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「相手に伝えたい」気持ちの強さから生まれた極意|長井鞠子さん

photo_instructor_749.jpg長井鞠子さんの講演は、ふつうの構成とは少し違っていた。質問タイムを2度もうけるという。
なぜなら、通訳者としての経験上「人間の集中力は、いいところ45分しか続かないから」。そして長井さんは、「質問タイムには、ぜひ質問してくださいね」と念を押す。

以前、アメリカのビジネススクールの教授について通訳した際、「日本人の学生はアホだか賢いんだかわからない。点数のつけようがない」と言われたそうだ。その理由は「クラスで発言しないから」。しっかり勉強して相応の知識があるのに、黙っていてはそれが伝わらない。

さらに続けて、ご自身の分析による「人が質問したがらない理由」を語りだした。
冒頭5分にして、長井さんがあらゆる事柄を自分のなかでしっかりと咀嚼し研究し整理し納得して、その上で前に進んでこられた方なのだということが伝わってくる。

「極意」は"low-hanging fruit"ではない

この日の講演タイトルは『伝える極意―言葉を超えて世界をつなぐ、をめざして―』というものだったが、これについての説明からも長井さんのキャラクターを伺い知ることができたように思う。

"私は「極意」を持っていません。自分の経験から「こうかな?」「ああかな?」と思うものはありますが、それは「極意」ではありません。
もし仮に「極意」というものがあったとしても、それをピックアップしてすぐに身につくものではないと思っています。
「極意」にいたるまでには努力が必要です。それなりに努力して、いろいろなことを考えながら身につけないと無理です。"

たしかに、「○○が劇的に改善する10の方法」とか「△△で誰でもすぐに成功できる!」といった宣伝コピーほど怪しいものは無い。特にコミュニケーションスキルとなれば、一朝一夕に身につくものではないだろう。長井さんご自身も、きっと何度も悩んで、そして自分なりの解決策を考え抜いた上で、努力して「極意」と呼べるものを会得されたのだと思った。

言葉を軽視したくない

長井さんは、日本は「言葉」を軽視しがちだと感じます、と言う。「ことだま」は大事にするのだが、「論理を構築する言葉、理屈につながる言葉」は軽視しがちだ、と。

日本では、慮る、思いを馳せる、忖度(そんたく)することが美徳であり、饒舌な人間は往々にして嫌われる。「沈黙は金」「言わぬが花」「あうんの呼吸」「空気を読む」といった表現が日常的に使われることからも、それは感じ取れる。
でも結局のところ、誰かに何かを伝えたいときには言葉を尽くさなければ通じない。言葉を費やすことを嫌がってはいけないのだ。

おしゃべりで理屈っぽい私にとって、このお話はなかなか励まされるものだった。と同時に、相手に対してつい「そのくらい察してよ」と思ってしまうこともある自分を反省した。そうなのだ、「相手に伝える」というミッションを最大限に果たすためには、言葉を惜しんではいけない。そして、そのときの言葉は大切に扱わないといけない。

日本語の「余白」

日本語では、ポッとあたまに浮かんだことを言っても許される。思いつきで語っても、それなりに相手に通じる文化がある。
長井さんはこれを「余白の文化、空白の文化」と表現した。欧米の、YES or NOの二分法では見つけられない「まんなか」の概念によって、ゆたかな発想が生まれ、また科学の分野にも独特の影響をもたらしていると言う。
そう考えると、私たちはこの国独特の言語文化に誇りを持って良さそうだ。ただ、やはり「余白」は議論に向いていない。伝えたいことを正確に伝えるのには向いていない。

それでは、どうやったら「余白」の少ない日本語を話せるのだろうか?
長井さんによると、まず、言い出したことにかならず"落とし前"をつけるようにすること。話しはじめたら、あまり長引かせずに「。」にもっていくことが肝心だそうだ。そして常に、「なぜこれを発語しているのか」を意識すること。

その他、私自身が講演中に強く感じたのは「具体例が多い」ことだ。
長井さんは、何かを語ったあとにすかさず具体例で補足する。これも「余白」を減らすためのテクニックだろう。
日常会話でやりすぎると「くどい」と思われるかもしれないが、会議やプレゼンテーションの場においては、誤解を与えたまま話を先に進めるよりはずっといい。

人間に興味がありますか?

長井さんいわく、コミュニケーションスキルを磨くことと語学を学ぶことは似ているそうだ。
そして、「人間に興味が無いのに、語学を学んでどうするの?」と語りかける。

人間に興味が無ければ、語学を追究するおもしろみは無い。同じように、人間に興味が無いのならコミュニケーションする理由は無いも同然だ。
「人はおもしろい」「人は愛しい」という発想こそが、語学やコミュニケーションを学ぶ動機になる。

長井さんは、通訳につく前には相手のことをよくよく調べて周到に準備するそうだ。
これも、うわべのテクニックとして機械的にやっているのではなく、「相手を知りたい」という思いの上に成りたった自然な行動なのだろう。

「極意は無い」と言いつつ、具体的なヒントもたくさんちりばめられた2時間だった。ただ、一番の収穫はやはり長井さんが大いなるパッションをもって伝えてくれた"心がまえ"だろう。「人への興味と向上心を持ち続ければ、いつか私も自分なりの『極意』を会得できるかも」と、背中を押されるような気分で会場をあとにした。 

千貫りこ