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動け動け 石山恒貴先生

石山恒貴キャリア問題は幅広い層の関心事であればこそ、会場は年齢性別を超えて賑わっていた。転職が一般的となり、電車でテレビで転職情報やスクール情報の広告を見ない日はない。一見すると、国際的な学びという意味での異文化学習がテーマであるかのような石山恒貴氏の講演タイトル「越境学習のすすめ」は、それとはまた違う意味での「異文化学習」のすすめだった。

大雑把に前半をまとめると、社会の激変により雇用も変化している、働き方は専門性のある人が好きな時に好きな時間だけ集う「オーシャンズ11型」に移行する可能性がある、人生100年時代を迎える不確実な時代に必要なものは既存のものとは異なるが、そのために準備をしている人は驚くほど少ない。多忙は理由でないことがアンケート調査から判明する。「忙しいから」を学ばないことの理由に挙げた人の割合はたったの15.0%で1位ではない。AIに取って代わられる職種のことがよく指摘されるように、環境は急速に変化しているのに大丈夫なのか。大丈夫なはずがない。石山氏は10世紀以前では職業・職種が財産、20世紀は雇用(できれば一社で)が財産、そして21世紀からはキャリアが財産であると主張された。

越境学習、聞きなれない言葉だがその意味するところは明快だ。「自分のことをよく知っている所(ホーム)」と「いると居心地が悪い、自分がよく知らない所(アウェイ)」を往還することである。自分がこれまで身に着けてきたことが役立たない、例えば社内用語や社内でのみ通用する技術などが通じない相手とコミュニケーションを取り、なぜ二つが違うのかを考えることによって(垂直型でない)シェアド・リーダーシップが取れる、多様性と曖昧さに慣れて目標の抽象性が高くなる、ゼロベースでの実験を繰り返すことで失敗を歓迎したデザイン思考ができる、そして常に自分の中で暗黙のうちに前提となっているものを見直し視野を拡大することができるという効果が得られる。これがパラレル・キャリアによって得られるものだ。

パラレル・キャリア、「もう一つの世界をもつ」場合の「もう一つ」は副業だけではない。地域活動やボランティアなどの社会活動(ギフトワーク)や家事・育児・介護などの家庭ワーク、社会人大学や勉強会などの学習ワークも含まれており、そうした職業生活(職業キャリア)と人生(ライフキャリア)の世界を行ったり来たりすることが人生を豊かにする。豊かになるのは個人だけでなく、組織もまた同様で、民間の人材を地方自治体(広島県福山市)が週1日、月4日程度で受け入れたケースでは民間ならではの発想や知識が自治体に導入されて民間との良い意味での知的衝突が起きる。その結果、官民双方が得難いものを得られたのだ。

複数の世界の往還。「ああ、まただ」と思う。また夕学五十講で矢印の図が出た。これまで複数の講演でこうした矢印が出てきたのだ。前週の小林慶一郎氏の講演でも登場して驚いたものだが、こうも続くとこれは立派に何かの法則といえるのではないかと思ってしまう。

複数の世界を往還する矢印、逆向きにされる矢印、そしてそれを俯瞰する自分...。今回の石山氏の講演ではホームとアウェイの往還、それも短期間にするのが良いという。短期間にすることで失敗の数は当然多くなる訳だが、それもまた歓迎すべきことでもある。失敗を重ねることで学ぶことは大きい。(これには失敗の分析も不可欠だろう。)同時に失敗を安心して報告できる環境があることで壊滅的な失敗は却って少なくなるためで、ホームとアウェイを高速で往復するのは学びのプロセスと大変近いとのことだ。こうしたことを踏まえるとワーカーとしての行動が変わるだけでなく、リーダーに求められるものも見えてくる。心理的安全が高いチームほど生産性は高いということが紹介される。矢印が私の頭の中で動き出した。一方向が当たり前だったのが向きを変えたり、往復したり。速度を上げて頭の中で動き回る。何かが喉元まで出かかっている。何だろう、この感覚。

さて、今の社会では「働くこと=雇用されること」と思う人が多いが自営、フリーランスもそうであることを石山氏は改めて指摘する。戦後日本では企業に入ったほうが大きな仕事ができるからそうした潮流ができただけであり、それ以前は自営の人が大半を占めていたことを忘れがちだと。働くことを自由に選択できる。この選択肢の多さはこれからの不確実な時代において特に忘れてはならないことのはずで、パラレル・キャリアを考える上でも意味のある点だろう。

石山氏はこうしたことを多くの具体的な事例やデータを以て示す。何となく感じてはいても曖昧な思いだけのものを具体的な検証を以てずばりずばりと分析・言語化されるのに接するのは快感だ。会場の多くの人も同じ思いではなかったか。私も頷きながら聞いていた。

「じゃあ自分はどうなの?」
と心の声が聞こえてくる。頷いている私に、講演後半からしきりに問い掛けるもう一人の私がいる。
「もう知っているのならなぜその通りに動かない?頷くだけじゃ駄目だ。何のために講演聴いてるの。」
石山氏が紹介した事実が突き刺さる。「職業に関する能力を自発的に開発し、向上させるための活動」を「自己啓発」と定義して調査した結果、1年間で自己啓発を行った労働者は正社員で42.9%、正社員以外では20.2%。その中でも「10-20時間未満」が最も多い層で、「200時間以上」は正社員でたったの5.5%、正社員以外では1.8%だ。

「頭でわかって動いたつもりになるのは駄目だ。首を上下に振って頷くだけでは駄目だ。実際に動け動け。」
心は囁く。

太田美行