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戦略的意思決定とは、見えない機会損失について考えることである 清水勝彦先生

katsuhiko_shimizu.jpg私たちは何かの機会(opportunity)を得る代わりに、何かの機会を失っている。それは他でもなく、時間やお金、身体等の資源が限られているからだ。その限られた資源を効率的に配分(投入)できる企業や個人が高い利益を生み出すことができる。

寓話『アリとキリギリス』で、アリが成功したのは勤勉で「遊び」という誘惑に打ち勝つ強い心があったからではない。限られた資源(時間、労働力)を効率的に配分(夏の間、遊びではなく食料の備蓄)したからだ。よって、目の前の快楽に気を取られ、まだ見ぬ冬のことまで注意を払えなかったキリギリスも「怠け者」という一言では片づけられず、夏の間に「食料の備蓄」という努力を投入するところを、全ての時間を遊びに投入してしまったというように資源投入に誤ったのである。キリギリスが夏中に遊んで人生を謳歌しないで、冬に備えて働いていれば、生活するに困らない食料を得ることができただろう。

この得られたはずの食料が機会損失、言い換えれば夏のレジャーのコストである。清水勝彦先生によれば、機会損失の問題はこのように「見える」ところばかりに気を取られ、「見えない」ことに注意を払わないから起こるという。

個人にとっても企業にとっても「見えやすい」ものと「見えにくい」ものがある。そして、この「見えやすい」ところばかりに、資源を投入するという意思決定をしがちである。会社内の課題一つとっても、目立ちやすい課題ばかりに気を取られ、本当はもっと重要な課題があってもそれが目立ってなければ、気付くことができない。先に述べたように、私たちが利用できる資源は限られているため、すべての課題に資源を投入することができないという制約がある。目立つ課題に時間や労働などの資源を投入し、「もしこの課題に時間をかけなければ何ができるか?」や「他により重要な課題はないか?」という実は裏で生じている機会損失にまで目が行き届かない。

解決するべき課題が決まったとしても、その課題が「手段」なのか「目的」なのかを考えて意思決定することが重要だと清水先生は言う。なぜなら手段は「見えやすい」のに比べて目的は「見えにくい」からだ。例えば、最近流行の人材のダイバーシティー(多様性)は手段だろうか、それとも目的だろうか。役員メンバーに女性がいないために、ダイバーシティー化をその企業の課題と決定したとする。しかし、それだけでは手段であり、それによって得られる利潤・目的(目標)が見えない。「様々なバックグラウンドを持った人が集まることでイノベーションが生まれる」みたいな、表面的で流行に影響を受けた目的では、何故イノベーションに結び付くかが明確にされていない。現に役員のダイバーシティーを進めている欧米や、日本でも多様性による負の影響も研究されており、共通の理解を持たないがためのコミュニケーションコストの増加や考え方や文化の違いによる摩擦等が指摘されている。このように目的が明確でないのに流行に乗ったところで、課題は解決できずに、もっと違う課題に資源を投入していたら得られた利益を損失しているかもしれない。

しかしながら、課題も目的も完璧に考えても、それでも機会損失の可能性は拭いきれず、さらなる機会損失の可能性がある。それは「解決地点」が見えにくいがために資源を費やしてしまう機会損失だ。合理的な経済人は利潤を最大化するために行動すると言われているが、その「利潤最大化」という着地点がよくわからない。一応分析して、目標をたてるかもしれないが、そこが利潤最大化の地点かどうかはあいまいであり、他者との共有も難しい。そこで、最低限満足できる地点という基準が必要だという。基準の設定によって人間の意思決定や行動パターンは大きく左右されるからだ。利潤最大化という目標では、実はどこに向かって進めばよいのかわからないため、余分なコストが掛かってしまう可能性があるが、最低限ここまでの状態になれば解決という基準を設けておけば、機会損失になることなく、限られた資源を有効に活用できる。

そんな機会損失を防ぐためにデータがもてはやされているが、意思決定のツールである「データ分析の結果が必ず正しい」という思い込みは、資源の非効率配分、機会損失について検討する機会を逃してしまう可能性がある。最近では上司の経験によるサンプル数1(N=1)の野生の勘的なアドバイスは昭和の残骸とされ、データは真実を語るというような、世の中がデータ崇拝主義に一変したきらいがある。データが神になると予想した『ホモ・デウス』も世界的にベストセラーになった。しかし、データが語る数字が全てではない。人間が関わっている限り、データも忖度可能である。例えば、部下が気を遣って上司や企業全体が望ましいと思う仮説が棄却されないように、統計的に有意となるまでもっともらしい説明変数を入れたり抜いたりすることも可能であり、それでは上司独自の成功体験による自慢の入ったお節介アドバイスと何も変わらないのである。また大学教授も結論を自分の仮説と適合するように、統計的に有意な結果が出せるよう説明変数を試行錯誤するなんて話も無きにしも非ずだ。

間違った意思決定をしないためには、「機会損失の最小化」が重要であると清水先生は言う。人や企業はどうしても「見えやすい」ものを見て、見えやすい選択肢を選んだが最後、それだけに固執して資源投入し、他にもあったであろう選択肢を見ることをしない。なぜなら見えるものを信じるのではなく、信じたいものを見るからだ。しかし、これまで書いてきたように、他の選択をしていれば得られたであろう利益、すなわち機会損失があることを意識することで、間違った資源配分を防ぐような戦略的な意思決定が可能となる。これは企業で重大な意思決定をしなければならないポジションにいる人にとってのみに必要な概念ではない。『アリとキリギリス』のように遊んでいたら、その時間働いていたら得られる利益や、通勤電車でゲームに熱中する時間を、読書などにあてたらどのような利益があるかなど、個人の意思決定においても必要な概念である。

(ほり屋飯盛)