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内なるヤンキー性を知るべし 斎藤環さん

photo_instructor_742.jpg 精神科医 斎藤環氏の「日本人ヤンキー化論」の新奇性は、異質の組み合わせにあるだろう。
「ヤンキー」というスラングワードを使って、日本人の精神構造とそこから生まれた歴史、文化、社会システムという壮大な事象を解き明かしてみせた。

斎藤先生が、日本人のヤンキー性に気づいたきっかけは天皇陛下在位20周年祭典のこの場面だという。
<こちら>

「なぜここでEXILEなのか」

天皇の即位20周年記念行事は、自民党の保守系政治家にしてみれば、最も重要な国民的イベントであるはず。そこには崇高な精神性と大衆的な祭儀が求められることは自明である。
その象徴として選ばれたであろうEXILEの姿を見ながら天皇制とヤンキーをつなぐロジックに思い至ったという。
なぜなら、EXILEが、ヤンキー的精神性を持った人々(斎藤先生曰くマイルドヤンキー)から絶大な支持を獲得しているグループであることを知っていたから...。

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嫌われる自由

photo_instructor_739.jpg 講演を聞くに当たり、講師である岸見先生の代表的な著作であり、ベストセラーとなった「嫌われる勇気」を読んだ。読んだ後は、気持ちが幾分軽くなると同時に、前に進む足取りに力がこもるような思いがした。
 本の中で最も印象に残ったのは、「『いま、ここ』に強烈なスポットライトを当てよ」というメッセージ。過去から現在、未来までをぼんやりと照らすのではなく、まさに今、自分がいるこの場所だけに強い光を当てなさい、この瞬間に全神経を集中し、真剣に生きなさいという言葉は、読後2週間が経った今もなお、私にある種の強さを与え続けている。
 「嫌われる勇気」も、今回の講演も、先生が発するメッセージは同じだ。他の誰のためでもない、自分の人生を歩め。深刻になる必要はない、今を真剣に、丁寧に生きよ。
 先生の本を読み、あるいは今回のお話を聞き、以前よりも視界の曇りが幾分晴れたような、あるいは肩の荷がおりたような思いがしたのは、私だけではないだろう。

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中室牧子先生に聴く、「科学的根拠」に基づく教育政策

photo_instructor_755.jpg 中室先生が挙げた教育政策上の論点は多岐に渡るが、ここではもっともホットで身近なトピックである「35人学級」に絞り、他の識者の見解も織り交ぜながら論じてみたい。

 財務省は先月、公立小1年生で実施中の35人学級には効果がないとして、以前の40人学級に戻すことを文部科学省に求めた。根拠として挙げたのは、導入前後で「いじめ認知件数」「暴力行為」「不登校」の値がほぼ同じ、または微増しているというデータだ。なお、35人学級を廃した場合4000人の教員と86億円の費用を削減できる。

 これに対して文部科学大臣は「教員の多忙感」等を理由に反発。参議院文教科学委員会も35人学級推進決議を全会一致で採択するなど、教育サイドでは官民・党派を問わず財務省への反対意見が強い。

 この問題に対して中室先生は、教育経済学の立場から、いずれにも与せず次のように指摘する。
 35人と40人のどちらがいいかと問えば誰もが35人と言う。しかし巨額の財政赤字を抱える中で教育の予算も聖域ではなく、支出の教育効果と投資価値の実証が必要である。その意味で文科省と財務省の議論はどちらも根拠が不十分。35人学級の効果を実証するには、科学的根拠に基づき(エビデンス・ベースド)因果関係を明確にする必要がある。

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「人間社会の根本思想」 安冨歩さん

photo_instructor_741.jpg安冨歩さんがドラッカーに感銘を受けた理由は、その予言力であったという。
大手都銀の行員として働いていた80年代末、"バブルを引き起こす"仕事に嫌気がさしていた頃に読んだ『THE NEW REALITIES』(訳名「新しい現実」)という本の中で、ドラッカーが冷戦最中にソ連の崩壊を予言していたことに驚愕した。
ドラッカーは、起こりつつある「新しい現実」を凝視することで、そこに「すでに起こった未来」を見通していたのである。
さらにいえば、「新しい現実」に適応して、これまでの自分を作りかえていくことの重要性をも喝破していた。

同じ予言者は、二千五百年前の東洋にもいた。
中国春秋時代の思想家 孔子である。

"人間社会の秩序の根本思想"を言い射ている。

安冨さんは、ドラッカーと論語の相似性をそう解釈している。

それは、両者のキーコンセプトを紐解くことで見えてくるという。
ドラッカーは「Integrity of character」
論語では「仁」
ともにズバリあてはまる日本語表現がない。それが両者の相似性を覆い隠す理由でもあったようだ。

Integrity of characterを直訳すれば「人格の一貫性・統合」になる。
ドラッカー著作のほとんどを翻訳してきた上田惇生氏は、これを「真摯さ」と訳した。
「人格の一貫性・統合」と「真摯さ」では明らかに意味が異なる。
「人格の一貫性・統合」には、まず不動点としての自分があって、環境がどうなろうともぶれずに自分に立脚し続ける意志を感じる。
「真摯さ」には、まず直面する課題(仕事)があって、そこに向かって真っ直ぐに突き進む一途さを感じる。
まず自分があって、自分を守るために環境に適応するのか。
まず環境があって、環境に適応するために自分を捨てるのか。
正反対のアプローチである。

上田氏は、すべてを承知したうえで、よく考えた末に「真摯さ」という意訳を選択したと、安冨さんは推察している。
それが、高度経済成長期にあって、明確なゴールがあった日本にドラッカーの素晴らしさを理解してもらうためには最適だと信じたからではないか。
上田氏の選択は、当時にあっては正しかった。だからドラッカーは「マネジメントの発明者」になった。

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桜井博志社長に聴く、「獺祭」の湧き出ずる源

photo_instructor_738.jpg それは、久々の親子旅となった。
 岩国空港からバスと電車を乗り継いで1時間、鄙びた周防高森の駅から更にタクシーで15分。分岐点に差し掛かるたびに運転手が細い方の道を選び、ようやく着いた先が「獺祭」の製造元、桜井社長率いる旭酒造だった。

 「獺祭」の名の由来となった「獺越(おそごえ)」という名のこの峡谷で、車を降りて真っ先に目についたのが建設中の12階建ての新蔵だった。桜井社長の著書『逆境経営』でもイラスト入りで紹介されていたので事前に知ってはいたが、現地で目の当たりにするとかなりの存在感である。近寄って下から仰ぎ見ると、その巨大さがいっそう際立った。

 つぶれかけた酒蔵を立て直し、今や年商50億、「獺祭」で日本のみならず世界の市場を席巻する桜井社長。
 「ピンチはチャンス!~『獺祭』を世界に届ける~」と題された今回の講演は、きっと素晴らしいだろうが、そうはいっても現地・現場・現物、まずは行ってみないと始まらない。そんな理屈を合言葉に、ビール党の私が日本酒党の父を誘って岩国に向かったのはひと月ほど前のこと。
 旭酒造では一日二回、各5人まで見学を受け付けている。2か月先まで予約でいっぱいのそのコースになんとか滑り込んだ私たちを、説明役の社員が気持ちよく迎えてくれた。やがて5人揃ったところで、案内が始まった。

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中原淳氏と山口孝夫氏に聴く、「宇宙に選ばれる条件」

photo_instructor_752.jpgphoto_instructor_753.jpg 東大で「働く大人の学び」を研究する中原先生と、JAXAで宇宙飛行士の選抜・育成に携わる山口氏。立場も専門も異なる二人の視点から「宇宙飛行士に求められるリーダーシップ」像を立体視のように浮かび上がらせ、そこから地上の我々に有用な知見を見出そうというのが今回の対談である。
 それは私個人にとって、この四半世紀の来し方を省みる講演でもあった。

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「良いものは良いと直観で見抜くこと」がグローバリゼーション  松山大耕さん

今春、慶應MCCのagora講座で、塩山の名刹恵林寺住職の古川周賢老師に「禅の智慧」を学んだ
学んだというのはおこがましい。禅寺の前にしばしたたずんで、門柱をなでさすりながら、そこに漂う空気感を味わったという程度に過ぎない。
夏目漱石流にいえば「彼は門の下に立ち竦んで、日の暮れるのを待った...」というところか。

古川老師に教えていただいた印象的なフレーズがある。

「禅とは"引き算"によって本質を掴むこと」
人間も、人間が作り出す社会も「欲望拡大促進システム」である。いわば"足し算"システムで出来ている。ビジネスはその最たるものであろう。

禅はその真逆にある。
欲望はもちろんのこと、知識、常識、理屈、価値観、こだわりetc。人間が生きることで足し加えてきたあらゆるものを「捨てる」ことを目指す。
捨てて、捨てて、無心になって、もうひとつ捨てて、捨て去ることで、純粋無垢で、瑞々しく、精気に溢れた生命の根源に辿り着くことができるという。
それをブッダは「悟り」と呼んだ。

photo_instructor_732.jpg京都を代表する禅寺のひとつ妙心寺の塔頭退蔵院の跡取りとして生まれた松山大耕氏は、カトリック系の中高一貫校で学んだ。
そのせいもあってか、仏教とは何か、禅とは何かを、対比的に思考し、仮託して表現することに秀でているようだ。

禅とは対極にあるユダヤ教と比較すると、ユダヤ教が律法というルールで自己を制御するのに対して、禅は修業という体験によって掴むことを重視することがわかる。

禅寺の石庭には、思いっきり遠くに視点をおいて、対象を徹底して抽象化しようとする禅の精神が凝縮している。

日本の武道には、勝つことではなく自分の精神を高めることを尊ぶ、禅の道が生きている。

精進料理には、あらゆるもの活かし切るという禅修業の効率性が見てとれる。

松山氏が日本の禅宗を代表して、世界の宗教家・リーダーと交流している理由も、他者との相対化を通して、禅の本質を多くの人々に理解してもらおうという試みではないだろうか。

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鴻上尚史氏に聴く、「壁」を押し広げる方法

鴻上尚史 劇作家としての鴻上尚史氏の代表作に、「天使は瞳を閉じて」という戯曲がある。
 舞台は、白装束の登場人物たちが立っている場面から始まる。胸にそれぞれ「教会」「劇場」「戦場」「会社」「監獄」「国家」「家庭」「病院」「学校」と書かれた彼らは、各々の管理と抑圧の場からともに逃げ出そうとするが、「柔らかくて見えない壁」に阻まれて果たせない。
 元の場所には戻れない。でも壁の向こうには行けない。
 この状況で、境界に佇む彼らが選んだのは、柔らかな壁をどこまでも押し広げながらそこに新しい街を創る、という第三の道だった。
 天使の視点から語られるその街の創造と終焉の物語に、鴻上氏は、人間組織に不可分に内在する絶望と希望を同時に描き出した。

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