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高木聡一郎「デフレーミング概念で読み解くデジタル・トランスフォーメーション(DX)の本質」

高木聡一郎デフレーミングとは、高木聡一郎先生の造語である。そして、その定義は「伝統的なサービスや組織の『枠組み』を越えて、内部要素を組み合わせたり、カスタマイズすることで、ユーザーのニーズに応えるサービスを提供すること」であるという。私にとっては初見の概念であったが、とても興味深く、今書いている高等教育系の論文へのヒントがかなり頂けてラッキーであった。

現代のようにデジタル情報技術が普及する以前は、商品やサービスは画一性に基づいたものであった。たとえば、テレビ番組の『8時だョ!全員集合』は土曜の夜8時にやっていて、その時間にしか観ることができなかったので、みんな家に帰って、家族揃ってテレビの前にいた。『東京ラブストーリー』は月曜の夜9時に放映されていたので、その時間には「街からOLが消える!」(表現古!)なんて言われていた。自動車もスニーカーも同じものを大量に生産することで、一つあたりの固定費用を抑えて商売をしてきた。このように、様々な商品やサービスが多くの人が満足できるようにパッケージ化されて販売されていた。

しかし、デジタル情報技術はコストの中でも取引にまつわる生産以外のコスト(探索、契約、評価など)を大幅に削減し、従来のパッケージの内側にある個別の要素を取り出して提供したり、組み合わせたり、カスタマイズすることが容易になってきた。たとえば、NetflixAmazon Prime Videoはテレビ番組という画一的にパッケージ化されて提供されていた「枠組み」を越えて、個人個人が好きなときに好きな番組だけを観られるようにした。それまでは、自分はそんなに面白いと思わなくても、大衆向けにパッケージされたテレビ番組をなんとなくだらだらと観ることもあったが、デジタルはそんな大衆の満足に満足できない人々が満足できるような世界を作っている。

このようなデフレーミングには3つの要素があると高木先生は言う。
1つめは「分解と組み替え」だ。LINEはもともと無料でコミュニケーションができるツールとして大量のユーザーを獲得してきたが、それだけでなく、決済システムであるLINE Payにまでコンテンツを広げている。チャットによるやりとりは、個人間の送金に似ているからだ。メルカリも同じく、最初は中古品や不要品を個人間で取引ができることによってユーザーを大量に獲得し、メルペイという電子マネーにまでその範囲を広げている。このようにデジタルは大量生産による固定費の削減という「規模の経済」から、既存資源の多重利用によるコスト削減という「範囲の経済」へと変化している。

2つめは「個別最適化」である。以前はオーダーメイドなんて高級で、一部の富裕層にしかできないことであった。しかし、NIKE IDでは、靴の配色やサイズをカスタマイズして発注できる。ユーザーのニーズをデータ化して、工場に伝える通信技術があり、オーダーメイドのコストが削減できるようになった。ZOZOSUITSも然り。

そして、3つめはサプライヤー側の「個人化」である。YouTuber やフリーランスで働く人が増えてきているのは誰もが感じていることであろう。企業でしかできなかったことを、デジタル情報技術のおかげで個人でも可能なことが増えてきた。

デジタル・トランスフォーメーション時代に期待する教育

ここで教育について考えてみたい。教育はAI(人工知能)やデジタル情報技術が普及しづらい分野の1つだと言われているが、本当にそうなのか。現在大学に通っていて思うのだが、高木先生の言うとおり、大学でも多くの人が満足できるようなカリキュラムでパッケージングされていて、個別最適化まではいたっていない。だいたいは学部・学科で開講されている科目を履修しなければならないし、他に受けたい科目があれば付随科目で卒業認定の単位には含まれないというのは古い気もする。これからは文系も理系も枠組を取らなくてはならないのだから、ここは思い切ってデジタルファーストでデフレーミングしたほうが良いのではないか。

ネット配信や動画で授業を受けられるようにして、自分が必要とするカリキュラムを組んで単位を取得し卒業できれば個人の満足度も高くなりそうだ。それでも個人ではどのように履修したら自分の将来やりたいことにとって有益なのかは多くの人はわからないから、どのような授業を選択した人が、どのような企業に就職し、どのようなキャリアを積んでいるのかをデータ化して見えるようにしたらいい。良い授業と悪い授業も外に見えやすくなる。加えて、学校でのいじめが原因で不登校や引きこもりになるなら、一人で勉強するシステムがあったほうが良いとも思う。

また、デフレーミングで教員も「個人化」されていくのも賛成である。高木先生も「大学教員も他人事ではない」と仰っていた。教員の個人化ではオリエンタルラジオの『中田敦彦のYouTube大学』を例に挙げていたので、観てみたら、けっこう面白いしわかりやすかった。これからは大学教員も彼らのような話の上手い人がライバルであり、自動翻訳技術が高度化すれば、リアルタイムでも録画でも優秀な教員の授業が受けられるようになり、世界の教員がライバルになる。このように競争することで、提供できる教育のレベルが上がるのは良いことではないか。デジタル・トランスフォーメーションが教員の現場に浸透したならと、想像力をかき立てられる講演内容であった。

(ほり屋飯盛)