元から崩していくこと。

ユーモアとは見方を変換すること。こちらはボケ、とのこと。例えば上記の例で「それってゴリラの生態でも似たようなことがあってね」などと話を展開する。話題を水平方向にずらす。これがユーモア。
今その場で展開されている会話を、別のレイヤーに乗っけたら面白いかもという発想で広げていく。論点を変換していく。

今この場である会話が展開されていたとして、そこでの話題に対して上記二つのアプローチで刺さってくる人間がいたらどうだろう。
続けるほどその場はいずれしらけるだろうし、その人を鬱陶しいと感じるだろう。
そういう人になるというのが、冒頭に紹介した「深い勉強の三段階」の第二段階目ということになるのかな、というのが私の理解だ。

しかし、この境地にたどりつくにはなかなかの勇気が必要だ。
技術として難しいというよりも、周りから浮き上がることへの恐怖が最大のストッパーとなる。あの人変だよね、いないほうが話が進むんだよ、空気読め、苦手だわあの人、、、、みたいな視線や言葉を浴びるだけの覚悟がない。私にはない。

かと言って、許容される範囲の中で空気を読みながら議論や会話を展開し、笑っているほうが断然楽!と断言すると、俄然気持ちが悪くなる。そうありたいわけじゃない。そんなことをしていたら、いつかメンタルがやられる気がする。つまんない人間になってしまうのが手に取るようにわかる。昨夜は「同期のサクラ」を見て、空気を全く読まない主人公にどこか胸のすくような思いを抱いたのも事実。

その中間あたりにいたいんだよね、なんていうのは逃げなのか。ほどほどに空気を読み、ほどほどに破壊もできる、ぐらいの存在がいいなあなんて思ってしまうのは、やはり覚悟不足なのか。どうなんだ自分?
・・・なんてことを、つい考えてしまった。

深く勉強するということは、そこで得た知識を血肉に変えること。

そうしてこれまで自分が属していた組織や文化に一定の距離を持ち、あるいは自分自身をも客観視し、変身を遂げること。

あるいは変身をしてしまうことを自分に許すこと。自分自身の同一性を保つことを、手放すこと。

根拠を深く深く掘り続け、あるいは論点をずらしまくり、周りからキモがられる。その覚悟を持つこと。

そのプロセスからいつか突き抜けて、第三段階に出たときはどんな景色が見えるのだろうか?とちょっと想像してみる。案外気持ちがいいのかも?
・・・試したい方はお先にどうぞ。私も覚悟ができたらやってみるかもしれません。

(松田慶子)