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ザ・ストーリー・オブ・ムネハル・オザキ

photo_instructor_858.jpg貧しい生活だった。
1億円の借金をして、食肉用の牧場をはじめた親父は借金まみれであった。 
56歳になった尾崎宗春は子どもの頃の記憶を甦らせる。
牛は飼育しているが、高級品である牛肉なんて食べたことがなかった。
情けない。子ども心に「親父のようにはなりたくない」と思い、自分は安定した公務員になるんだと心に誓った。

高校は宮崎ではなく、大阪にあるPL学園に通った。1970年代半ばのことである。これが宗春にとっての転機となった。
大阪の街には、疲れ切った顔で会社に向かうサラリーマンであふれていた。
ふと、故郷の親父の顔が脳裏に浮かんだ。
中卒で借金まみれだが、生き生きと牧場で働く親父の顔が懐かしくなった。
目を閉じて考えた。親父のようになりたいと思った。
目を開けると公務員になる夢は消えていた。
高校卒業後、4年間は親父のもとで畜産の基礎を学んだ。
しかし、それだけでは何かが足りないと感じた。
もっと上を目指したい。自分は世界一になりたい。
「そうだアメリカで勉強しよう」と宗春は思った。

22歳になった。1982年、技術を学ぶためにアメリカへと渡った。もちろん、お金はないので日本人の農業研修生として働きながら勉強する生活だ。
アメリカでは最先端の技術を学ぶことができた。
肉骨粉を食べさせたり、成長ホルモンを注入したりして、短期間で牛を太らせることを知った。
だが、宗春は疑問に思った。これを食べる人間の身体に悪影響はないのだろうか。アメリカ人たちは、根拠もなく「安全だ」と言うが、宗春には信じられなかった。

アメリカの研修システムは日本も見習うべきだと思う。
研修生という名で労働力を入れさせて、稼いだお金でアメリカの大学に通わせる。そして、記念にアメリカ横断してもらって母国に帰国。アメリカで稼いだ金は、しっかりアメリカで使ってもらう。
宗春は2年間働いて日本円で約300万円貯めた。そしてネブラスカ州立大学に入学し、畜産遺伝学、繁殖生理学、栄養学を学んだ。すべてが貴重な体験だった。
日本の大学では解剖実習の際、生徒5~10人に対して牛1頭が与えられる。
一方、アメリカでは生徒1人に対し50頭もの牛が与えられた。
宗春はそれを5頭ずつに振り分け、10パターン別々の餌を与えて解剖した。
トウモロコシ、大麦、大豆、ブレンド...という風に。
この経験が、尾崎牛の飼料の開発のルーツとなった。

2年間、必死で学んだ。日本に帰国したが、父親の牧場は未だ8500万円もの借金があった。
どうにかして、親父の借金を返したい。
だが、宗春にとっていちばん大事なことは、安全でおいしい肉を消費者に届けることだ。
儲けのために、不健康で安価な牛肉を量産するなんて出来ない。
アメリカで見た光景が目に焼き付いている。
牛の耳の後ろにパッチを付け、成長ホルモンを投入していた。
彼らは「安全」だと言い切っていたが、信じられる根拠はない。
日本に輸入され、食べ放題の焼肉店で安く提供されている肉だ。

自分のところで育てる牛は「家族に食べさせられない肉はつくらない」をモットーに餌にこだわった。
「健康な牛肉が人を健康にするんだ」宗春はそう思った。
保存料、添加物を一切使用せず、身体に良いビールの搾りかすをブレンドした飼料を食べさせる。この飼料は20年もの歳月をかけて開発した。牛だって毎日安全で美味しいもの食べたいはずだ。
さらに、美味しい牛を育てるには水が何より大事である。動物はカルキ臭のする水はあまり好まない。美味しい自然水を確保するために5万坪の土地を購入した。
風抜けもよく温暖で理想的な土地だ。

そして、美味しくて健康によい牛肉を宗春は開発した。尾崎牛の前身である。
この牛肉は食べても胃もたれしない。
普通の牛肉が融点40度に対し、うちの牛肉は融点28度、体温より低いからだ。
融点を低くするためには、30ヶ月かけて牛を育てる。少し年をとった牛のほうが美味しいのだ。はじめたころは、30ヶ月生きた牛は急に心筋梗塞などで死ぬこともあった。
今では老化を防ぐためにアルギニン酸を多く含む、ノルゥエー産の海藻を牛に食べさせている。

今から12年前の2004年、宗春は自分の牛を苗字に因んで「尾崎牛」と名付けた。
「ブランド」という言葉に対しては、自分なりのこだわりがある。
例えば、近江牛や松坂牛をみんながブラント牛と呼んでいるが、それはブランド牛とは考えない。1年前に食べた松坂牛と、今日食べた松坂牛が同じ味がするだろうか。
きっと違うだろう。
いつどこで食べても同じ味がしなければブランドとは言えないのだ。
「尾崎牛」はいつ食べても「尾崎牛」なのだ。だから、ブランドとして世界で戦える。
「尾崎牛で世界制覇」するのが宗春の夢になった。

現在、宗春は56歳である。
60歳までに2000頭の牛を飼い、200ヵ国に対して輸出することを夢見てきた。現在は1200頭の牛を飼い、25ヵ国に輸出している。
貧しくて、親父のようにはならないと誓った少年時代。
しかし、今では親父のように毎日生き生きと仕事をしている。
宗春はまだ夢の途中にいる。




と、講演を聴いた私の脳内で尾崎宗春の物語が出来上がってしまったので、そのままストーリー仕立てで書いてみた。だが、講演をする尾崎さんはスマートな語り口というよりは、朴訥なお方で、宮崎訛りでご自身の牛肉に対する思いを熱く語っていた。
ストーリーには入れなかった次の言葉が強く印象に残っている。

1000円の代金に対して、1000円のものを提供すれば、その客は一度きりしか来ない。
1000円の代金に対して、1100円のものを提供すれば、その客はもう一度来てくれる。
1000円の代金に対して、1200円のものを提供すれば、もう一人お客を連れてまた来てくれる。 

「求められている以上のものを提供する」。どこの世界で生きていくにも必要なことではないだろうか。

メシモリ・ホリヤ