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中室牧子先生に聴く、「科学的根拠」に基づく教育政策

photo_instructor_755.jpg 中室先生が挙げた教育政策上の論点は多岐に渡るが、ここではもっともホットで身近なトピックである「35人学級」に絞り、他の識者の見解も織り交ぜながら論じてみたい。

 財務省は先月、公立小1年生で実施中の35人学級には効果がないとして、以前の40人学級に戻すことを文部科学省に求めた。根拠として挙げたのは、導入前後で「いじめ認知件数」「暴力行為」「不登校」の値がほぼ同じ、または微増しているというデータだ。なお、35人学級を廃した場合4000人の教員と86億円の費用を削減できる。

 これに対して文部科学大臣は「教員の多忙感」等を理由に反発。参議院文教科学委員会も35人学級推進決議を全会一致で採択するなど、教育サイドでは官民・党派を問わず財務省への反対意見が強い。

 この問題に対して中室先生は、教育経済学の立場から、いずれにも与せず次のように指摘する。
 35人と40人のどちらがいいかと問えば誰もが35人と言う。しかし巨額の財政赤字を抱える中で教育の予算も聖域ではなく、支出の教育効果と投資価値の実証が必要である。その意味で文科省と財務省の議論はどちらも根拠が不十分。35人学級の効果を実証するには、科学的根拠に基づき(エビデンス・ベースド)因果関係を明確にする必要がある。

 この「エビデンス・ベースド」の考え方は、医学における「実証医療(エビデンス・ベースド・メディスン)」の考え方を敷衍したものである。実証医療に「治験」が不可欠なのと同様、教育においてもエビデンスがあればより有効な政策判断が可能なのに、日本では知見の蓄積が進んでいない。「情報開示」の充実と「社会実験」への理解促進で、研究者がエビデンスを得られる環境を官民で整えてほしい、というのが中室先生の訴えである。

 これまで、定性的な分析や個人的な経験から論じられることの多かった教育政策に、定量化という「物差し」を持ち込むことで、費用対効果の低い政策への投資を回避し、予算獲得を戦略的に行う。ここまでは納得である。問題はその先、どんな物差しを、どんな枠組みで当てるかである。

 35人学級の話に戻れば、その効果を直接的に実証する研究はない。
 中室先生は米国での社会実験の結果を引いて、少人数教育は「(特に低学年や貧困層で)学力を上げる効果がある一方、費用対効果は低い」としている(但し実験の学級規模は15人前後と23人前後の比較である)。MITの研究ではケニアでも同様の結果が見られたという。しかしこれが日本の35人学級にもあてはまる保証はない。

 慶大経済学部の赤林英夫教授は、横浜市立小中学校のデータを用いて学級規模と学力の相関を研究した。小6/中3、国/数の組み合わせの内、少人数学級の効果は小6国語のみに見られたとした上で、「効果の立証は容易ではない」としている。しかしこれまた、小1への妥当性を判断できるものではない。

 同じく慶大経済学部の土居丈朗教授は、財務省と文科省の双方の会議に委員として参加している。「学級規模の縮小は教師と密に接することによる能力上昇をもたらす(クラスサイズ効果)と同時に、能力の高い子どもの努力が低下するという現象(クラスサイズパズル)ももたらす」という。しかしクラスサイズの最適解がどこにあるかは明らかでない。

 3年前、この35人学級を民主党の文部科学副大臣として導入したのは現・慶大総合政策学部の鈴木寛教授(東大公共政策大学院教授併任)である。当然、財務省への反発は強く、「そもそも不登校や深刻ないじめが始まるのは小学校高学年以降」とした上で、「日本の小学校の1学級あたり児童数は28人で、OECD平均21.6人より多い」「小・中の30人超の学級の割合は英国12%・10%に対し日本が54%・82%」といった数字を挙げて35人学級の必要性を説いている。
 そして「低年齢段階での教育投資はもっとも有効な社会投資」であり(これは中室先生も言及していた知見である)、公教育が学力下位層に充分な教育機会を保証しなければ、将来的に失業率が上がり社会が不安定化すると述べている。

 かように、35人学級ひとつとっても明白なエビデンスはない。どの時間幅で、どの指標で事象を見るかによって導かれる結論も異なる。そしてまたその結論は、結局は自らの理念に引き寄せられるもののようにも思える。

 「どんな家庭に生まれても、どんな環境に育っても、教育に関しては機会を均等にすべき」。自らの根本理念をこう語る鈴木教授は、先月から参与として再び文科省で文部行政に携わっている。招じ入れたのは自民党の現職大臣、下村博文氏。交通遺児として苦学して早大教育学部を卒業し、政治家になる前は学習塾を経営して生計を立てていた下村大臣こそ、この理念の意味を肌で知る人だろう。
 いや、大臣でなくとも、機会均等を求める考え方は日本人一般に根強い。親なら誰でも、実験と言われて、明らかに不利な教育条件(40人学級)の方に我が子を入れたくはない。そこで研究者が「社会実験」の意義を切実に訴えても、社会にはなかなか受け容れられ難いかも知れない。

 ひょっとしたら、先生自身が講演の中で示唆されていたように、子どもよりも親に働きかけることの効果に期待すべきなのかも知れない。先生が自身の研究成果として示された通り、家庭学習において親がそばで見守っていることの意義は大きい。それは究極の少人数学習でもある。そのような知見(それは教育心理学の知見に限りなく近いが)をもって社会へのアプローチを繰り返せば、いつか教育経済学への理解も深まるのではないか。

 講演の最後、私の質問に答えて中室先生は、教員であったお父様から言われて育ったという次の言葉を紹介してくれた。
 『家は借りて住め、本は買って読め』
 その言葉には、必ずしもお金だけでは測れない、教育がもたらす見えない価値への信頼が含まれているようにも思える。
 リターンを享受するのが常に親ではなく子となる、未来に向けての無限運動である「教育」という営為。
 これまで「虫の目」で語られがちだった教育政策が、教育経済学という「鳥の目」を得て、望ましい方向に導かれることを期待したい。

白澤健志