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超AI時代における落合陽一さんの考え方

photo_instructor_922.jpg心ってそんなに大事だろうか?

身体よりも心が大事であると、私たちは子どもの頃からそういう教育を受けて育った。
AI(人工知能)の話となれば、人間との大きな違い――心や感情の有無ばかりが取り沙汰される。

「心ってそんなに大事ですか?」

講演のために用意されていたどの言葉よりも、質疑応答で出た何気ないこの一言が、落合陽一さんの考えをよく表している気がした。演題は「超AI時代の生き方・働き方・考え方」。AIについての講演は、他の夕学講演でも何回か聴く機会があったが、今回はこれまでとは違ったメディアアーティストの視点と切り口であり、AIやテクノロジーがどうのこうのという話よりも、落合さん自身の考え方に脳が刺激された感じであった。ここでも、「落合陽一さんの考え方」という視点から、今回の講演について書いてみる。

考え方――デジタルと自然の融合

落合さんはイルカが好きだ。イルカは水中で音波を使ってコミュニケーションをとっている。例えるなら、体内にスマートフォンがある状態。人間は様々なことを単純化して、言葉で伝えようとする。だが、頭の中に浮かんだイメージを直接相手の頭の中に伝えられたら、便利ではないだろうか。メディアアーティストとして、研究者として、このような考え方が根本にある。見えない波動で聴覚や視覚に伝えられたら・・・どんな世界になるのだろうか。

現状、日本は少子高齢化社会であり、約1億2千万人の人口が、2060年には8千674万人になることが見込まれている。1億2千万人で支えていたインフラコストを4千万人減の8千万人で支えなくてはならない。未来の世界はAIが人口減を補う。そのためには、身体多様性が重要になってくる。人間は年齢を重ねれば、どうしても聴覚や視覚が弱くなってくる。メガネや補聴器も最適化されていない。もっと改良できるという。

例えば、教師の喋った言葉が音声認識で字幕化されるようなゴーグルがあれば、耳が聞こえる人と、聞こえない人と関係なく同じ教室で授業が受けられる。画像や音で駅名を認識させれば、振動で次に降りる駅だと教えることができる。身体多様性のある社会には、前述した波動を視角や聴覚に伝えるようなしくみが必要であると考える。そして、例に挙げたような商品を改良するためにエンドユーザーが直接、プログラミングできるようにする。このようにエンドユーザーが問題解決できれば、それをコピー(転用)するのは無料であり、限界費用はほぼゼロにすることが可能である。

演題にもあるので、ちょっと「超AI時代の働き方」にも触れておきたいと思う。落合さんの考え方は、働き方に対しても表れている。現代では何か新しいことを始める時の初期コストや、ひとつ生産するために増加するコスト、つまりは限界費用が昔に比べてはるかに低下している。YouTuber(ユーチューバー) になるために電気製品店で必要なものを揃えても、7万5千円あれば開店できる。テクノロジーが発展したため、コストを抑えて問題解決ができる。

落合さんは「ワーク・ライフ・バランス」という言葉に違和感を持つ。この言葉から連想されるのは「仕事=嫌なこと」、「ライフ=楽しいこと」であり、「ワーカーズライフ」を提唱する。仕事とは基本的にはお店屋さんごっこであり、得意な方、一方に対して比較優位を持つ方が生産して交換すれば、より多くを消費できる。テクノロジーが進化した現代では、より自身が得意としていることや、好きなことに集中して働くことが可能だと落合さんは言う。

現在、「落合陽一、山紫水明∽事事無碍∽計算機自然」と題した個展が開催中である。今回の講演の最後にも「事事無碍(じじむげ)」という言葉について触れられた。事事無碍とは、あらゆる事象を点と点で結び、互いに作用しながら結果を導くことである。これはディープラーニングの入口と出口。そして、この点と点こそが入力と出力である end to endだそう。

落合さんご愛用のヨウジヤマモトを例にとってみれば、ヨウジのファッションショーでのランウェイの画像を何千枚も認識させて、新しいヨウジ風デザインをAIに提案してもらう。それと、実際にヨウジがデザインしたものを混ぜた写真を、ヨウジヤマモト愛好者に見せると、ほとんどの人が本物を当ててしまうらしい。関数を最小化するプロセスは私たちにはよくわからない。だが、ヨウジ愛好家が、ヨウジヤマモトのデザインか否かを判断する過程もよくわからない。その最適化の過程がAIでは関数計算であり、人間にとっては本能であり、直感であり、end to end でヨウジであるとわかればよい。という、わかったような、わからないような・・・。ただ、落合さん曰く、古代が魔術の時代で、科学が発展した近代は脱魔術化、そして超AI時代の現代は再魔術化の時代だそうなので、完璧に理解しなくてもよいし、勘違いから新しい考えが生まれたりもするので、オッケーということにする。

私は「天才」という言葉が好きではない。天才というと、自分とは全く違う考え方をして、遙か彼方の人のような気がするからだ。落合さんは世間的にはきっと天才であるが、なにかちょっと考え方をスライドさせたような感じである。冒頭に述べた「心とは大事か」という疑問に代表されるように、クリティカルでもある。また end to end を見て、その過程を不思議がる。ただ、そのような考え方の人のような気がした。遙か彼方の遠い存在の天才ではなく、私たちの勉強や仕事にも応用可能でありそうな考え方の人である。

(ほり屋飯盛)