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細胞からその先は 上田泰己先生

photo_instructor_842.jpg専門外の人に専門性の高い話をするのは大変だ。説明できてもどれだけ理解しているか、全体や詳細を、はたまたその趣旨を本当に理解しているかなどは話し手には本当のところ理解しようがない。研究の必要性や有用性のみを話しても研究する喜びやワクワクする気持ちは伝わらず、それが伝わらなければ「何も伝わらない」。

上田泰己先生の講演は、研究の説明とワクワク感が上手く調和し、表現されたものだった。始まりはジョルジュ・スーラの有名な点描画を紹介し、点のように単純な「要素」によって絵が構成されているように私たちの体も同様ではないかと美しい例えからである。

ヒトを構成する細胞は意外な事にその全体の正確な数がわかっておらず(推測では約300億個)、全ての細胞を見た人はいないという。せいぜい見たことあるのはショウジョウバエや線虫だそうだ。今度はあまり美しいとはいえない(でも仕方がない)紹介である。
一方、天体の世界なら膨大な惑星の観察をしたプラーエや惑星の運動の法則を発見したケプラー、ご存じニュートンの万有引力のように全体的な法則が出てくることもあるが、細胞の世界では難しいかもしれない。ではどのように解読するのか。それを解決するのが細胞を透明化して見る方法で、そうすることによって細胞を光らせることができるという。

「細胞を透明化する」、そう聞いてまず思うのが次の言葉だろう。「透明人間」。しかし残念ながら生きている細胞にはできず、透明化できるのは死んだ後の細胞だけだ。今のところは。細胞を透明にすると何がどう良いのか。透明にすることで細かい点まで見ることができて、今まで見ることができなかった病気の原因の解明につながるのではないかと考えている。自分なりに解釈すると、例えば不動産物件を見る時に部屋の中が物で溢れていては当然部屋の全体も詳細も把握することができない。物をすべてなくすことによって初めてその部屋を知ることができる。あるいは空港の保安検査場で行われるエックス線検査を例えても良いかもしれない。

細胞に話を戻すと、生体組織の中には光を真っ直ぐに通さずに光を散乱してしまう様々な物質(最も多いのが水、そしてたんぱく質や脂質など)を除去するなどして各物質間の屈折率差を調整する。また生体組織に存在する光を吸収する、例えばヘム(ヘモグロビンに含まれていて血液に色をつけている)のような色素の除去を行う。言葉としてはわかるが「物質除去による屈折率差の調整」、「色素の除去による光の吸収の抑制」とは一体どのようにするのか。

従来の透明化剤では脳一つに透明化剤は一個しか使えず、(マウスの)脳を何個も使わなければならない、しかし倫理的な問題から何個も使えるものではない。そこで行き詰っていた時にインターンの学生が、脳をすり潰して固定化、小分けにして化合物を加えるという、通常なら「組織が壊れてしまう」とあり得ない発想を考えついた。試したところこの方法が上手くいき透明度が高くなることを発見する。もう一つの「色素の除去」も学生によって偶然発見される。血を抜いてから透明化処理すべきところをよく知らなかったのか、抜かずに透明化液(アミノアルコール、尿素、界面活性剤が調合されたキュービック液)につけたところ、(血の色のついたヘムである)液の色がオリーブ色となり、組織自体は透明になったという。こうした透明化の方法を2014年4月に発表することになったが、折悪しく「理研」の名を一躍有名にしてしまった事件と同時期となり、「マジカルな液に漬ける」手法も何かと連想をさせるとの考えもあり、発表を見送るべきではないかとの声もあったそうだ。結局は発表をして成果は大きな反響を得る。

新しい発明は新しい技術を要する。全細胞を透明化できても今度はそれを見る顕微鏡がない。そのため今は顕微鏡に合わせた大きさに切断しなければならない。でも「必要は発明の母」だ。きっと新しい顕微鏡が開発されるだろう。

ここまでは何とか私の理解もついていけた。いわば医学の世界の「プロジェクトX」だ。しかしここから先の「時間」や「ゲノムプロジェクト」「ゲノム以後のシステム生物学」については一気に説明が難しくなったのと、時間の割に詰め込み過ぎのような気がした。そういった未来の生物学以上に私には気になったことがいくつかある。それは感覚の違いだった。

マウスの脳のリアルな写真の登場も、「脳をすり潰す」という表現も衝撃的で、通常こうしたものに接することのない身としては居たたまれないものがあった。その後にマウスの動画が普通に紹介されると、生物学者と一般人との感覚の違いが気になって仕方がなくなった。そうした細かい違和感が「治療すること、それもできるだけ短時間で、という姿勢は、人間を許容度のない、息苦しいところへ追いこんでいるのではないか」という質問へと繋がった。病自体は治っても人の心がついていけないこともあるのではと思うからだ。

上田先生の答えは、医学が目指すものはソリューションを与えること、そして諦めを見つけることの二つだそうだ。新しい環境に対処しなければならなくなると古いものは捨てなければならない。限界を示せると諦めがつけられるのではという。諦めは「見つける」というより「折り合いをつける」方が私にはしっくりくるけれど、諦めを考えてくれていて何だかほっとした。そういえば先生の推薦図書には『生命とは何か』、『生命の本質』がある。そして講演の初めにジョルジュ・スーラの絵を紹介した事も思い出す。そこに医学者と一般人との感性が重なっていることを祈って。

(太田美行)