« 日本人よ、変わることを恐れるな 夏野剛さん | メイン | リーダーになるのはそれほど難しいことじゃない 日向野幹也さん »

作られたイメージ 井上章一さん

井上章一講演タイトルからして京都への屈折した思いが語られるのかと思いきや、京都の話はほとんど無かった。講演中、私は心の中で何度も呟いた。「関西の人の話って本当にサービス精神旺盛だ」それほど井上章一氏の講演はたくさんの興味深い話題と笑いで満ちていた。

近畿、畿内から関西へ

京阪神の辺りを「近畿」「関西」という。その違いは何か。また岡山、広島、島根辺りを「中国」という。これは一体どういうことか。答えは律令体制の昔にまで遡る。「近畿」「畿内」の畿は「王宮、都」のことで、それに近い、すなわち「王宮の治める所」または現代でいう所の「首都圏」に当たる。そして「中国」は都から見て近くの国の意味である。「関西」の言葉はまだ使われていない。「関東」は様々に使われているが「関西」はない。「関所(鈴鹿、あるいは不破の関所)の東のはずれ」が関東の意味で、「王宮の近く」の誇り高き近畿の人間は関西などという言葉を使うはずがない。そう、関西の言葉が使われるようになったのは政治の中心が東京に移ってからである。もはや「王宮の近く」ではなくなった畿内の人たち自ら「関西」を名乗るようになり、関西大学、関西国際空港などにそれを見ることができる。ちなみに現在、「近畿」は国際的には使いにくいそうだ。英語のkinky(変態)と音が似ているので。

不当に扱われてきた大阪

弥生式土器は東京帝国大学の研究チームにより、東京文京区の弥生町で見つかった土器から名づけられた。しかし実際はそれよりずっと以前に別の地でこの土器は発見され、本まで書かれているのにそれは取り上げられず、土器と時代の名は弥生になった。歴史教育を司る東京帝国大学によるものだと京都府出身の井上氏は憤り、同じように取り上げられない地方の筆頭として大阪を挙げる。

「安土桃山時代」の安土は、いわずと知れた織田信長の安土城のある地名である。ならば秀吉の場合はかの有名な大阪城の地名を取り、「安土大坂時代」とすべきでないのか。弥生時代と飛鳥時代の間にある古墳時代だって同じで、最大の古墳は大阪にある。ならばなぜ「大阪時代」と地名をつけないのか。弥生と飛鳥は地名であるにも関わらず、である。歴史教育を司る東京の人たちにより無視されているのだと繰り返す。確かにこれは奇妙と言えば奇妙だ。う~む。

さらに例示されたのが映画「ティファニーで朝食を」で苦情をいう役の日本人カトウさんが登場する時だけ(日本語)字幕がなぜか大阪弁になっている奇妙さ。井上氏はこれにずっと抗議をして、その甲斐あって今のDVDの日本語字幕ではすべてが標準語になっているそうだ。続けてNHK大河ドラマ「平清盛」では帝を初めあらゆる人が標準語を話しているのに、追剥ぎと海賊だけが大阪弁を話していたことを紹介した。「(カトウさんについて)大阪人ならこういう文句を言うだろうという思い込みがああいう形で表現されているのではないか」という。かつて新潟県出身の私の知人は時代劇に登場する農民が必ずといっていいほど東北弁を話すことを指摘していたが、こうした「役割分担」は、ありがたくない役割を担わされた土地の人間にとっては当然不愉快な問題だろう。「大阪は」、京都府ではあるものの大阪寄りの嵯峨出身の井上氏は言う、「歴史の中から不当な差別を受けている」

作られた土地のイメージ 「大阪のおばちゃん」は実在するか

改めて言うまでもなく、「大阪のおばちゃん」は大阪の代名詞のような存在だ。しかしそれは真実なのか。井上氏が紹介する「私の見た大阪及び大阪人」に書かれた谷崎潤一郎の大阪女性への感想はそれと真逆だ。大阪女性ははっきりとものを言わず、ほのめかすように言うその姿は大変淑やかであると。しかしテレビなどが繰り返し「大阪のおばちゃん」を流し、固定イメージが、20年30年の内に「仕立て上げられていった」のだ。人々の記憶の中への刷り込みを親しみやすい例で紹介したと思う。さらに良かったのはイメージをただ「刷り込みだ」とだけ言うのではなく、それを解明するプロセスを紹介したことで、それこそが今回の講演の(秘めたる)核ではないかと感じた。

井上氏は実証が好きである。もう一つの代名詞の阪神タイガースの「ジャイアンツ対阪神」の公式も当初はなかった。もとはといえばエースの別所をジャイアンツに引き抜かれた「南海ホークス対ジャイアンツ」だった。それが昭和天皇の天覧試合でサヨナラホームランを打たれてから「ジャイアンツ対阪神」の図式が生まれたと言う。「初めから『ジャイアンツ対阪神』ではない。これを私は調べて実証していったんです」

果ては、「ミッション系の学校の女子は美人が、仏教系の学校の女子はブスが多い」と聞けば確かめるため実証研究をする。へぇー、学校の門の近くに行って交通量調査よろしくカウンターで美人比率でもカウントしていったのか。不審者扱いされて通報はされなかったのかと思いきや、そうではなく「CanCan」「JJ」といった雑誌で紹介される女子の割合をカウントしたのだそうだ。ああ、それなら通報される危険性はない。で、肝心の調査結果は圧倒的にミッション系の大学が多いとのこと。補足しておくと、ミッション系のイメージが世間で良いため雑誌で取り上げられる率が高いことをいっているのだろう。実際の美人の数ではなく。実際、講演では学校内のチャペルを歌ったペギー葉山のヒット曲がひと頃世間に広まっていたことを挙げ、このイメージの良さに比して仏教の御堂のイメージが流行歌になるのかを論じていた。

そして地図に印をつけていくと阪急、神戸線沿線に集中していて、南海高野線沿線の女子はほぼいないことがわかったという。
南海高野線。今まで知らなかった電車だが美人以前に何だか女子乗車率が低そうな名前である。その代わりお坊さん率は高そうだ。いいなあ、こういう調査。

一見、軽薄に思える事柄をひとつひとつ丁寧に実証していく中で、井上氏は思い込みを分析し、真の姿を浮かび上がらせようとする。「実証」という言葉を何度も使う。「誰が『大阪のおばちゃん』に仕立て上げたのか。いつかここにメスを入れて実証したいと思う」
そうした姿勢に、井上氏個人の好奇心の強さとお茶目さに加えて、学者としてそれぞれの問いに相対する真摯なものを感じた。

そして井上氏は噺の引出しをいくつも持っている人だ。終日聞いていたいくらいである。しかし誤解しないで戴きたい。この噺の数々はいわゆる雑学ネタではなく、井上氏自身の関心によって引き寄せられ、実証され、消化され、社会と関連付けられた上でのものである。だから、語り口の優しさも相俟って、聞いていて大変気持ちの良い講演だった。聞きに来なかったそこのあなた、大変お気の毒です。

(太田美行)