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心をひらく鍵、の探し方 大宮エリーさん

photo_instructor_893.jpgぎゃははは。メモを取る手を止めたまま、笑いっぱなしの2時間、「あーオモロかった。以上終わり」で、この度は無礼つかまつりたい。それほどすっきりとした解放感に満たされて会場を後にした。何だろう、このデトックス感。号泣した後のようなカタルシスは。

大宮エリーは、常に窮地に立たされる。大宮エリーには、のべつ無理難題が降りかかる。大宮エリーには、あらゆる方面・業界からムチャ振りが押し寄せる。するとそれらを何倍返しにもして結果を出す。講演で披瀝された抱腹絶倒エピソードは、そのプロセスで起きた数々の武勇伝である。追い詰められまくった事態の深刻さと緊張感に、聞いている方もハラハラしっぱなしだが、そのたび胸がすくようなハッピーエンドのオチがつき、羨望の思いとともに安堵するのだ。

作家、脚本家、演出家、CMプランナー、映画監督、画家、写真家、ラジオパーソナリティー、スナックママ......。およそ型にはまらないといってこれほど型にはまらないクリエイターもいないが、意に反してご本人は「自分としては、ひとつのことしかやっていない」と控えめだ。ただ「自分という体(言葉)を使って表現している」だけで。ペインティングなら色、小説や詩なら言葉、映像なら音と光で。顕れ方は違っても、すべては大宮エリー印というひとつの表現にすぎないと。

しかしこれほどのジャンルを越境し、常に新しいことに挑戦し続ける大宮エリーは、勢いどこでも門外漢だ。つまり至るところで「完全アウェイ」。徒手空拳で、並みいる専門家たちの間に(自ら、あるいはむりやり)ぶっ込まれていくのである。立ちはだかる艱難辛苦。嫉妬ややっかみ。高速回転で繰り返される自問自答。「どうする、どうするよエリー」。

最初の壁はショートムービー『海でのはなし。』制作で立ちはだかった。大手広告代理店でそれなりの経験は積んでいたものの、初監督として、いきなり百戦錬磨の映像職人たちを束ねることになった。突き刺さる冷ややかな目線。ただでさえ時間と予算がギリギリなところ、7分の作品に70分相当の脚本を書き上げた。当然のようにスタッフ全員からNOを突きつけられる。「無理っすね」「ムリムリムリムリ」。しかしエリーは毅然(←ここ大事)として断言する。「できない、じゃなくてやるの」。リハーサルで西島秀俊や宮崎あおいに本気を出させ(テスト本番)、スタッフに部屋を借りてシーンを撮り、照明部のやりくりで低予算を切り抜けた。かくして人気バンド・スピッツのプロモ用に制作した当Webムービーは、好評のあまり劇場公開されるという異例の結末を得ることになる。

尺の長短にかかわらず、映画監督という役職は非常な重圧を強いられるポジションだ。大勢のスタッフや演者をまとめて動かし作品を完成させるには、その一人ひとりから絶対的な「信頼」を勝ち得る必要がある。エリーは如何にして......。「カメラマンに訊いてみたんだよね。いつからアタシを認めてくれたの?って」。撮影始め、の合図にうっかり「カーーット!!」とかましてしまい、カメラマンから「監督、まだスタートしてないっすよ(笑)」と横槍を入れられた瞬間、「あ。」「じゃスタート!」と眉ひとつ動かさず切り返した。その胆力に、カメラマンも「こいつカッコイイな」と認めざるを得なかったのだという。

失敗も星の数ほどある。あろうことに、自分の個展のオープニングと、『世界ふしぎ発見』(TBS)の収録日をダブルブッキングした。オープニングの日時は、ポスターやフライヤーに印刷されて既に出回っている。パニックに陥りつつも速攻で個展の担当者に電話をし(コツは、先に「これから背筋が凍るような大変なことを言います」と大仰に宣言すること。これで少なからず衝撃が和らぐ)、代わりにA案・B案・C案ととびきりのオプションを用意した。「もう、日程がずれてむしろおいしかった~と思ってもらえる」くらいのやつを。「失敗をどうリカバリするかで人柄が出るんです」。

プレッシャーや失敗を力に変える。作品が1点もないのに個展のオファーが来る。豪胆さと、鮮やかな機転、豊かな発想の源は、ひとえに才能によるものだけなのか。大学(薬学部)では、仮説→実験→検証の訓練を積んだ。クライアントの問題提起に応え続けたことで解決能力が培われた広告代理店時代。だがそんな大宮自身に、実は「したいことは、特にない」のだという。そ、そんな。湧き出る欲求に突き動かされてというより、表現のアイデアはあくまで「問題意識」「責任感」によってしか発動されないのだという。しかるに大宮エリーという人は、徹頭徹尾、利他的な表現者であるといってもいい。観客が体験してはじめて成り立つインスタレーション(3つある鍵から直観的に選んでドアを開けてみるという展示は暗示的だ)や、ライブペインティングなど、大宮の展示には、参加者の心をじかにときほぐすものが多いのもその証左だろう。

小学生の時に大阪から東京に引っ越してきて酷いいじめに遭った(こんな利発でオモロい女子、すかした都会っ子には脅威だったろう)ことが原体験となり、大宮の心にひとつの大きな信念が宿った。「自分の気持ちを言わなかったら、なかったことになる」。その「問題意識」の芽を育て、あらゆるかたちで思いを伝える触媒:大宮エリーができあがったのだ。

「人のためになら強くなれる」と言い切り、著作でてらいなく「とても傷ついた人を見ると どうも、放っておけないというか 自分もなぜか同化してしまって(中略)でもそのひとを心の底から励ましたいという思いが自分を突き動かしたりして」と書く大宮は、愛や優しさという手垢のついた言葉を別の様相に置き変えてさまざまに「伝える」ことを自らに課している。
コミュニケーションとは、相手を「思い」「遣る」こと。そんな死ぬほど当たり前のことが、大宮エリーという触媒を通すと、新鮮な気持ちで肯定できそうになる。あのクリエイションを生み出す、あの酩酊&本音ぶちまけトーク(@ラジオ)で聴く者を解放させる、大宮の言ならば。凡人でも心がけひとつでマネできそうだし。

洗練されていなくていい、うまく言おうとしなくていい、「『ありがとう』『良かったです』を10回繰り返すだけでいい」。言わなければゼロだが、愚直な10回は心に響く。

沖縄・久高島で現地のシャーマンに霊性を認められたという大宮は、自然とも交信できるらしい。あるいは己をむなしくして風や木々の声に耳を傾ければ、それを本気で聴こうとするならば、それすら誰にとっても簡単なことなのかもしれない。

(茅野塩子)

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