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田村次朗教授に聴く、「三方よし」の対話力~交渉学入門

photo_instructor_763.jpg 果たして「交渉」が「学」として成立するのだろうか。
 そんな疑問を抱きながらも、若き日の田村教授は、留学先のハーバード・ロー・スクールで「Negotiation」と題された科目に強い関心を持ち、聴講を決めた。
 講師のロジャー・フィッシャー教授は学生たちにペアを組ませ、交渉のロールプレイをさせるところから始めた。だがどのペアも容易には合意に至れない。何しろ受講者はいずれも、世界最高峰を自認するハーバードの俊英たちである。実力に裏打ちされた自信の塊のような彼らが、互いに易々と説き伏せられるはずがない。勢い、それぞれの立場を主張する激しいやりとりの後、交渉は決裂に終わる。

 その様子を見ていたフィッシャー教授は教室に宣告する。「君たち、これでは全員落第だ」
 ざわつく教室に向って教授は言葉を継ぐ。「なぜ交渉がまとまらないのか。それは君たちが、お互いに、自分のことしか考えていないからだ。『当事者双方の満足』と『社会全体の利益』。これらを考慮に入れなければ『賢明な合意』には至れない」
 この言葉に、田村先生にはハッと思い当たるものがあった。それは、日本の近江商人に伝わる「三方よし」という言葉。「売り手よし、買い手よし、世間よし」という価値基準に照らして商売をする、それと共通する精神が、遠くアメリカの法学教室で教えられている。その事実が、田村先生をして、今に至る「日本版交渉学」の普及啓発へと走らせている。

 交渉学とは「対話(Dialog)」の方法論である。
 「会話(Conversation)」が基本的に同質性や快を志向するのに対し、「対話」は立場や価値観、文化や利害の異なる当事者同士の不安定で不愉快なやりとりである。ストレスを伴うこの対話を通じて何らかの合意を形成することが「交渉」という営みである。
 
 ストレスを伴うが故に、ともすれば私たちは交渉を避けたがる。そのため、相手のペースに乗せられて一方的に大幅な譲歩をしたり、あるいは交渉を決裂させて誰もが不利益を被る結果を招いたりする。安易な交渉「術」に縋り、「落とし所」という名のミニマムな結果を模索しながら臨むだけなら、このようなWin-Loseの綱引きに終始するほかない。
 しかし真の交渉は「Win-Win」ないし「三方よし」の結果を目指す当事者同士の協働作業でなければならない。そこに至る方法論を提示するのが交渉「学」の役割である。

 交渉が不首尾に終わるのは、対話が適正に行われていないからである。田村教授は、私たちの前に立ちはだかり適正な対話を妨げている「3つの壁」の存在を示した。すなわち「認知のバイアス(ヒューリスティック)」、「自動思考(安易な意思決定)」、そして「詭弁」。それぞれのメカニズムと対処法を学ぶことが交渉学の出発点となる。

 次に強調されたのは、交渉における事前準備の重要性である。
 状況把握の後に先ずすべきは、交渉の目的や成果、つまり「ミッション(Mission)」を明らかにすることである。
 次に「ターゲティング(Targeting)」と呼ばれる定量的な目標設定に移る。しかしここに留まっていては「落とし所」探しに終わってしまう。
 併せて考えるべきは「創造的選択肢(Creative Option)」である。定性的な条件設定や新規の提案を、双方の立場および社会の利益に照らしながら案出し、手元に保持しておく。
 そして最後の手段として、決裂時の代替案「BATNA(Best Alternative to a Negotiated Agreement)」をも並行して用意しておかなければならない。

 これらは事前準備の各段階であると同時に、交渉戦略立案フレームワークの構成要素でもある。英語の頭文字をとって「MBTOアプローチ」と名付けられたこのフレームワークに、「学」としての田村教授の交渉研究の成果が集約されている。

 だがこのフレームワークを適切に用いるのには、前提として、「対話」そのものに関する本質的理解がなければならない。

 冒頭のフィッシャー教授の講義は、実際には三週間に及ぶ集中講義だった。数多くのロールプレイ等を経た終盤、田村先生は、周囲の学生がみな「よい人」になっていることに気付いたという。
 交渉では、相手を満足させなければ決してよい結果は得られない。そのためには相手を尊重し理解することが不可欠である。そのことへの気づきが、聡明な学生たちに、無意識の自己変容を促していったのだろう。

 世界が全面核戦争にもっとも近づいたと言われる、1962年のキューバ危機。この時、ケネディ米大統領は周囲のさまざまな圧力に流されることなく、ソ連との粘り強い対話の末に、双方が呑める提案をして「賢明な合意」に達することができた。その究極的な理由を田村教授は、ケネディが、クレムリンにおけるフルシチョフの苦しい立場を理解できたことにあると喝破した。
 「危機の中での高貴さ(Grace under pressure)」。ケネディのこの言葉の中に、田村教授は教養としての「冷静な対話の技法」、つまり交渉学の意義を凝縮させて、講義を閉じた。

 自分が相手の立場ならどう思うか。どう考えるか。そのことに思いを馳せる余裕がある者だけが、交渉を建設的な協働作業と捉え、「三方よし」の合意に導ける。その根底にあるのは、「信頼」というキーワードだ。

 相手の信頼を勝ち得る唯一の方法は、相手を信頼しようとすることである。
 相手と向き合い、相手を理解し、相手の中に価値あるものを見出そうとすること。人と課題を分離して考え、相手を、ともに課題に立ち向かうパートナーとみること。
 そして自分自身の理解を言葉と行動で相手に伝えること。対話のあらゆる局面を肯定的に捉え(ポジティブ・リフレーミング)、その評価を相手と共有すること。

 そのような地道な努力を続けても、現実にはなかなか合意を得るのは難しい。だがそれでも私たちは、粘り強く対話を継続すべきだろう。なぜなら「対話こそが、人間存在の原点」(田村教授)なのだから。

 Negotiationという言葉から連想されるハードなイメージが、「交渉学」という枠組みを得て、「相互理解と協働作業で理想を実現する」というきわめて人間的でポジティブな営為へとリフレーミングされていく。
 これこそが、講義というかたちではあるが、田村教授と会場が「対話」を通じて到達した、この日の成果だったのかも知れない。

白澤健志