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橋爪大三郎さんの「世界四大文明論」

photo_instructor_935.jpg「文明」という分類軸を使って世界を理解しようという知的試みは、これまでも何人かの知識人によって行われてきた。
例えば、政治学者のサミュエル・ハンチントンは『文明の衝突』で、文化の違いによって世界を8つの文明(9つという説もあるようだ)に分類し、文明間の衝突が国際政治を不安定化させる要因になることを予見した。
文化人類学者の梅棹忠夫は、『文明の生態史観』で、ユーラシア大陸を第一地域と第二地域に分類した。
大陸の両端に位置する第一地域(欧州と日本)の文明が発展し、その内側の第二地域(中東、アジア)は発展が遅れた。第二地域が発展できなかったのは、大陸中央を斜めに横断する大乾燥地帯の気候・風土に起因すると分析した。

本日の講師、宗教社会学者の橋爪大三郎さんは、「宗教」を切り口にした四大文明論を提唱する。
世界には、欧州のキリスト教文明、中東地域のイスラム文明、インドのヒンドゥー文明、中国の儒教文明、の四大文明がある。
それぞれが25億人、15億人、10億人、13億人の人口を擁し、全部合わせると63億人。世界人口76億人の83%以上を占める。世界の人々の大多数はどこかの文明に属し、巨大なひとつの集団として、価値観や慣習を共有している。
ちなみに、我が日本は四大文明のいずれにも属さず、人口は1億人。橋爪さんの言葉によれば、無視できるほどの少数派でしかない。

「宗教」の影響力を理解する際に、鍵を握るのは「正典」の存在である。キリスト教の聖書、イスラム教のコーラン、ヒンドゥー教のベーダ正典、儒教の五経(易経・詩経・書経・春秋・礼記)がそれにあたる。
正典は、それぞれの文明の行動や考え方の規範となり、個人の生き方や社会のあり方の基本的枠組みを形成してきた。
世界は宗教によって動いてきたし、いまも動いている。

キリスト教は、神の主権(支配権、絶対的権力)を前提としている、この世界で起きるあらゆることは、神の意向であり、計画だと考える。
市場には「神の手」が働き、選挙には「神の意思」が現れ、結婚も「神の導き」によって決まる。罪深い人間の介入はできるだけ避けて、神の思し召しに任せるべきだとする。資本主義や民主主義、自由恋愛がキリスト教文明から生まれた理由がそこにある。

イスラム教のコーランでは利子を禁じており、法人格も認めない。利子がないので、銀行が成立しない、それゆえ資本主義は根付かなかった。
法人格も認めないので、国家や政府への信頼が希薄になりがちである。政治が混乱し、絶えず内戦が起きる。当然ながらナショナリズムも民主主義も育たない。
イスラム国は、こういう流れから産み落とされた鬼っ子かもしれない。

ヒンドゥー教の特徴はカースト制である。カーストによって社会の序列が定まり、職業が決まる。極めて非合理な制度ではあるが、安定していると言えなくもない。現世は苦しくとも立派に生きていれば、輪廻によって来世は異なるカーストに生まれ変わることができると信じられている。そうやって現世の非合理性を飲み込んでいる。

儒教が貴ぶ「忠」と「孝」は中国文明の二大価値原理である。公的な世界では臣下として君主に「忠」を尽くし、私的世界にあっては親・年長者への「孝」を大切にする。中国社会は、このタテとヨコの原理に支えられてきた。
ちなみに、二大原理がぶつかった時に「孝」を取るのが中国文明とのこと。なるほど、社会主義でありながら中国の社会的セーフティネットが粗い理由がわかるような気がする。最後に頼りになるのは、国家ではなく、親族・家族というのが中国であろう。

日本が四大文明に属さないのは、支配的な宗教がないからだ。神道には、行動・思考を規定するような成典はない。古事記や日本書紀は正典ではない。
しかし、日本に宗教がないかというとそうではなく、独自のカミ観念が共有化され、行動・思考に影響を与える思想は存在してきた。説明は省くが、橋爪さんは、それも合わせて紹介してくれた。

四大文明の黎明は数千年前にまで遡ることができる。十字軍などの例外を除けば、文明間の衝突はなく、自己完結的に存続してきた。つまり数千年にわたって、世界は四元的であった。
長く続いてきただけに、どこの文明も「自分が一番」という自尊心を持っている。

この三百年は、欧州のキリスト教文明が世界を仕切ってきた。
彼らは、他文明を一段下に見て、自分達のやり方(資本主義と民主主義)を真似て、近代化への道を歩むべきだ、と世界を啓蒙してきた。近代日本は、その優等生であった。
世界は一元化する方向にあるように見えた。

しかし、「キリスト教文明の世界支配は、キリスト教が近代化に馴染みやすかっただけのことであって、けっして優劣ではない」という屈折意識を他の文明は抱いていたかもしれない。
21世紀に入りインドはインドのまま、中国は中国のまま豊かになり、近代化しようとしている。世界は再び四元的世界に戻りつつあるとも言える。
グローバル化によって、人類史の時間軸でいえば、突然始まったに近い衝撃で、文明間の価値観のぶつかり合いが発生しはじめた。EUの移民排斥運動、イスラム国の紛争、中国の覇権主義等、現代の国際問題は、四代文明間の相克と位置づけることもできる。

ところが、無視できるほどの圧倒的少数派である日本人には、文明の自尊心を、特に宗教に根ざした価値観へのこだわりをリアルに理解することが苦手である。言うなれば、グローバル社会で上手くやっていくための社会的プロトコルがわからない。
プロトコルとしての四大文明の特徴を、90分間のダイジェストで整理してくれたのが、きょうの講演であった。
詳しくは、是非橋爪大三郎著『世界は四大文明でできている』を読まれたい。
(慶應MCC城取)