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楠木建教授に聴く、「すべては『好き嫌い』から始まる」

楠木建ショウタくん、マイさん、この度はご結婚おめでとうございます。ご両家ご親族の皆様にも心よりお慶び申し上げます。ご紹介にもありました通り、私、新郎新婦が出会った当時の上司でございます。お二人はよくご存知のはずですが、なにしろ私、口下手なほうでして、このような晴れの場にふさわしいお話しが上手にできるかどうか甚だ心許ないですが、ご指名でございますので、僭越ながら一言、お祝いの言葉を述べさせていただきます。

話し上手といえば、先日、この近くの丸ビルホールで楠木建さんという経営学の先生の講演を聴いたのですが、いや見事なお話しっぷりでした。競争戦略論、なんていう難しそうな分野の話なのに、三百人からの聴衆を飽きさせず、笑わせ、考えさせ、あっという間の2時間でした。そもそもタイトルからして経営学っぽくなかったですね。「すべては『好き嫌い』から始まる」。いや、今日のお二人の門出は、「好き」だけから始まっているわけですが。

兎角、ビジネスにおいては「良し悪し」が優先され、「好き嫌い」が劣後に置かれる傾向があります。「良し悪し」が普遍的な価値観であるのに対し、「好き嫌い」は組織や個人に局所化された価値だからです。でも、先生は、「好き嫌い」こそがビジネスにおいては重要なのだと説きました。

なぜ「好き嫌い」なのか。先生は、次の三つの観点で説明されました。

一つ目は、「競争戦略」の観点。
競争戦略の基本論理は、競合他社との違いをつくることです。ここで、他社と同じ価値軸上でより良い(Better)場所を目指すと「競走」になる。数字で優劣が評価される、片方が勝者になればもう一方が自動的に敗者になる関係です。しかし、他社と異なる(Different)価値軸を見つけ、そこで独自のポジショニングができれば、「競争」の中で生存できます。衣料業界のZARAとユニクロのように、全く違う戦略で複数の勝者が存在できるのが「競争」です。

二つ目は「経営センス」の観点。
ふつう、企業には多くの担当者と、少数の経営者がいます。前者に求められるのがスキル、後者に必要なのがセンスです。この「担当者のスキル」と「経営者のセンス」の掛け合わせで商売の成果は決まります。
この「センス」の源泉は「良し悪し」ではなく「好き嫌い」だと先生は言います。実際、先生が身近に接する優秀な経営者の方々は、みな揃って「好き嫌い」がはっきりしているそうです。その「好き嫌い」の内実はまことに多様なようですが。

三つ目が、「個人の仕事とキャリア」の観点。
「好きこそものの上手なれ」という言葉がありますが、そこにはこんなメカニズムが働いていると先生はいいます。

 「スキ」→「努力の娯楽化」→「継続的で無意識の錬磨」→「上手」→「余人をもって替え難い」→「成果(人の役に立つ)」→「スキ」→...(以下、繰り返し)

それぞれの要素が因果関係を結んで好循環を繰り返すわけですが、その起点となるのは「スキ」という想いです。「スキ」のエネルギーは内面から湧き上がってくるもの。個人を突き上げる「動因」、ドライブです。

一方、「スキ」でないことをさせるには、別のエネルギーを持ってくるしかありません。昇進や報酬といった「誘因」、インセンティブです。

「インセンティブ」→「努力の強制」→「スキル向上」→「インセンティブ」→...(以下、繰り返し)

それは確かに「良さ」への循環を生み出します。が、インセンティブが途切れればすぐに止まってしまう、脆弱さをはらんだ運動でもあります。

「スキ」という内部エネルギーに乗って仕事に臨めるなら、こんなにラクで力強いことはありません。そのためには、自分の「好き嫌い」のツボを自身でよく知っておく必要があります。それは、具体的な行動を通じて多くの「好き嫌い」を自覚することと、それらを抽象化してコンセプトを得ることとの、絶え間ない往復運動を通じてのみ達成できるものです。

ところで今時は、多様性だ、ダイバーシティだと言いますが、何のことはない、多様性は「好き嫌い」という形で既に個々の人間の中に存在します。それらをインクルージョン、包摂することが、これからの個人と企業、そして社会に求められることなのです。

結局のところ先生が言いたかったのは、ビジネスにしろなんにしろ、「好きでやってるやつにはかなわない!」ということでしょうね。まあ、先生自身の半生が「好き」をキーに奏でられていて、かつ、凡百にはとてもかなわない成果を仕事で残されているわけですから。

さて、社会を構成する人間組織の最小単位、それが家族であり、夫婦です。
ここにいるお二人は今、「好き」という気持ちで結ばれようとしている。それは、それぞれが持つ多様性のうちの何かが、相手の琴線に触れたからです。この先、長い時間を共にする中で、おそらくお二人はもっと多くの「好き」を、お互いの中に見つけていくことでしょう。それはとても楽しく、幸福なことです。
ですがそれと同時に、ひょっとしたら、お互いの中に「嫌い」も発見してしまうかもしれません。
しかしそれが相手の「好き」であるならば、どうか自らの「嫌い」を相手に押し付けないでください。強制するならば、それはもう「好き嫌い」ではありません。「良い悪い」です。

ところで、お二人はお互いのどこに、もっとも心惹かれたのでしょうね。私は、お二人の働く姿を間近で見てきました。ですが結婚はおろか、交際していたことすらつい最近まで知りませんでした。我ながら実に鈍感です。
ただ、お二人の仕事ぶりに共通するものがあることは感じておりました。
それは、「仕事に対する真摯さ」です。
他律的な「良い悪い」ではなく、自律的な「好き嫌い」の判断軸を自己の中に秘めた二人。そのお二人が、それぞれに真摯に仕事に向かう様子を見るたびに、上司である私はそこに凛としたものを感じていました。
お二人も、お互いにそれを感じ、無意識のうちにそこに魅かれていったのではないでしょうか。もしそうだとしたら、そのようなお二人の結ばれ方に、私は深い安心を感じるのです。

「好き」はまた、強力なエネルギーであるがゆえに、やがて初期のパワーを維持できなくなる時がきます。いわゆる恋愛ホルモンも、恋心が始まってから3年も経つと次第に分泌されなくなるのだとか。そこで気持ちが一時的にはなれてしまうことは誰にでも起こり得ます。それでずっとはなれたきりになるならば、しょせんその程度の「好き」だったということです。

もちろんここにいるお二人は、そんなことにはならないでしょう。
きっとお二人は、お互いに自律しつつ、かつもっとも親密な存在として寄り添いながら、「好き」という気持ちを充電しあうのだと思います。そしてそれがお互いの成長のエネルギーになるのだと思います。
たとえ一時的にはなれても、五年後か、十年後か、いつかわからないけれど必ず気持ちが帰ってくる。いつの間にか相手のもとに戻ってきている。それが、ほんとうに「好き」ということなのだと思います。

勢いに任せて長々と喋ってしまいました。
好きなことに没頭すると時を忘れてしまうといいますけれど、あれ、私、ほんとうは喋るのが好きなのかな。もしかしたら今日、新たな自分の「好き」を見つけてしまったのかもしれません。

ともあれ、何か好きなことに熱中している人の周りでは、その人だけの時間が流れています。好きな人と過ごす二人の間にも、二人だけの時間が流れる。
それは、人生ほどの長さを持った一瞬です。
この先、お二人が「好き」というエネルギーに導かれ、突き動かされながら、競争戦略ならぬ『協奏戦略』の道をともに歩まれることを願っております。道中、どうかご無事で。そして末永くお幸せに。
本日はまことにおめでとうございます。

(白澤健志)