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100年企業の改革を進めるトリックスター 有沢正人さん

有沢正人.jpg 大企業の幹部の人たちと懇親していると、いつも不思議に思うことがある。彼らの酒の肴のほとんどが、過去や将来の人事の話題だということだ。過去の人事についてであれば「いやぁ、やはり人事はよく見ているよ」。近い将来の人事の噂に関してであれば「しかし人事は、実際に席に座ってみるまでは分からないぞ」

 そういう時の彼らは、人事という単なる企業活動の中の一機能のことを、あたかも神の託宣であるかのように神妙な面持ちで語るのだ。
 人事ひとつで人生設計までもが大きく変わる可能性があるのだから、それがおおごとであることは分かるものの、私自身はずっと小さな会社のオーナーをしているので、その感覚は今ひとつピンと来ない。

 「人事を尽くして天命を待つ」という。この場合の人事というのは"人としてできること"といったような意味であり、企業のHRのことではない。しかし人事を語る時の大企業ビジネスマンたちの顔は、まさしくその天命を待つ無力な民のそれ、そのものだ。

神の仕業の体現者

 企業人たちが頭を垂れて天命のように受け入れる人事という営み。それを操る神のような存在がCHO(人事最高責任者)といっていいだろう。
 本日の講師、有沢正人氏(カゴメ株式会社 常務執行役員CHO)は、まさしくその神の仕業を長年にわたって務めて来られた。銀行、グローバルの精密機器メーカー、外資系保険会社と、いくつもの会社で長年にわたり「人事プロフェッショナル」として活躍。そのうち銀行と保険の時代には、兆単位の巨額の公的資金を受けてリストラを主導する経験もし、一時は「下り坂のスペシャリスト」とのあだ名をつけられたという。

 現在のカゴメに招聘された理由は、グローバルのメーカーと外資系保険会社でグローバル人事制度の改革を成功させた実績だった。

 カゴメは売上が2,000億円ほどもありながら、有沢氏が入社した2012年の時点ではグローバル比率はわずか2%という状態。少子高齢化で人口減少の進む日本の国内市場は飽和状態であり、同社の今後の成長はグローバル市場の開拓にかかっていることは自明だった。
 しかし当時の人事制度は全くグローバルに対応していなかった。それに強い危機感を抱いていた当時の西社長が、「グローバルに通用する人事制度を一から作ってほしい」と有沢氏に要望したのだという。

"小学生の通信簿"に驚愕

 就任早々、有沢氏は驚愕することになる。
 "人事で一番大事なことは現地に足を運ぶこと"とのポリシーを持つ有沢氏が最初の仕事に選んだのは、各海外拠点に行き現地のCEOと話をすること。まず、海外拠点の中でもかなり大きいオーストラリアに行った。すると「え?日本に人事部なんてあったのか」と言われ、それまで日本本社人事部が海外拠点に出向いたことなかったことを知る。さらに評価シートを見せるように求めると、なぜかCEOはそれを出し渋った。なんとか無理やり出させたシートを見て唖然とする。

 営業部長の目標の欄には「meet many people」と書かれている。その結果の欄は「met many people」...全く同じフレーズを過去形にしただけ。それで評価の欄には5段階評価の5が付いている。まるで小学生の通信簿だ。

 では財務部長のシートはどうかと見てみると、目標の欄が「make many conversation to Japanese financial people」、結果の欄はやはり同じフレーズの過去形...これではとても評価制度と言えるものではない。いや、そもそもこの時点でオーストラリア拠点には人事部門がないというのだ。オーストラリアだけではない、次に訪れたポルトガルも、次のアメリカも、状況はほとんど同じだった。

 社長がグローバル人事制度を一から作ってほしいと要望したのはレトリックではなく、まさに言葉通りの意味だったということを思い知った有沢氏は、人事制度改革に向けた怒濤の進撃を開始する。

社長の給料は今いくら?

 社長には「オーストラリアの工場長と那須の工場長のどちらが偉いか分かるようにしてくれ」とも言われた。そこでグローバルジョブグレード(職務等級制度)を作り、評価基準の統一を図った。同時にコア人材のサクセッションプランを策定。さらにグローバル教育体制を確立した。

 こうした改革に際しては、どの会社でも必ずハレーションが起きる。評価制度を変えれば収入が下がる人も出て来る。だから有沢氏は「上から変える」「各拠点に出向いてそれを説明する」「変えた結果を全社員に分かりやすく示す」ということを方針としたという。

 なんと社内報に「社長の給料は今いくら?」という記事を載せ、役位が上の人ほど固定報酬の割合を下げている(社長はなんと50%!)という実態も全社員に開示したという。役員ほど大きなリスクを取ると宣言する、そこまでやらないと社内は変わらない、上から率先して身を斬れば組合にも話しやすい、というのだ。

会社と個人のフェアな関係を

 旧来の年功的な横並びの"目分量"での評価は、平等(equal)かもしれないが公正(fair)ではない。「人事にはfairnessが一番重要」というのが、講演の中で何度も有沢氏の口から出たフレーズだ。

 講演では、2016年頃から強力に推進中のダイバーシティについても詳しく紹介された。これら一連の人事制度改革の目指すところは、個人が自分の価値観に応じた多様な働き方ができるようになること。自分のキャリアを自分で決めることで、会社と個人がフェアで対等な関係となる。そうすることで会社と個人が共に価値を生み出すパートナーとなれる。それが有沢氏の描くゴールだ。

 私が大学院で経営を学んでいた当時は、日本の人材マネジメント観が「人事労務管理(PM:Personnel Management)」から「人的資源管理(HRM:Human Resource Management)」へと切り替わりつつあった頃だ。PMの時代、人材というのはコントロールすべきコストでしかなかった。HRMの時代になって人材は投資価値のある資本(Human Capital)であり、コミットメントを促すべき対象と考えられるようになった。

トップに宣言を仕向ける

 そして現在、時代のトレンドは「戦略的人材マネジメント」(SHRM:Strategic Human Resource Management)である。人事は今や戦略とより密接に結びつくようになり、人は、企業の持続的な競争優位をもたらす源泉と見なされるようになったと言われる。

 有沢氏の主張はさらにその先を行く。「経営戦略の中で最も大切なのが人事戦略です。制度だけなら誰にも作れるが、運用をやれるかが人事の勝負。だからこそ、いかにトップを動かすか。そうじゃなきゃ会社は変わりません。経営陣が人事を我が事と考えて率先して宣言してくれるよう仕向ける。それが人事の仕事です」

 精緻に作り込まれた53枚ものスライドを、わずか1時間半で説明し尽くした有沢氏。とてつもないスピードで精力的に語り続けるその様子は、世間でいう人事部長のイメージとは程遠い。この圧倒的なパワーでカゴメの経営陣をあれよあれよという間に巻き込み、わずか5年で100年企業の人事観を根底から作り替えてしまったのだろう。

 有沢氏は、神のような存在というよりも、稀代のトリックスターなのかもしれない。

三代貴子