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坐禅で"型"から解放される 平井正修さん

平井正修平井正修さんが住職をつとめる全生庵は、安倍晋三首相がたびたび訪れたり、中曽根康弘元首相が現職時代に週1ペースで通っていた寺として知られている。

安倍さんや中曽根さんが全生庵に足を向ける目的は、坐禅だ。
坐禅――例のポーズや、お坊さんにうしろからペチンと叩かれるシーンはテレビで見たことがあるが、いったい何のためにやるのか、やるとどうなるのか。
坐禅について知りたいことは多々あるが、平井さんのお話は全生庵を建立した山岡鉄舟の生涯をふりかえるところから始まった。

努力の天才・山岡鉄舟

歴史にくわしくない私は、山岡鉄舟といわれても「幕末に生きた人物で、無血開城にかかわった」程度の知識しか持ち合わせていない。私と同じくらいの認識の方は、その生涯についてWikipediaを見ていただくと、ざっくりした情報を得ることができるだろう。

講演では、平井さんの口から山岡の印象的なエピソードがいくつか語られたが、いずれもしみじみと感動的だった。とりわけ、本人が亡くなった際の葬列が皇居前で10分停止したお話は、山岡の生前の功績の大きさを象徴するエピソードとして印象に残った。

平井さんは、山岡鉄舟のことを「禅を、自身の人生として体現した人」と表現した。「山岡の人生を語ると、すなわち禅の話になる」という。
といっても、山岡は生まれながらに何かを会得しているような天才ではなく、どちらかというと努力型の人物だったそうだ。四書五経を学ぶにあたり、「読むだけでは覚えられないから」とくり返し書いて覚えるなど、コツコツとした積み重ねを惜しまない姿勢が彼の人生を形づくっている。

山岡が残した「学んで成さざるの理なし 成さざるとは自ら為さざるなり」という言葉が紹介されたが、耳に痛かった。

他者の評価をあてにしない

ここまで書いてきてナンだが、正直に言うと今回の講演は難しかった。考えてみたらあたりまえだ、たった90分やそこらで禅の教えを理解できるわけがない。
だから、ここから先は、講演をとおして私なりに解釈したことを書いていこうと思う。

平井さんは学習院大学を卒業後、修行に出た。修行先の道場で最低でも10年は学ぶつもりだったというが、3年後にお父上(当時の住職)が他界したため、一時、全生庵に戻ってきた。
しかしながら政財界のVIPの応対を含めた前住職の仕事ぶりには到底およばず、劣等感を抱えながら過ごす日々は「針のむしろ」だったという。

やげて修行先の道場に戻り、当初の予定どおり10年の修行を終えて全生庵に帰ってきた平井さんは、今度こそ住職としての仕事を本格的にスタートするのだが、このときに前回とは大きく異なる点に気づいた。
それは、いつの間にか自分に「いい意味での開き直り」と「いい意味での諦め」が身についていた、ということ。

3年の修行を終えた時点では、相手の反応が気になって仕方なかった。「中曽根さんは、自分のことをどう思っているのだろうか」などと考えて、自分で自分を針のむしろに座らせていた。しかしコミュニケーションとはそもそも、発する者と受けとる者との呼応である。どう受け取るかは相手のコンディション次第なのだから、先まわりして案じたところでどうにかなるものではない。
そんな風に「開き直り」、「諦め」ることで、他者からの評価を気にすることなく等身大でふるまえるようになる。

この流れで平井さんが紹介した「撃竹大悟」と「桃花悟道」にまつわるお話はとても興味深く、この先もたびたび思い出すべきものとして胸に刻んだ。

禅の心と坐禅の習慣

水は、丸い容器に入れれば丸く、四角い容器に入れれば四角くなる。
実は「わたし」も、本来は水のように柔軟なものであり、どんな容器にもすき間なくピッタリとおさまることが可能なのだと平井さんは言う。

ところが、我々はつい「自分の型」を決めつけてしまう。そこに自らを流し込んで、氷のように固めてしまう。
もし型から自由になることができれば、誰かと自分を較べて落ち込んだり、他者からの評価を恐れたり、周囲と闘ったりすることから離れて、本当の意味で"無敵"になれるのに。

禅の悟りについて、私が受け取ったのは上記のようなメッセージだ。
この理解が合っているかどうかはともかくとして、そんな境地に達することができたら今よりずっと生きやすいだろうと思う。

こうした悟りを得るための第一歩として、平井さんのお話を信じて坐禅を生活に取り入れるべく、講演翌日から早速ためしてみた。すると、講演中の坐禅レクチャー時には気づかなかった「自分の呼吸の浅さ」におどろいた。
坐禅では丹田を意識してゆっくり深く呼吸するのだが、ふだん全く使わない部分が動くことに違和感すらおぼえるのだ。

悟りどころか、「調身・調息・調心」の「調息」を手に入れるだけでも、ずいぶんと時間がかかりそうだが、呼吸が改善されれば次のステップが見えてくるかもしれない。講演タイトルにあった"しなやかな心"を手に入れられるよう、これからも毎日の坐禅を続けていくつもりだ。

(千貫りこ)