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「兆し」と「見立て」のデザイン 岩嵜博論さん

人間を理解し、デザインに置き換え、ビジネスに転換する

岩嵜博論それが、きょうの講師 岩嵜博論氏のコアコンピタンスである。
リベラルアーツ大学ICUで社会学を学び、慶應SFCで建築、イリノイ工科大学でデザイン思考の修士を修め、京大MBAで博士号を取得した俊才である。


「価値の源泉がモノからサービス、体験へとシフトしている」
岩嵜さんは、その象徴的事例として、ラスベガスで開催された2018 International CESでトヨタが発表したe-paletteを紹介してくれた。
そこには、移動や物流、物販など様々なサービスに対応し、人々の暮らしを支えるモビリティカンパニーを目指すというトヨタの意思がある。自動車そのものではなく、自動車をツールとしたサービスにこそ価値の源泉がある、と宣言をしているに等しい。

サービスをコアにしたビジネスモデルへの転換を志向するのは、何もグローバル企業だけではない。
岩嵜さん率いる博報堂のコンサルチームが深く関わった事例にに静岡のソーシャルベンチャー「やさいバス」がある。

やさいバスは、野菜の売り手(農家)と買い手(飲食店)を結ぶ共同配送システムである。近くのバス停に届ける(取りに行く)ように手軽に、新鮮な野菜を、必要な時に、欲しい分だけ買える(売れる)というユーザー視点に立ったサービスを実現した。
ITを使った仲介がコアな価値なのではない。物流という最もコストが掛かる部分、言い換えればユーザーが一番頭を悩ましている部分をど真ん中に据えたサービスである点に価値があるといえるだろう。
サービスを核にした一連の流れをデザインするのがサービスデザイン。岩嵜さんの専門領域である。

サービスデザインで用いられる方法論がデザイン思考である。
岩嵜さんは、デザイン思考の構成要素として次の3つを挙げた。

Empathy(共感):
文脈を理解し共感する

Synthesis(結合):
異なる要素を結合させて創造する

Prototype(試行):
試行錯誤しながら精度をあげる

手法を省いて説明するとすれば、「皆でワイワイガヤガヤと議論して、あれやこれやと組み合わせ、行ったり来たりしながら考える」それがデザイン思考である。

デザイン思考のコアになるコンセプトは、岩嵜さんの言葉を借りると「未来生活者発想」
言うならば、未来の生活者の立場からバックキャストで現実を見るということである。
未来生活者発想に関わる岩嵜さんの説明を聞いていて、私の琴線に触れたワードが二つあった。

ひとつが「兆し」である。
「兆し」とは、可視化できる変化のことではない。現代でいえば、キャッシュレス社会が浸透する、グローバルな人材流動化が加速する、といった変化は「兆し」の段階を過ぎた目に見える変化である。「兆し」はもう一歩、二歩早い。目には見えない変化である。
「兆し」は辺境で起き始める。一見すると脈略なく起きている事象の中に「兆し」はある。それを見つけ、束ね、ストーリーやシナリオに仕立て上げることもデザイン思考の適用領域だという。

もうひとつは、「見立て」という言葉である。
つながりのない二者、意味をなさない事象の散在を、まったく異なる何かに例えることで関係性や意味性を想起させることをいう。日本文化でいえば、枯山水の庭は大海原の「見立て」であり、曼荼羅は密教思想の「見立て」である。

先述の「やさいバス」のバスという表現も「見立て」である。実際は冷房コンテナ付きの大型ワゴン車が巡回する。もちろんバス停も既成のものではなく、専用に用意された保管場所である。

デザイン思考というのは、新たな「見立て」を獲得することだと岩嵜さんは言う。
未来生活者発想によるイノベーションの「兆し」は、新たな「見立て」から生じる、というわけだ。

「兆し」も「見立て」も日本人にはしっくりとくる概念である。
わが国でも信奉者の多い中国古典『易経』は、「変化の兆しを読む書」と言われている。「見えないものを見る」ことは日本人が古くから貴んできた思考態度である。
日本文化は、見立ての文化と称してもよいかもしれない。間接発想、間接表現は日本人が得意とするところである。
だとすれば、デザイン思考は日本人に向いているのかもしれない。

講演後の控室で、岩嵜さんにちょっといじわるな質問をぶつけてみた。
「デザイン思考は科学ですか、それともアートですか?」

夕学でもデザイン思考の話は何度か聴いたが、いまひとつ掴み所がない、という印象を持っていたからだ。
温厚な表情は変わらぬまでも、キラリと目を光らせながら岩嵜さんは答えてくれた。

「デザイン思考は、マネジメントできるアートだと思います。けっしてひと握りの天才のなせる技ではない」
「日本人は、思考法を(使いこなさずに)消費ばかりしてきた。デザイン思考は終わった、という人もいますが、私に言わせれば、本当のデザイン思考は、まだ始まったばかりだと思います」

そこにはプロフェッショナルの矜恃を感じた。

(慶應MCC城取)