« 知的生産の方法としてのワークショップ  苅宿俊文さん | メイン | 内田和成教授に聴く、「ゲーム・チェンジャーの競争戦略」 »

ソフトな福澤諭吉論 西澤直子さん

世の中には多くの福澤諭吉論がある。学術的なそれは知らないが、一般の人向けに書かれたものの多くは、男性から見た福澤諭吉論であろう。
慶應の系譜につながるひとが書いた評伝的なもの(ex小泉信三の『福澤諭吉』)、慶應以外の人が書いた福澤礼賛論(ex丸山真男の『文明論之概略を読む』、アンチ福澤の脱亜論や東アジアの福澤論。
いずれも男目線で、近代的価値(自由、知性、文明)の啓蒙者としての福澤諭吉の功罪を論じている。言うならばハードな福澤論である。

photo_instructor_754.jpg福澤研究センター創設にあたって招致してくれた恩師のすすめもあって、福澤の女性論を専門に定めた西澤直子先生の立ち位置は、女性からの目線に特色があるようだ。言うならばソフトな福澤論といったところか。実に新鮮であった。

西澤先生によれば、福澤諭吉は、学問の目的に究極として「人間交際」を唱えたという。
"にんげん"ではなく"じんかん"と読むらしい。
福澤は、「人間交際が社会を作る」と主張した。
人と人が交際を通じて作り上げていくもの、それが社会である。これが福澤の社会構成原理である。
あらかじめ藩・家といった社会が存在し、客体としての人間がそこに参画するのではなく、あくまでも人間が社会の主体であるべきだ、とした。

福澤は、「人間交際」のモデルとして交詢社を作った。 「知識を交換し、世務を諮詢する」ことを目的とした。
社交倶楽部という側面もあったが、むしろ目指したのは情報交換のネットワークであった。あらゆる枠・垣根を取っ払い、情報格差をなくすことを主眼にしたのである。

では、「人間交際」を通じて社会を作るのに必要なものは何だろうか。
西澤先生によれば、福澤は「徳の涵養」だと考えたようだ。私の徳(私徳)を公の徳(公徳)へと発展拡大していく精神の成長を重視した。
そのトレーニングの場が、夫婦関係であり、家庭内交際であり、男女交際だと福澤は考えた。なぜなら、それが社会の最小単位だからである。

さらに福澤は、夫婦関係に必要な要素にも言及しているという。これも言い換えれば、社会を形成するために必要な要素とも言えるだろう。
「愛・敬・恕(じょ)」の三つである。
愛と敬は説明するまでもない。恕とは、ひらたく言えば相手の気持ちになって考える思いやりの気持ちのことである。
愛情と敬意をもって相手に接し、相手の気持ちになって考える。そうすれば夫婦関係は上手くいく。グうの音も出ない名言である。
実際に福澤家では、奥さん(福澤錦)を主催者にしたファミリーパーティや家族音楽会などを盛んに催して、家庭内交際・家庭間交際の実践に心を砕いたようである。
プロデューサーとしての福澤の姿がちらつき過ぎており、家族は振り回されていたのかもしれないけれど...。

しかしながら、明治の世は、この面においても福澤の先進性についていけなかった。そのいらだちは福澤自身が一番強く感じていたに違いない。
彼は、意識改革の必要性を声高に発しているという。
その矛先は、男性に向けられていた。

「勇気なき痴漢(ばかもの)」
女性への配慮の必要性に気づいているくせに目を気にして行動に移せない男を揶揄したことば

「脳中に陰の帳面」
男かくあるべし、女こうであるべしという既成概念に縛られている男性の脳みそには本人も気づかぬノートがあるようだという表現。認知心理学でいうスキーマ。

いずれも男性の意識変革の必要性を訴求する中で使われた福澤ならではのワーディングである。
随分とラジカルな提案もしたようだ。 
結婚したら男女それぞれの姓から一文字ずつ取って、新姓を作るべきだという提案である。(ex)山田さんと中山さんが結婚したら山中さんにする。
これには思わず笑ってしまった。

講演の最後では、現代と明治維新の類似性から、いまなぜ福澤諭吉なのかをまとめていただいた。
ひとつは、情報の氾濫的増加である。側聞するネット情報のコピペで論文を書く学生の問題など、他人の知恵に(知らないうちに)頼る時代が到来した。
自分の頭で考えることの意義を説いた『学問のすすめ』の再評価がなされるべきであろう。

もうひとつは、人間交際のあり方の変容である。
俗にいう、空気を読むという現象は、言い換えれば主体性の欠如でもある。
あらかじめ社会があり、その中でいかにして阻害されないか、いじめられないかばかりを気にしている。
友達関係であれ、職場であれ、会議であれ、自分が社会の主体であるべきだという福澤の「人間交際」論はあてはまるであろう。

福澤が、最初の著作を書いて140年以上経つ。にもかかわらず、彼が理想とした近代的価値のすべてを、私達は実現できていない。しかし回り道しつつも進んでいると信じたい。
当時にあっては、飛び抜けた大男であったという福澤諭吉の視線が捉えていた時間的奥行きは恐ろしく長いのだから。

(慶應MCC城取一成)