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現代に生きる赤ひげ 服部匡志先生

photo_instructor_876.jpg服部匡志先生はフリーランスの眼科医だ。フリーランスの○○医と聞いて、"群れを嫌い、権威を嫌い、束縛を嫌い..."そう、あの「ドクターX」米倉涼子を思い浮かべた私は、フリーランスのお医者さんって本当にいるんだ!と驚き、実際どんな生活をしてるの?やっぱり"たたき上げのスキルだけで突き進む"感じ?と想像を巡らせ、ごくミーハーな動機で今回の講演にエントリーした。
しかしその内容は、あまりにも意表を突いたものだった。こんな人がこの世にいたんだな。そんな嬉しい驚きであった。

服部先生は高校2年生のときに胃がんでお父様を亡くされた。もとは文系志望だったが、この後に医者を志すことを決め、4年間の浪人の後に京都府立医科大学医学部に入学された。
「4浪で医学部合格」という字面だけを見ると、あまり成績の良くない人が必死の努力の末にギリギリ合格した...という印象を持ってしまいそうになるが、お話を聞くとそういうことではなかったようだ。2年目の受験のときは「大阪大の医学部に200%合格できる」と予備校の先生から太鼓判を押されたらしい。受験には運がつきもの。それは私自身も身をもって体験しているからよくわかる。

それはともかく、なかなか合格できなかった4年間、かつての同級生たちが大学生活を満喫している様子を横目に先の見えない不安の中でがんばるのは辛かった。「こういう努力は、後から効いてきます」という先生の言葉には、経験した人にしかわからない実感が滲む。
 
大学では消化器外科を志す。胃がんで亡くなられたお父様を思ってのことだ。ところが6年生のときに、眼科の木下先生と運命的な出会いを果たす。木下先生から眼科に来いと熱心に誘われるが、消化器外科への思いも断ち切りがたい。それでも最後は、木下先生の説得を受け入れて眼科医になると決意。「木下先生が産婦人科だったら、自分は産婦人科になっていた」というほどに、この先生に人生をかけようと思ったそうだ。

以降は大学病院をはじめとする複数の病院で研鑽を積み、「網膜のスペシャリスト」となった服部先生は、37歳の時ある学会でベトナム人医師と出会う。「ベトナムでは大勢の人が失明している。どうか助けてほしい」と請われたことが頭から離れず、ついには家族の反対を押し切って3カ月のボランティアへと向かう。勤めていた病院は辞めざるをえなかった。

ベトナムの状況は目を覆わんばかりに悲惨なものだった。失明の危機にさらされている重症患者が非常に多く、待合室には患者が溢れかえる。設備は古い。機材は足りない。日本でなら助けられる患者を、ベトナムでは助けられない。そんな状況を目の当たりにした服部先生は、一度日本に帰国し、私財を投じて医療機器を購入しベトナムに持ち込む。ベトナムでは休む暇もなく治療や手術を行なう毎日。そうこうするうちにあっという間に3カ月が経過したが、患者が途絶えることはなかった。

このまま帰国していいものか、と服部先生は苦悶する。
それから16年。服部先生は、2週間は日本で働き、2週間はベトナムで治療をするという生活を以来ずっと続けている。日本では全国各地の病院で眼科の手術を行ない、そこで得た収入をベトナムでの治療につぎ込む。そんな生活を続けているのだ。
 
先生はベトナムでは一切の報酬は受け取らない。報酬はおろか、現地での滞在費も自前。治療費を支払えない患者の代わりに自分が支払うことさえあるという。「手術をすれば治るのに、お金がないなら手術ができないと言えますか?」と先生は言う。いやいや先生、日本だってそんな病院は多いでしょ、と私は胸の内でつぶやく。

講演後に「なぜ報酬を受け取らないか」という質問が出たが、先生の答えは「お金はもらうとクセになる。ある人は1万円、この人は5万円、こういうことを続けていると卑しい気持ちになる。だから受け取らない」とのこと。
医療行為は完全に無償。現地での生活費は自分持ち。時々患者の治療費を肩代わりする。となると、日本での滞在時によほど稼いでいるのかな?なんて卑しい勘繰りをしてしまうのだが、どうもそうでもないらしい。講座の最後に、先生のことをとりあげたテレビ番組「情熱大陸」のビデオが放送されたが、その中で「年収400-500万かな。そんなんで十分」と話されていた。え?お医者さんなのに400-500万?そしてそのお金をベトナムにつぎこむの?
驚くよりほかはなかった。

私は、大学卒業後は公務員として9年働き、その後はNPOの世界で働いた。
私がNPOの世界に入った頃には、「NPOにもマネジメントが必要」「企業と同じように経営感覚を持つべき」といった論が多かった。組織運営をする以上それは当然で、"思い"だけで突き進むなんていうのは時代遅れの組織であり、無償で何かをやり続きけるというのはお金持ちの篤志家がやることで長続きしないのだと言われた。もうそんな考え方は古いのだ、NPOやボランティアも変わらなければならないのだという論調が圧倒的に強かった。

また、「無償ボランティア」はサービスを受ける側にとっても「してもらっている」という心理的な負い目を持たせてしまうから、「有償ボランティア」のほうがサービスの提供者と受け手とが対等な関係を築けるのだ、というような主張も多かった。これらの論調を、まあそうだよな、と私も思ってきた。

寄付集めで大きな実績を上げている団体に話を聞きに行ったこともあるが、その団体が寄付額を大きく伸ばした理由の一つに「職員の給料を上げた」ことがあった。以前は、人々から集まった寄付を人件費に使うなんてとんでもない、職員は爪に火を点すような生活をしながら1円でも多くのお金を寄付に回すべき、という考え方だったものを、代表に企業の役員経験者が就任したことを機に「寄付の3割は人件費に充てる」ことを明示し、スタッフの給料を大幅に上げて生活の安心を与え、寄付集めも戦略的に行なった結果、寄付額が大幅に伸びたというものだった。これも、なるほどNPOも変わらないといけないと感心させられたものだった。
そもそも日本には「ただより高いものはない」という言葉もあり、「純粋な善意」をどこか胡散臭い目で眺める傾向がある。私にもある。

そんな価値観にたっぷり浸かっていた私にとって、服部先生の"むきだしの善"は、古いどころか圧倒的に新鮮だった。この人には、マネジメントやら人件費やらなんて関係ないんだな。自分が大切だと思うことを、ただ真っすぐ、最大限の力でもって実践しているんだな。

こんな人がいるんだな。
講演の最後には、私はちょっと泣けてきてしまった。いつのまにやら濃い靄の向こうに追いやっていた、昔の自分が大切にしていた何かにちょっと触れたような、そんな気持ちがしたのだ。

先生は現在、現地での若手医師の育成に力を注がれている。ベトナムだけでなく、ミャンマーやハノイにも赴いて後継者を育成されているそうだ。この情熱たるや、本当に頭が下がる。

先生は今も「手を抜かないこと」そして"never give up"を自らの大切な価値観にしていること。「手を抜かない」とか、"never give up"とか、なんというかとっても"ベタ"だと思うけれど、そのベタなところがこの先生のカッコよさだ。どこまでも真っすぐ。一人でも多くの患者さんを救いたいという、ただそれだけで突き進む服部先生。まさに、現代に生きる"赤ひげ"。

服部先生のこれからの活動を心から応援したいと思う。

(松田慶子)

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