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楠木新氏に聴く、「いい顔」でいるための定年準備

クスノキphoto_instructor_928.jpg昨年、ベストセラーとなった『定年後』。売れた理由のひとつを、著者の楠木 新氏自身は「タイミングとタイトル」と分析している。

これまでの中高年世代にとって、恐ろしいのは近づいてくる「死」そのものだった。だからその瞬間をどうやって遠ざけるか、つまり「いかにして寿命を延ばすか」が主要な関心事であった。

だがここ数年、その流れが急に変わってきた。

実際に寿命が延び、生物としての「死」が遠方に追いやられた結果、サラリーマンとしての「死」である定年との間の時間的ギャップが大きく意識されるようになった。「定年以降、延びた寿命をどうやって埋めればよいのか」。今や中高年サラリーマンにとって、「生」そのものが、漠とした不安をもたらす要因となってしまった。

『定年後』。 あえて、たった三文字に抑えたタイトル。そこから漂うなんとも言えない不穏な空気が、「50歳からの生き方、終わり方」という寂寥感を掻き立てるような副題と相俟って、中高年の不安な気分を絶妙なタイミングで言い当ててしまったのだ。

『定年後』で楠木氏が示したいくつかのメルクマールを年齢順に並べかえてみる。

  • 40歳は「こころの定年」。「誰の役に立っているのか分からない」「成長実感が得られない」「このまま時間が流れてしまっていいのか」といった思いが去来する。会社に適応している人でも揺れ始める。
  • 45歳からが人生の後半戦。団体戦から個人戦への移行を意識できるか。
  • 50歳、定年後ヘの具体的な準備を開始。言い換えれば、定年は50歳から始まる。
  • 55歳で役職定年、60歳で就業規則上の定年、65歳で雇用延長も定年。
  • 60歳から75歳までは、自己の裁量で豊かな時間を使える、定年後の黄金の十五年。
  • 75歳以降は、自身の衰えや親の介護などで次第に思い通りにならなくなる。

もちろんこの時間軸はすべてのサラリーマンにあてはまるものではない。人によって、会社によって多少の前後はあるだろう。だが多くの人にとっては、この軸上で自分の現在位置と行く末を確認することが、定年準備として最初にすべき作業になるはずだ。
ここで、このタイムラインを提唱する楠木氏自身のクロニクルを紹介しておきたい。

  • 京大を卒業し生保会社に就職。20代・30代はほぼ順風満帆の会社人生。
  • 40歳で阪神大震災を経験。顔見知りを亡くし、自身の気持ちにも陰りが現れ始める。
  • 47歳のとき花形部署に抜擢。しかしそれをきっかけにうつ病となる。一時休職。
  • 50歳で平社員になり、精神的にスッキリ。これと前後して、大学院に通いつつペンネーム(楠木新)で執筆開始。会社員とフリーランスの二足の草鞋をうまく履き続ける。
  • 60歳で定年を迎える。黄金の十五年の始まりとともに各方面から引っ張りだこに。
  • 63歳の今年、神戸松蔭女子学院大学の教授に就任。
なるほど、挫折を契機に、そこから準備を重ねて、いま花開いていることがわかる。

ではどうすれば、楠木氏のように用意周到な準備ができるのか。それを明らかにしたのが、今年著された続編『定年準備』である。副題は「人生後半戦の助走と実践」。前半戦の勢いだけでは走り切れない、定年後を生きるためのポイントが、七か条にまとめられている。

定年準備・行動七か条
第一条 焦らず急げ(50代でも間に合う)
第二条 単なる趣味の範囲にとどめない
第三条 子どもの頃の自分をもう一度呼び戻す
第四条 身銭を切る
第五条 個人事業主に学ぶ
第六条 手の届く複数のロールモデルを探す
第七条 「自分をどこに持っていくか」が大事

少しずつ補足する。
第一条:20代・30代から2枚目の名刺を持つ人がいるが、早すぎる。それは50代からで十分。定年後に上手くいった人の20代・30代は、むしろ会社人間だった。
第二条:社会的な要請に応えて社会や人とつながる、その基準はお金をもらえるかどうか。 月5000円でもいい。交通費でも寸志でもいい。お金にこだわる。無償の趣味で終わるな。
第三条:小さい頃に好きだったもの、得意だったことを、現在に取り入れている人は強い。 子どもの頃の自分と結びつくと、人生全体が物語になる。呼び戻す=Calling=天職。
第四条:会社のお金を基準に考えるのはやめる。身銭を切ることで判断力が磨かれる。
第五条:社会的要請に直接相対し自ら稼ぐ個人事業主たち。彼らと接し、サラリーマンである自分の力不足を知る。異業種交流会ではだめ。サラリーマン同士では何にも見えてこない。
第六条:自己とかけ離れた、世界的偉人などを追っかけても役には立たない。自分の手の届く範囲、手の届くレベルの人をモデルとする。そこに日々、自分を重ねていく。
第七条:大企業の中では凡庸とされる経理や総務や技術の知識も、NPOなどの団体や中小企業では十分に有用だったりする。自分をどこに置くかで自分の価値も変わってくる。

「サラリーマンは頭で考えすぎている。もっと現場に足を運び、動き、感じるべき。」 "給料は下がっても、良い顔をして働いている"百人を超える先人たちへのインタビューを重ねながら学んできたという、自身の定年準備期を振り返りながら、楠木氏は「動けない」サラリーマンたちに警鐘を鳴らした。

考えてみれば、学生はいきなり社会人になるのではなかった。バイトやインターン、あるいは消費者のひとりとして、この社会に少しずつ参入してくる。そうでなければ、二つの世界のギャップを越えられない若者の数は、今の比ではなかっただろう。 同じようにサラリーマンも、定年と同時に瞬間的に個人に戻ろうとしてもうまくいかない。 会社の中で働きながら、50歳からは並行して、もう一人の自分を探していくべきなのだ。働くことの中に、老いと死を取り入れながら。

老いと死、という楠木氏の言葉に、ハッと思い出された一節があった。

死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。

楠木氏と同じ兵庫県立神戸高校出身の小説家が、短編『蛍』で主人公の大学生にそのように呟かせたのは1982年のことだった。
組織に所属することのなかったこの小説家、村上春樹氏が言及している「死」はもちろん生物としての死であり、楠木氏が論じた定年=サラリーマンとしての「死」とは異なる。
しかし、組織人としての「死」を自らの「生」の一部として受け止め、それにきちんと向かい合うことができるならば、その人はきっと、生物としての「死」に際しても穏やかにそれを受容することができるのではないだろうか。そんな気がする。そうであってほしい。

楠木氏は、サラリーマンの人生を、「なかなか一直線には進めない」波打ちながら始点から終点へと移動する線形のものとして表現した。
私はそれを、一周80年の観覧車としてイメージする。

0歳で慌ただしく乗り込んだゴンドラは、斜め上に向って力強く上昇しながら、子どもの目線を大人の視線へと引き上げていく。
20歳で水平方向にもっとも拡がった人生の可能性は、就職とともに収束していく。
40歳で運動ベクトル的な意味での会社人生の頂点を極めると同時に、上昇運動が下降に転ずる気持ち悪さを「こころの定年」として味わう。
ここから60歳までの間は、垂直方向には下向きの成分しかない。が、水平方向には自らの可能性を再び拡げられる時期だ。七か条を胸に、自分と向き合いながら準備をする。
そのうえで迎える60歳から75歳までの黄金期は、景色の穏やかな変化を愉しみながら始点へと還っていく、心地よい旅路となるだろう。

やがてゴンドラが底に達し、人生の一周が均整な円環の軌跡を描いて完結するとき、生は、死をその内部に抱えたまま最後の輝きを放つのだ。

蛍にも似た、穏やかな光を。

(白澤健志)