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雑学が世界に彩りを与える―科学で斬るベースボール 矢内利政さん

photo_instructor_855.jpg私は野球にうとい。野球好きの主人から「カーブ」「シュート」「スライダー」の違いを何度聞いたかわからないが、いまだに覚えられない。

ではなぜ今回、野球をテーマにした矢内利政先生の講演を聞こうと思ったかといえば、過去にこの夕学五十講に出席してきた経験からすると、自分の関心領域から離れている講演は面白い、という実感があるからだ。野球、それも「スポーツ科学」という自分から遠く離れた分野の講演は、「わからなくて当然。発見があればラッキー」とでもいうような安心感があり、私は肩に力を入れることなく丸ビルに足を運んだ。

そんな私の心境を知っていたかのように、矢内先生はこう切り出した。

「飲み会のネタになるような話をしましょう」。

まず語られたのはピッチャーが投げる「直球」について。
直球ぐらいは私もわかるつもりだ。要はまっすぐのボールでしょ、と。
ところが、ではどうやって投げるのか?ボールの回転は?と聞かれると途端にわからなくなる。いやいや普通に投げれば直球でしょ、くらいに考えている私からすると(野球好きのみなさま、こんな私が今回レポートを書く役目を担い本当にすみません)、どの話も驚きの連続だった。

直球の回転はバックスピン。後ろ向きの回転、と言えば伝わるだろうか。ピッチャーは、ボールをリリースする直前、最後の200分の1秒でボールにバックスピンをかける。これで直球になる。
「へーっ」な話だ。
この回転数が打撃には大きく影響する。130km/hの球速の球を、30回転/秒、40回転/秒、50回転/秒で投げ分けた場合、打撃には大きく影響が出るそうだ。プロ野球や大学野球のバッターを対象にして実験した結果、30回転の直球は芯に当たってヒットになるのに対し、40回転ではフライが多くなり、50回転はファールチップが多くなった。バッターの印象を聞くと「回転数が多い球ほど早く感じた」とのこと。また、回転数が多いほどボールの「伸び」が良くなり、40回転の球の到達点は、30回転の球より10cm高くなる。これは回転による「揚力」によるものなのだそうだ。

「へーっ」の連続である。私のささやかな知識だと、いいピッチャーとは球が速くて、コントロールが良くて、あとはメンタルが強くて...くらいの認識でいたのだが、もっと細かな分析ができそうだ。ボールの回転数なんて、これまでただの一度も考えたことがなかった。

さらに、ボールの回転軸が曲がりを変化させる。右ピッチャーの場合、ボールの回転軸は少し右下がりとなるのだが(実際に投げる動作を考えるとわかる)、サイドスローのピッチャーだと軸はさらに右下へと傾く。こうなると、回転軸が地面と垂直ならば真上に働く揚力が、斜め右上方向に働くためにボールの軌道は変化する。先生の言葉をそのままお借りすれば「サイドスローの直球は、シュートよりも曲がる」そうだ。
飲み会の席ならば、え?それは直球?それとも変化球と呼ぶんですか?と聞いてみたいところだが、講演の席ではそれは叶わず。多分、直球は直球なのだろうけれど。
なお、同一の球種でも投手によって変化が異なるため、変化球をコンピュータで見分けることは不可能なのだそう。
球速、回転数、回転軸でボールの軌道が変わる、というこの話。自分の活動や関心の領域から遠かった話題は、無責任に驚き、想像し、感心できるから、存分に楽しめる。

先生はバッティングについても話された。ホームランを打つには「160km/hの初速度の打球を20~30度の角度で打つことが必要」とのこと。そして、獲得可能な打球の速度は「0.15×投球速度+1.15×ヘッド速度」で計算ができるのだそうだ。

ヘッド速度とはバットをスイングするスピードのことだから、なるほど素振りが大事なわけだ。野球少年が熱心に素振りをする理由が初めてわかった。現在1歳の息子が将来野球をやりたいと言い出したら、「打撃はヘッドスピードが大事だから、素振りをしなさい!」と有効な(?)アドバイスができるかも...。想像するだけでニヤニヤしてしまう。

いつだったか、義理の両親と主人と私の4人で寿司を食べに行ったとき、店で出された湯呑茶碗を見て父がこう言った。

「いい『京焼』だ」。

焼き物の知識がない私は「そうなんですか」と答えるだけだったが、その時、まったく同じものを目にしながらも、知っている人には見えていて、知らない人には見えていないものがあるんだということをふと感じた。

そういえば、中学や高校の部活でやっていたスポーツを、大人になってからもずっと好きでいる人は多い。もともと好きなスポーツだというのもあるだろうが、知識があるゆえにいろいろな見方ができたり、プレーヤーの心理を想像できたりするからだろう。

人は、まったく知識のない対象物よりも、少しでも知識のある対象物のほうを深く見る。獲得済みの知識が、さらに深く知ろうとするためのフックになるからだ。
仕事の専門分で得た知識ももちろんいいのだが、実生活には一見役に立ちそうもない「雑学」が、様々なものを深くみようとするためのフックとなる。フックが増えれば、見えるものがたちまち増える。
知識は多いほうが楽しいのだ。例えそれが「雑学」と呼ばれるような知識であってもだ。それは、平板に見えている世界に深みを与え、彩りを与えてくれる。

今回の矢内先生の講演は長年の研究成果のうえで話されているものだから、「雑学」などと言ってしまっては失礼千万だろう。野球選手や指導者にとっては、非常に価値の高い情報が満載だったに違いない。
しかし、野球と関連する仕事をする日が来るとは思えない私にとってはやはり「雑学」といえる分野の話だった。今回の話を聞いたことにより、私が今後野球を見る時には、ピッチャーの球の伸びがよければ「回転数が高いに違いない」と想像することになるだろう。得意顔で主人に解説する日も来るかもしれない。その姿を想像するだけで、すでに十分楽しいではないか。

松田慶子