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嫌われる自由

photo_instructor_739.jpg 講演を聞くに当たり、講師である岸見先生の代表的な著作であり、ベストセラーとなった「嫌われる勇気」を読んだ。読んだ後は、気持ちが幾分軽くなると同時に、前に進む足取りに力がこもるような思いがした。
 本の中で最も印象に残ったのは、「『いま、ここ』に強烈なスポットライトを当てよ」というメッセージ。過去から現在、未来までをぼんやりと照らすのではなく、まさに今、自分がいるこの場所だけに強い光を当てなさい、この瞬間に全神経を集中し、真剣に生きなさいという言葉は、読後2週間が経った今もなお、私にある種の強さを与え続けている。
 「嫌われる勇気」も、今回の講演も、先生が発するメッセージは同じだ。他の誰のためでもない、自分の人生を歩め。深刻になる必要はない、今を真剣に、丁寧に生きよ。
 先生の本を読み、あるいは今回のお話を聞き、以前よりも視界の曇りが幾分晴れたような、あるいは肩の荷がおりたような思いがしたのは、私だけではないだろう。

ほめないこと、ほめられることを期待しないこと
 私事になるが、私は現在妊娠8か月、3か月後には母親になる予定の人間だ。お腹のなかで日々元気な胎動を感じつつも、親になるということにどこかまだピンときてはいない。果たして自分はどんな親になれるのか。立派な親になど到底なれないだろうが、出来るだけいい親になりたいという願いはある。そんな現在の私ゆえ、子どもへの接し方に関する岸見先生の話は大変に興味深かった。
 重要なキーワードは「ほめない」こと。
 人間には誰しも、誰かに認められたいという「承認欲求」があるが、たくさんほめられて育った子どもは「承認欲求の『塊』」になるという。
 例えば、落ちているゴミを拾うという行為。承認欲求が極端に強まると、わざわざ親が見ている前でだけゴミを拾うようになるという。他人の評価をもってしてしか、満足できなくなるというのだ。それは、はたから見るといやらしくもあり、同時に痛々しくもある。
 我が子には、そんな風にはなってほしくないとは思う。しかし、翻って自分自身のことを思う時、ほめられたい、認められたいという欲求が強いことにも気づく。私自身、承認欲求に縛られているのかもしれない。
 だからほめてはいけない、というのがアドラー心理学の考え方だ。
 これを逆の側から見ると、人間は、他者からほめられることを期待してはいけない、ということでもある。他者からの承認を求めてばかりいる行為、これは極めて不自由だ。そんな縛りから自らを解放しなさいというのが、アドラーの重要な教えの一つなのである。
 子どもをほめない親に、果たして自分はなるのだろうか。そして、自分自身、承認欲求から自由になれる日は来るのだろうか。

嫌われる自由
 「嫌われる勇気」を読み終えたとき、私なら「嫌われる『自由』」というタイトルをつけたかもしれないと、ふと思った。思えば小さい頃から、「人に嫌われるのは悪いこと」「みんなに好かれなければいけない」というプレッシャーを、自分自身に与え続けてきた。嫌われてもいいという選択肢を自分自身の中に持ち合わせていなかったことに、本を読んで気が付いた。私には、嫌われる自由がある。
 先生は講演の中でこう言った。「他人が自分のことを嫌うか嫌わないかは『他人の課題』であり、自分の課題ではない。自分を嫌う人がいるということは、自由に生きることの代償だ」と。
 なお、嫌われる勇気、嫌われる自由、などというと、勝手気ままにふるまってもいいとか、他人を傷つけてもいいとでもいうような誤解を与えかねないが、そういう意味ではない。自分は自分ができることをする。他者への貢献もする。それでもなお、人が自分を嫌うのはその人の勝手であり、自分の課題ではない。他人の課題と自分の課題とを分けようではないかというのが、嫌われる勇気の本質である。
 人に嫌われたっていいではないか。言われてみれば当然のことのようにも思うのだが、本心からこう言い切れる人は案外少ない。嫌われる自由をもつこと、ただそれだけのことが、それだけの勇気が、自由の幅を大きく広げてくれる。

ダンスのように生きる
 人生をどう生きるかについて、先生はこういう話もされた。
 「悲観主義」は、どうにもならない、と思うこと。
 「楽天主義」は、なんとかなる、と思いながら、自分では何もしないこと。
 「楽観主義」は、自分がなんとかする、できることをする、でも結果はどうなるかわからない、ということ。
 私たちは、楽観主義でいきましょうよと。そして、先生はこのことをこうも言い変えられた。
 「ダンスをするように生きよう」。
 ダンスとは、その瞬間、瞬間を楽しむ行為。真剣に踊るほど楽しく、また、いつ終わっても構わない。今を楽しむこと。真剣に楽しむこと。
 明日のことを考えて不安になることはない。昨日のことを考えて後悔することもない。瞬間、瞬間を積み重ねて生きよう。始まりも終わりもない。
 人に認められる必要もない。誰かに嫌われようが、いいではないか。
 踊るように、この瞬間を楽しむこと。それが、「いま、ここ」に生きるということだと。

 先生のお話を聞き終えて、100%すべてが腑に落ちたかというと、必ずしもそうではなかった。そうだろうか、本当だろうか、という咀嚼しきれない思いが、今なお胃のあたりに残る。
 それでも、こういう考え方があるということが、ある種の強さを与えてくれるのは事実だ。縛られずに自由に生きたいものだ。嫌われたり、否定されたりすることを受け入れる強さとクールさを持ちたい。
 そんなことを思いながら、この日は講演会場を後にした。

松田慶子