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"異色"たりて礼節を知る 朝倉祐介さん

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息つく暇もない転身劇の連続

今回の講師は、「異色の若手経営者」という冠つきで紹介されることの多い、前ミクシィ社長の朝倉祐介氏だ。
白いTシャツとデニムパンツに綿ジャケットを羽織って軽やかなステップで駆け上るように登壇したその姿は、確かに、仕立ての良いスーツに身を包んだベテラン経営者達とはかなり違う。しかし2000年前後からこういう「Tシャツ経営者」はよく見られるようになり、そういうスタイルだけで異色と呼ばれることは今やないだろう。
では、何が異色なのか。
まず分かりやすいところから言えば、その経歴だ。講演は、その異色な経歴の紹介からはじまった。

1982年に兵庫県西宮市で生まれた朝倉氏は、公立中学を卒業したあと15歳で単身オーストラリアに渡り、競馬騎手養成学校に入学する。氏曰く「阪神競馬場の近所で生まれ育った子どもは、普通の子どもがイチロー選手に憧れるような視線で武豊騎手に憧れて育つ。だから自然と騎手になろうと思った」。
とはいえ、高校進学率が95%を超えていた1997年当時に、高校に進学せず海外の騎手養成学校に飛び込むという決断は、いかにも異色だ。
ただ残念なことに、朝倉少年はその学校に1年しかいられなかった。背が伸びすぎてしまったのだ。渡航時には160cmほどだった身長がわずか1年で175cmまで伸びてしまい、騎手に適した体重である47~48kgを維持するために減量するうち体脂肪が3%にまで落ちてしまった。仕方なく16歳で退学して帰国。今度は北海道浦河町に渡り、競馬の調教助手の仕事に就く。

その夢は再び1年後に破れる。調教助手だった17歳の時に事故に遭い、大腿部・下腿部を粉砕骨折してしまう。もう身体を資本とする仕事は無理だと悟った朝倉少年は故郷に戻り、大検の専門学校を経て2002年、20歳の時に東京大学法学部に入学する。この方向転換の鮮やかさもかなり異色といえよう。
東大在学中にはガラケー用アプリのミドルウェア等を開発するネイキッドテクノロジーというベンチャーを起業。卒業後はマッキンゼー・アンド・カンパニーに就職するも、3年後にネイキッドテクノロジーから呼び戻され、マッキンゼーを退職してネイキッドテクノロジー代表取締役社長兼CEOに就任。ほどなく同社をミクシィ社に売却することなり、それに伴い2011年秋にミクシィ社に入社。"ヒラ社員"からスタートし、経営企画室長などを経てわずか1年半後の2013年春に代表取締役社長に任命される。

その時点でミクシィ社は売上が急降下中で、上場以来初めて赤字転落するなど危機に瀕していた。そこで朝倉氏は「ミクシィ社は事業再生フェイズである」として経営改革を断行。わずか1年で変革を成し遂げ、業績をV字回復させると「ミクシィ社は再成長フェイズに入った」として代表取締役社長を退任するのだ。そして同時に経営者の立場からも離れ、スタンフォード大学の客員研究員になる。
下げ止まらないでいた業績をみるみる回復させる若き新社長の手腕に世間の耳目が集まっていたさなかに、あっさりとその職を辞して研究職に転身してしまう。その潔さもまた、かなり異色と言っていい。
もちろん、2007年の大学卒業からわずか7年間の間のめまぐるしいまでの転身劇の連続は、単に"異色"のひと言では表し尽くせないのであろうが。

あらゆる事象は"3つ"に収斂する

2011年にミクシィ社に入った朝倉氏の目には、ミクシィ社が「踊り場局面の典型的な症状」を呈していることが見て取れた。
・タコツボ化した神学論争→既存のサービスから抜け切れず、その延長線上の発想しか持てない
・独善的な戦況の解釈→競争環境を自分たちに都合よく解釈
・不作為の経営→「決めない」ということを決めていた
・他責と犯人捜し→「悪いのは○○だ」「○○のせいでうまく行かない」ばかり
受講者としては耳が痛い。こうした部分は、ある程度の歴史をもつ企業であれば、どこにでもありがちな"症状"だ。

朝倉氏はその原因となった外部環境・内部環境を3つにまとめた。
【競合】国内オンリーワンだったSNS業界に米国等の他社サービスが次々と参入し競争力が低下
【市場】ガラケーからスマホへの移行に伴う広告市場の縮小
【自社】成功体験にスポイルされた組織風土

しかしその一方で、ミクシィ社には「優秀なエンジニアと開発力」「130億円のキャッシュ」「誰もが知るmixiという看板」という3つの価値がある。アウトサイダーのベンチャー経営者からすれば喉から手が出るほど欲しい価値ばかりだ。朝倉氏は「腹が立った、こんなにも良いものが揃っていてなぜ!?」。

そこで社長に就任した際に朝倉氏は「新生ミクシィ社が取り組む3つの変革」という方針を打ち出した。
変革(1) mixi内外での収益拡大→既存事業に固執しないで外貨(SNS以外)獲得&利益にこだわる
変革(2) 外部事業への積極投資→キャッシュからキャッシュフローを生む
変革(3) アントレプレナーの輩出→大企業化した風土を変え、新しい事業が生まれる風土を作る

こうした変革をめざす際のポイントは3つ。
(1) 解くべき課題を間違えない→SNSのサービス改善を課題としていたら失敗する
(2) 人ではなく環境に働きかける→雇われ社長にはカリスマ性がないので人を説得していたら間に合わない
(3) 発病前に予防が大事→大企業病に罹ってからでは変革は面倒

そして変革を終えてみての結果論として、「会社の再生に要した3つの要素」を
(1)「理」→ロジック、ストラテジーなど頭を使う部分(必要条件)
(2)「心」→決めたことをやりきるタフさ(必要条件)
(3)「運」→言葉通りでマネージできない要素(十分条件)
であったと総括する。「理を尽くして心を貫き運を掴む」これが成功要因だったと言うのだ。

朝倉氏の講演では、あらゆる事象が3つにまとめられて紹介される。
プレゼンの名手と言われたスティーブ・ジョブズ(アップルCEO)やスティーブ・バルマー(マイクロソフトCEO)、アル・ゴア(元アメリカ副大統領)なども、プレゼンをする際に必ず3つのポイントで語ったという。
多岐にわたるように見える複雑な事象の糸を解きほぐして3つにまとめることが、分析やプラン実行には有用だということは、朝倉氏が成し遂げて来た結果に表れているといえよう。

一番の"異色"は、"らしくない"こと

最後に朝倉氏が、こうしたミクシィ社等での経験を通して得た「会社に対する基本的認識」を、
(1) 会社の原点はプロジェクト的な性質
(2) 継続企業の前提(ゴーイング・コンサーン)はフィクション
(3) 会社は異なるステイクホルダーの期待に応える多義的な存在
と、3つにまとめたあと、質疑応答タイムに入った。

サテライト会場からも含め質問がたくさん上がった。その中で「いきなり上場企業の社長になって、サラッと経営していた風に見えたが、それはやはりマッキンゼーでの経験が役に立ったのですか」という質問があった。これへの朝倉氏の回答が、とても印象的だ。
「マッキンゼーでの経験は全く役に立たないですね。ベンチャー経営者だった頃に、毎晩毎晩、資金繰りが気になって眠れなかったり、ストレスで前歯が折れたような経験こそが役に立ちました」
「ベンチャーでは財務3表なんて役に立ちませんよ、役に立つのは銀行通帳だけ。キャッシュが燃える給料日が何よりイヤでした」
「半ば根性論や精神論になるが、理・心・運のうちの"心"を、いかに貫き通すかという腹決めが一番重要だと思います」

"東大生ベンチャーの旗手でコンサルティングファーム仕込みのIT企業経営者"と聞けば、経営指標と戦略に従ってドライに利益を追求する、いわば「理」の権化のようなイメージが湧く。しかし朝倉氏の実像は違う。経営に対する「理・心・運」それぞれの寄与度は(あくまで私見であると断りつつも)1:4:5 だと言う。
また企業には、「経営者の視点をもった投資家」と「投資家の視点をもった経営者」とが必要であり、その投資家についても「この会社はどういう未来を創っていきたいのかというファンダメンタルな所を評価する投資家が必要」だと言う。
銀行通帳と睨めっこで呻吟する経験こそが企業再生に役立つという言葉もそうだが、"ドライ"とは対極にある温度を感じさせられる。
こうしたイメージギャップこそが、朝倉氏の異色たる所以なのではないだろうか。一般にマスコミが"異色"と評する時、それは"不遜"だったり"無礼"だったり"非常識"だったりの言い換えの場合も多い。しかし朝倉氏の異色さは別物、むしろその逆だ。講演終了後のロビーで著書へのサインに応じながら、ひとりひとりの受講者に朗らかに丁寧に話しかけている朝倉氏の姿を見た人は、誰もがそう感じたに違いない。

(三代貴子)