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ガチでグッジョブ、神 編纂者w 飯間浩明さん

イイダphoto_instructor_934.jpg社長をやっていると、折々社内に周知したいことが発生する。そんな時、昭和の映画であれば全社員を呼び集めて厳かに訓辞を垂れるのだろうが、私は平成も終わろうという現代の、フラットな組織のフランクな社長(笑)なので、全社員宛にメールを入れる。

すると三々五々返信が来る。大部分が「承知しました」「かしこまりました」「承りました」と書かれている。そこに所感などを書き添えたメールもある。ぶっきらぼうに一言のみの返信は、50代男性でスマホも持たないデジタルデバイド派に多い。「全員に返信」で返すのが不文律となっているので誰がどう返しているかが互いにわかる。

ネットで頻発する言葉狩り

ある時、飲みの席で一人の中堅社員が冗談めかした調子で語りだした。「常務は失礼ですよね。社長メールへの返信がいつも"了解です"と一言のみで。わざとなのかなぁ。謀反でも企ててるんじゃないですか」と。
その常務のいない席だったので、お酒の勢いもあり、かねて気になっていたことをふざけたフリで口にしてみたといった様子だ。

あぁ、これね、と思った。ネット上で「上司や顧客に"了解"は失礼、"承知"と書くべき」といった論調が幅をきかせているのは知っていた。
了解という言葉自体に失礼なニュアンスはない。ただ謙譲の成分が含まれない所にネット民らは違和感を覚えるのだろう。ちなみにその常務というのはデジタルデバイドおじさんだ。単に気が回らないだけで恐らく謀反を起こす気などない。

この「了解―承知」問題に限らず、ネット上ではたびたびこうした言葉狩りのような誤用論議が起きている。「的を射る―的を得る」問題というのもずいぶん取り沙汰されてきた。
ネットに限らない。いま私がこれを書いている日本語ソフトATOKでも「的を得る」と入力すると《「当を得る/的を射る」の誤用》というアラートが出る。

ところが今日の講師である飯間浩明氏は、自らが編纂する『三省堂国語辞典』の最新版(2014)に、この「的を射る」と「的を得る」を全く平等に掲載したという。ラディカルな辞書編纂者だ。調べてみると戦前や明治時代のみならず、古くは江戸時代にも「的を得る」という用例があり、「正鵠を得る」といった言い方にも通じることから、これを誤用だとする根拠はない、というのだ。

誤用だという断罪はしない

「辞書が言葉を『誤用だ』『間違った言い方だ』と断罪することには、慎重にならないといけないと思っています。もし言えるとすれば『これは20年くらい前から使われるようになったので伝統的ではない』とか『主に若者に使われる言葉であり公式の場にはふさわしくない』といったことぐらいで」と飯間氏は語る。

この発言が実に新鮮だった。
辞書は、正しい言葉遣いの指針であり、言葉の間違いを糾す規範であると、一般には考えられている。辞書は権威なのだ。客先で企画をプレゼンテーションする際など、定義づけが曖昧な言葉については「広辞苑では○○○○とされています」等と注釈を用意しておくのが私の流儀だ。この一発で、どんなに気難しい顧客が相手だったとしても因縁づけを封じることができる(誰もが黙るのは広辞苑だという印象があるのは飯間氏に申し訳ないが)。

権威というのはそうそう腰が軽くては務まらない。どっしりと恒久不変なものでなくてはならない。なのに飯間氏の辞書観は全くその逆と言っていい。「ごく一部でしか使われていない、それを使うとコミュニケーションに支障をきたす物ならば誤用とする」が、言葉はどんどん変化するものなので「昔は間違いだと言われていた表現が一般化して、辞書に載るようになることもある」という。

女はやさしい、のか

逆に正しさの基準が変化することもあるという。「昔の辞書ではごく当たり前に処理されてきた言葉も、今日的に見るとちょっと違うと感じることがある」ので、飯間氏は常に「待てよ...この語釈のままでいいのか?」という問題意識でひとつひとつ吟味しているという。例えば、テレビ、ステレオ、パソコンといった機械の語釈については顕著で、これらには技術革新があるから時代とともに変わるのは当然だ。さらに飯間氏は、山、川、人、卵、頭、耳...といったごくごく基本的で変わりようもないように思える言葉の語釈にすら「待てよ...」という眼差しを向ける。

「辞書というのは、技術革新のある分野に限らず、どの項目の説明も一斉に古くなっていく」のだという。飯間氏は、変わりようもないように見えて実は変わって来ている語釈の例を数々挙げて見せた。

中でも会場を沸かせたのが「女」の語釈だ。
1960年刊の『三省堂国語辞典』の初版では、「女」の第一項目は「(一)人のうちで、やさしくて、子供を生みそだてる人。女子。女性」と書かれていたようだ。飯間氏が「やさしくて...」と読み上げるや会場には波のように失笑が広がった。ふだんに比べて女性受講者の比率がかなり多かったせいか、「女=やさしい?参ったな」という自虐の笑いのように感じられた。

この古い語釈を、次に出る版では「(1)人間のうち、子を生むための器官を持って生まれた人(の性別)。女子。女性。〔法律にもとづいて、この性別に変えた人もふくむ〕」と変える予定なのだという。確かに今や性別を変更する権利も認められたし、子供を生まない女性も増えている。同様に、「恋」とか「結婚」といった言葉についても、かつては男女間に限定していた語釈を、飯間氏は同性同士のケースも視野に入れたものに変えようとしている。
例えば「結婚」は「愛しあう男女が正式にいっしょに生活するようになること。夫婦になること。〔同性どうしが夫婦に相当する関係になる場合にも言う〕」と書き換えられる予定だという。

言葉が前に進む

さすが言葉の専門家だけあって、飯間氏の語り口はとても丁寧で品格がある。しかし決して権威的ではない。時折「スルーする」「ディスって」「ツッコミを入れる」といったスラングも織り交ぜられる。
そう、飯間氏は"新語ハンター"としても知られる。暇さえあれば街に出て看板やPOP、ポスターや張り紙をカメラで記録して回る「街中用例採集」にいそしんだり、ネットの荒野を逍遥したりしているのは有名だ。

そんな日々の活動の成果として、『三省堂国語辞典』の最新版には「リフレ、ふわとろ、ガチ、まるっと、上から目線、宅のみ、授かり婚、プチプラ、中の人、鬼〔カワイイ〕、神〔アプリ〕、グッジョブ、ツンデレ、鉄ちゃん、フラグ、ほうれい線、もっかい、w」などといった新語が4000語も追加された。
飯間氏は糸井重里氏との対談(『ほぼ日刊イトイ新聞』2017.1.11)で「既成のルールを破る人がいないと、言葉が前に進んでいかないんです」「間違いではなくて、次の言葉を作っていこうというエネルギーがそこにあると思うんです」と語っている。

象牙の塔の奥座敷から「誤用だ誤用だ」と言葉を断罪する権威者ではなく、街やネットの中で日々生まれる"次の言葉"をひょいひょいと採って回る、好奇心旺盛なフィールドワーカー。それが飯間氏なのだ。
「三省堂国語辞典の中の人はガチでグッジョブ、神 編纂者w」と、最大限のリスペクトを捧げよう。

(三代貴子)