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高橋祥子さんに聴く、「パーソナルゲノムが拓く未来」

高橋祥子...自分の運命を知りたい。
というのは古今東西を問わず人類共通の願望だろうか。水晶玉を覗いたり、神の啓示に耳を澄ませたり、占い師のご宣託に一喜一憂したり。自分の運命が書かれた葉っぱを読める場所がインドのどこかにある、という話も聞いたことがある。
しかし、メーテルリンクの「青い鳥」がそうであったように、世界中を探し回っても得られなかったものが思いがけず身近なところに存在していたりする。高橋祥子さんが教えてくれる「あなたの運命」の場合、その元となるデータは、あなたのパーソナルゲノムを解析して得られる遺伝子の情報だ。そう、運命はすでにあなた自身の中に書かれているのだ。それを読み取れていないだけで。

...導入部なので少しキャッチーに書きすぎてしまった。急いで付け加えよう、高橋さんの教えてくれる「運命」は、今あなたが想ったほどロマンチックなものではない(隕石の降る夜に湖のそばで運命の人に出会うとか、そういう「運命」ではない)。あくまで生物学的な分析に基づいた、遺伝学的な要因に関する、疾患ごとのリスクの高低や体質的な特性などの話だ。例えば糖尿病になる可能性が高いです、とか、アルコールに弱い体質です、とか。ロマンどころかきわめて現実的なデータだ。むしろ突きつけられ感ある。

...といっても正確に言えば、個々人のゲノムに疾患リスクの高低が直接書かれているわけではない。あなたが持つある特定の部位のゲノムについて、同じゲノムを持つ他の多くの人々のデータ群と照らし合わせて、統計学的に有意な傾向が見られる場合に「このゲノムを持つあなたは(同じゲノムを持つ他の人々の傾向からみると)この病気にかかる可能性が高いですよ」といった情報を提供してくれるだけである。

...だけである、なんて書いちゃったが、考えてみれば水晶玉を覗いて(あるいは死神の目を借りて)自分や他人の寿命がわかったところでそれだけではどうすることもできない。それよりは、「あなたは○○という病気にかかる可能性が平均値より高いです。だから××という生活習慣を改めてみましょう」といってくれる株式会社ジーンクエスト(あ、高橋さんはこの会社の創業者にして代表取締役です)のサービスのほうが、よっぽど希望が持てるというか、未来がある。逆に、そういう「改善の余地がある」項目しかジーンクエストは情報提供をしてくれないのだそうだ。立ちはだかるのではなく、背中を押してくれるタイプの「運命」だ。

...ところで、さほど分子生物学の素養のない私でも、ヒトの全ゲノム約30億が解析されたというニュースはいつかどこかで目にした記憶がある。それは2003年のことだったらしいが、そのことで「ヒトのゲノムは誰でもみんな同じ」という思い込みをいつの間にかしていた。いやそれはあながち間違いでもなくて99%以上は正しいのだが、決して100%正しくはない。

...実のところヒトの遺伝子の約99.9%は、全人類共通誰でもみな同じなのだそうだ。でも残りの約0.1%は個々のヒトによって異なる。このわずかな差異(といっても300万もあるのだが)が、個々人の様々な特徴を生み出す多様性の源となっている。それが、演題にもある「パーソナルゲノム」と呼ばれるものだ。ちなみに異種生物であるチンパンジーも、遺伝子レベルではヒトと約99%まで同じだというのだから驚く(すると、99.89%同じ生物は、ヒトよりちょっちチンパンジー寄りってことか)。

...という、ゲノム解析サービス利用者側から見た話は、高橋さんの抱く壮大な希望というか展望というか構想の、たぶん0.1%くらいでしかない。
高橋さんは、いつかすべてのゲノムを解読したいと思っている。それは、A(アデニン)・T(チミン)・G(グアニン)・C(シトシン)といった塩基対の配列を明らかにするという意味での解読ではない。それはもう2003年に終わっている。そうではなく、それぞれの遺伝子が持つ(多くの場合、秘められた)機能、働き、そういったものを明らかにするという意味でのDecodeだ。それを可能にするのは、(真実がいつもひとつだった時代は名探偵の名推理だったかもしれないが、)ゲノム解析が間もなくデスクトップでできるかもというほど技術的進歩が進むこのデータドリブンの時代においては大量の解析データとその持ち主である個々のヒトのデータ、およびそれらの相関関係から導き出される法則の数々だ。
とにかく必要なのは、きわめて多量の個々人のゲノムデータ群。どうやってそれを集めるか。

...京大を卒業して東大大学院に進んでいた高橋さんが院生のまま2013年に起業したのは、まさにその立ち位置が、この課題に対するソリューションだったからだ。
研究者として、サービス利用者からゲノムのデータを提供してもらい、解析してデータとして蓄積する。同時に利用者には、解析結果からわかる健康リスクや体質などの情報を提供し、疾病予防等に役立ててもらう。事業と研究を両輪で回すことで、成果をいち早く社会に発信し還元しつつ、象牙の塔に閉じこもるよりも速く研究を進化させていこうというのだ。ゲノム解析事業に関する新世紀のセントラルドグマを確立しようとする試み、と言っていいかもしれない。

...さてそのサービス、というか高橋さんのイニシアティブに、私たちはどこでコンタクトできるのか。もちろんユーグレナのWEBで申し込めるのだが(あ、なんでミドリムシのユーグレナかというと、ビジネス戦略上、ジーンクエストはいまユーグレナの子会社なのね。そして高橋さんはユーグレナの執行役員でもある)、この日、いつもなら講演者の著書即売会が開かれている丸ビル7階の夕学の会場ロビーでは、高橋さんの著書『ゲノム解析は「私」の世界をどう変えるのか?』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、定価1500円)が一冊もない代わりに『ユーグレナ・マイヘルス 遺伝子解析サービス』のお持ち帰りパッケージが販売されていた。書籍代よりひとケタ多い額のお代を支払ってこれを購入し家に帰って唾液から検体を採取し郵送すればやがてユーグレナがあなたのゲノムの解析結果をサイトで教えてくれるというものだ。ロビーではその青いパッケージが飛ぶように売れていた。青い鳥のように。

...というのは言い過ぎだが、販売担当のお兄さんに聞くと、それでも優に二十数セットは出ていたらしい。
に、にじゅうすうせっと?
今夜会場にいた人は関係者含めて150人くらいのはず、それで二十数セットって、もうティッピングポイント超えてるんじゃないか?少なくとも、どんな人気講演でも、ロビーで単行本が200冊も売れているのは見たことがない。売上高でいえば、おそらくこの夜の高橋さんは夕学会場ロビー史上最高額の記録を更新していたのではないか。すげえ。

...パーソナルゲノムは生涯変わらない。しかし環境や行動は変えることができる。
変えられない自分の遺伝子の情報を知ることは、ドキドキする。ちょっと怖い気もする。知ることの怖さもあるし、ほかの人に知られることの怖さもある。
でも技術はここまで来てしまった。そしてこの先も加速度的に進化していく。ゲノムの解析だけでなく、編集ももう現実化しつつある。それをどう使うか使わないかは人間の問題であり、倫理の問題。そのとき必要なのは、技術を正しく理解するリテラシー。そう高橋さんは言った。

...やがて誰もが自分のパーソナルゲノムを知るのがあたり前の時代が来る。そうなれば次は、みんな自分のパーソナルゲノムを改変したがる時代が来る、のだろうか。
だが、そのような事態の危険性を、高橋さんは思いがけない角度から論じた。

「パーソナルな0.1%の違いを改変することは、私たち人類が持つ多様性を自ら減じることになる。多様性が減れば種としての環境変化への耐性も減少し、生物種としての人類はそれだけ絶滅に近づいていく。そもそも世の中には、安定や継続を愛し変化を好まない人もいれば、自分(=高橋さん)のように新規開拓性の遺伝子を持つ人もいる。その多様性こそが人類をここまで繁栄させてきた。人類全部が私のように新し物好きだとすぐに絶滅してしまうだろうが(笑)、私のような人間がいるからこそ進化があり進歩がある」。

...高橋さんの言うとおり、誰でも自分のパーソナルゲノムにどこかしらレアな因子を持っている。いわば人類全員が激レアさん。そう考えると、自らが持つ0.1%の違いが愛おしく思えてきた。もちろん、私が持っていないものを持っている、この世にたったひとつのかけがえのないあなたのことも。2003年からこのかた、私たちは、そのようにヒトを慈しむことができる時代に入ってきているのだ。まずは読み解くことからはじめませんか、自らの身体に刻まれた、パーソナルゲノムという名の私だけの聖書を。

白澤健志