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スプツニ子!氏に聴く、問いを立てるデザイン

スプツニ子!イギリス人の母と日本人の父、二人の数学者の間に生まれたスプツニ子!氏。数学の得意な理系女子としてイギリスのインペリアル・カレッジ数学科および情報工学科を卒業し、続いてRCA(英国王立芸術学院、日本で言えば東京藝大に相当)のデザイン・インタラクションズ専攻修士課程を修了。その後マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボ助教に就任しDesign Fiction Groupを率いたのち、現在は東京大学とRCAがコラボした東京大学RCAデザインラボの特任准教授を務める。

...という紹介は、スプツニ子!氏がもっとも嫌がるタイプのものだろう。最近の悩みは「肩書きモンスター」になりつつあること、という氏の経歴は、確かに傍から見ればエスタブリッシュメントのそれにしか見えない。しかしそれは幼少期の原体験としてのいじめに端を発し、悩み苦しみ続けた青春期が生んだ軌跡でもある。

顔立ちがイギリス人なだけでクラスメイトに「ガイジン」と囃された日本の小学校時代。それを諫める先生の「同じ日本人なんだからいじめちゃダメ」という言い方にも(じゃあ、外国人ならいじめてもいいの?)と違和感を覚えながらも、その疑問を外に向けて発信する術はまだ手の内になかった。中学・高校と、数学およびアートの世界に触れながらも悶々と過ごした彼女が、大きく羽ばたいたのはイギリスに行ってからだった。

演題となった「問いを立てるデザイン」。その言葉の元となっているのは、RCAでの教官だった Anthony Dunne & Fiona Rabyが提唱する「スペキュラティブ・デザイン(Speculative Design)」、言い換えれば「問題提起・議論するデザイン」である。

最近流行の(もはやバズワードと化した)「デザイン思考」が、すでに眼前にある課題の解決を志向するのに対し、スペキュラティブ・デザインはまだ認識されていない問題を提起する。未来を、現在にグイっと引き寄せて問題として認識させる、といったほうがよいだろうか。

具体例としてスプツニ子!氏が紹介したのは、彼女の教え子ないしは後輩にあたる、MIT研究員の長谷川愛氏のプロジェクト「(Im)possible Baby」である。

ここ数年、LGBTの人々に対する社会の向き合い方は大きく変わってきた。例えば同性婚を認める国や自治体があらわれるなど、社会制度面での改革は徐々に進んでいる。しかし戸籍上の扱いをいくら変えても生物学的に男女の身体が変わるわけではないので、同性婚の二人から赤ちゃんが生まれてくることはない。

...という認識自体が古いですよ、というのがスプツニ子!氏の問題提起である。

かのiPS細胞を用いれば、女性の細胞から精子を、男性の細胞から卵子を作り出すことは技術的に不可能ではない。これをもう一人の女性の卵子(あるいは男性の精子)と受精させることで、同性カップルであっても生物学的に子どもを持つことが可能となる。
しかし技術的に可能であっても、倫理的な問題も含めて社会的な合意形成がない限り実現することはできない。実現しないから話題にならず、課題が課題と認識されない。

こんな状況に長谷川氏は、遺伝子技術を用いた次のような方法で「見える化」を試みた。

フランスで法的に同性婚をした、日本人とフランス人の二人の女性。彼女たちの遺伝子情報を解析し、それを掛け合わせて遺伝情報の上で二人の「子ども」を仮想的に創りだす。さらにCGを駆使しリアリスティックなビジュアルで「子ども」たちの顔を描き出し、実写の両親と仲睦まじく過ごす「家族写真」までも創る。

(その様子を番組として放送した内容の一部が、以下のNHKサイトで見られる)
http://www.nhk.or.jp/hearttv-blog/700/237751.html

「家族写真」に二人は驚き、喜ぶ。そして「いつか本当に子どもを作ろうね!」となればメデタシメデタシ...なのだが、現実はそうはならなかった。
この実験自体はもちろん二人の女性の同意を得て行われた。が、二人とも「子どもが欲しい」と思っていたわけではなかった。しかし「家族写真」という形でその可能性を目の当たりにしたとき、二人の間には明らかに温度差が生まれた。心揺れながらも新しい可能性を肯定的に受け止める日本人女性に対し、フランス人女性は「(それでも)子どもが欲しいとは思わない」と明確に言い切った。可能性が、あるはずのなかった二人の相違をあらわにしてしまった。

長谷川氏は、そしてスプツニ子!氏は、二人の仲を近づけようとしたのでもなければ引き裂こうとしたのでもない。ただ、世界に対して、正解のない問題を議論するためのきっかけを作り出そうとしただけだ。それにしても可能性は、時に罪作りである。

スプツニ子!氏は言う。「体外受精も、最初に登場したころは試験管ベビーなどと言われ賛否両論があった。しかし40年を経た今、日本人の27人に一人は体外受精で生まれている。クラスに一人は体外受精の子がいる時代である」。それを考えれば、この先、クラスに一人同性婚の子がいる時代が来てもおかしくない。それはバラ色でもなければ灰色でもない、レインボーカラーのように多様な色で構成される現実の未来である。

さてRCAを卒業したスプツニ子!氏はアーティストとしての活動を本格化し、数々の展覧会等を通じて評価を高めていく。そんな中、NHKの番組の出演者としてMITメディアラボを訪れたことが縁となり、翌年には助教として赴任。その時の研究室の名前がDesign Fiction Groupである。
もちろんスプツニ子!氏はアーティストとしてフィクションを創り出していくのだが、その各要素は紛れもない現実、ノンフィクションのものである。ただその組み合わせが今までにないものなので、受け取る側は、未来=フィクションが急に現実=ノンフィクションにあらわれたように感じる。そして自らの「思い込み」がフィクションであることを、それが気持ちよく壊されていく感覚とともに認識する。

重い社会問題を追いかけるばかりではない。アーティストとしてのスプツニ子!氏が自身の最近の作品として紹介したのは、神話と最新バイオテクノロジーを融合させた恋の物語である。

「運命の赤い糸をつむぐ蚕 タマキの恋」
https://www.youtube.com/watch?v=08BFqcZ1xYI

「恋をしたときに分泌されるホルモン」、オキシトシン。遺伝子組み替え蚕の研究者とコラボレーションし、このオキシトシンを含んだ赤い糸を蚕の口から生み出すことに成功したスプツニ子!氏は、この赤い糸を縫い込んだ布で意中の人を振り向かせたい、という切実な恋心をビデオの中でコミカルに表現した。実際にはオキシトシンは鼻の中に入れないと体内に吸収されないそうなので「あくまでシンボリックなもの」ということだが、すでに神田明神から「運命の赤い糸で紡ぐ縁結びの御守り」のオファーが来ているそうである。
しかしこれもまた、「恋心も、結局は外部刺激による化学反応に左右されてしまうのか?」といった視点で考えると、自由意志とは何か?みたいな重い話にもつながってきそうだ。

「どこでも根を張るタイプではなく、一つの組織に依存しないような生き方を心掛けている」というスプツニ子!氏がMITから東大に移ってきたのは必然的なことである。再び日本を拠点とした氏がどのように次なる作品を生み出すのか。今ならリアルタイムでその進行形を目撃できる。
次なるイベントは誰でも参加可能な形で、2018年8月に予定されている。講演では構想の一端が紹介されたが、スプツニ子!氏自身がまだ自分のメディアで明らかにしていないのでここにも書くことはできない。ただし氏のTwitterではいくつかのヒントが呟かれている。#redcarpetlove #out2018august #zaatari #ばかうけ。これらのキーワードがどのように紡がれてひとつになっていくのか。8月1日にWEBをチェックしたうえで、終戦記念日に渋谷付近にいる方は、ぜひ現地に足を運ばれたい。

「人の発想が変われば、世界は変わる」
講演の最後にスプツニ子!は、この言葉を会場に投げ掛けた。RCA時代、卒業を控えて不安だった氏に、前述のAnthony Dunne氏から掛けられた言葉であるという。「この世界のものはすべて、誰かが創造したから生まれて来た。あなたの作品が誰かの考え方を変えることができたら、それは世界を変えること」。
アーティストは、確かに、政治家や建築家がやるような方法で世界を変えることはできない。しかし、人々に働きかけて、人々を揺さぶって、世界を変えることはできる。
少なくとも私はこの数日間、講演で耳にした様々な未来の姿が、そこに提示された可能性の素晴らしさと残酷さが、頭から離れなかった。

人工知能、バイオテクノロジー、ブロックチェーン。ものすごい勢いで進歩する技術に対し、私たち人間のほうは追い立てられるように、当たり前と思ってきた価値観や家族観やモラルの変革を迫られている(そもそも伝統的家族観なるもの自体がフィクションであるのだが)。

  • まずは自分たちの無意識の思い込みに気付く。
  • ゆっくりでいい。焦れば返って見えなくなる。
  • みんなで持ち寄る多様な視点が議論を深める。
  • ランダムなつながりが新しい気づきを促す。
  • ヴァーチャルな問いかけこそがリアルを導く。

この世界はどうあるべきか。それを、多くの人が、多様な立場から議論するように、課題を提起し続ける。そのようなアーティストとしてのスプツニ子!氏の姿を、この先私たちは行く先々で見かけるのだろう。しかも思いがけないところばかりで。
そう、人の形をしてやってくる未来もあるのだ。

(白澤健志)