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つながる時代の経済 國領二郎さん

慶應SFCには、インターネットの黎明期から今日に至るまで、その啓蒙と普及、そしてインターネットが実現する社会のあり方について、提言を続けてきた研究者が何人かいる。
村井純先生はインターネット技術の専門家、金子郁容先生はインターネットとボランタリーな社会システムの思いを巡らし、國領二郎先生はインターネットによる経営や経済社会の変化を研究してきた。

photo_instructor_702.jpgそんな国領先生によれば、ITの分野では、パソコン登場以来の大変化が起きているという。
「クラウドコンピューティング」である。
PCによって、大組織でしか出来なかった大量情報の管理・分析がパーソナルな手許で可能になった。クラウドの実現により、手許におく必要さえなくなった。クラウドを通じてネットワーク化されたビッグデータが簡単に手に入る時代がやってくる。

もしチャンドラーが生きていれば、150年に一度の産業モデルの大変化が起きていると言うだろう。
国領先生は、そう言う。
1850年代にアメリカで生まれ世界を席巻した大量生産・大量販売モデルから、つながっている個客への継続サービスモデルへの変化である。

大量生産・大量販売モデルは、鉄道と電信による商圏の飛躍的拡大によって実現した。
顔見知りの間で行われるクローズドな取引から、名も知らぬ遠い地の人々に、これまでとは比較にならない大量のモノが売れるようになった。
未知の取引関係に対する信頼を担保するためにブランドが生まれ、定価販売が慣行となり、マスメディアよる広告がそれを加速させた。

販売とは、モノやサービスの所有権を移転することで、買った人はそれを独占所有できることに価値を見いだす経済システムである。

つながる時代の産業モデルは、大きく異なる。
特定個人の情報を深く追究することで、親しい関係ではなくとも、個のニーズを正確に捉えることができる。なんでも知っている執事の如くに、その人が欲しているものを、欲している時に提供できるようになる。
また、ある集団や地域のビヘイビアをかなり精緻に予測できるようになる。道路の渋滞、地域ごとの電力使用量がリアルタイムに把握できる。

そこでは、販売の意味が、所有権の移転ではなく、利用する権利を渡すという考え方に変わるだろう。音楽や電子書籍の世界で起きていることがあらゆる業界に起きてくる。
国領先生は、そう予言する。

限られた財やサービスを、多数の人がそれぞれの都合に合わせて便利に使い分けることが、システムとして可能になる。スマートグリッドが実現すれば、電気料金もホテルや飛行機のチケットのように受給バランスによって柔軟に変わりうる。

いいことばかりではない。
国領先生によれば、つながる時代を立体的に理解するためには、二つのインパクトを認識する必要があるという。

1)可視化のインパクト
つながることであらゆることが見えてくる。過去も、いまも、未来も。
分析できる過去データはPOSとはケタ違いになる。
ネットーク化されたセンサーを使えば、いま起きていることが瞬時にわかる。
未来の予測精度も飛躍的に高まる。
見えないものがみえることで新たな価値が発生するだろう。

同じ衝撃が、マイナスのインパクトとして押し寄せてくる。
1億総可視化社会の中で、新しいプライバシー問題が発生している。
あらゆるものをつなごうという哲学のもとで広がったインターネットが、わざわざつながりにくくするサービスをウリにするようになる。SNSはその典型である。

ポイントになるのは、「見せてもらえる特権」を持てるかどうかだという。
つながる産業モデルで生き残る企業の条件は、情報を預けるに足る存在として認めてもらえるかどうか。人や企業に対する信頼を担保できるかが成否を分けていく。

誰にも見せる世界、許し合った仲間にだけ見せる世界、誰にも見せない個人世界。
この三つの空間を適切に使いこなせるリテラシーが求められる。
確かに、企業、個人いずれも、ネット不祥事の多くは、三つの空間を使いこなせないことに起因している。

2)創発性のインパクト
つながる時代のイノベーションは創発型である。
多くの要因、多様性が複雑に絡まり合い、影響しあっている。その渾沌の中から、一気にエネルギーの向きが一定方向に揃った時に、思いもかけない価値が創出される。

創発はコントロールできない。
起きるかもしれないし、起きないかもしれない。創発が起きる可能性を高めることしかできない。そこを理解しないといけない。

創発プロセスをマネジメントするには、多様性が集まる場、つながりやすいインターフェース、コミュニケーションを促進するしかけが必要である。
そして、なにより冗長性に対する耐性がないといけない。ムダを許容できないといけない。
「効率的、無駄なく創発を起こす」という概念はありえない。

切れていた時代から、つながる時代。
その変化を理解することよりも、その変化に適応することの方が難しいのかもしれない。

おもしろがり、楽しんでのめり込む 山崎亮さん

「コミュニティ」

学術的な定義を別にすれば、「ある"何か"を共有する複数の人々のゆるやかな集合体」と言ったところか。
自治会、商店街、青年会、隣組といった「地域コミュニティ」
趣味、関心、社会問題、何かのOB・OG会、SNSのグループのような「テーマコミュニティ」
に大別される。
会社の中で横断的な組織変革活動に取り組む人々、MCCのような学習機関に一定期間通学して共に学ぶ集団も、立派なコミュニティである。

photo_instructor_701.jpg山崎亮さんが専門とする「コミュニティデザイン」というのは
デザインの力で人の集団が持つ課題解決力を高めようという支援、を意味する。
唯一絶対の正解がない問題に対して、トップダウンではなく、当事者の参画によって、アイデアを出し合い、解決策を決め、継続的な取り組みに責任をもつ。
さまざまな分野・領域で求められている合意形成と主体性形成の方法論である。

...というふうに書いてきて、山崎さんの実際の取り組みを、上手く言い表せていないことに気づいてしまった。
山崎さんの「コミュニティデザイン」は、参加者が、自分達でおもしろがり、楽しんでのめり込む。いわば"サークルや学園祭のノリ"を再現することのようだ。

お金にならない、評価にもつながらない。現実的な利益はほとんどない。
にもかかわらず、そこにのめり込むことで、自分の役割が生まれ、忘れられない体験ができ、仲間と一体感が生まれ、多くの人から感謝される。

例えば、講演で山崎さんが紹介してくれた「観音寺まちなか活性プロジェクト」の事例

「観音寺、今宵もはじまりました」でググってみて欲しい。
四国香川の小さな街の人々が、"サークルや学園祭のノリ"で商店街の活性化を楽しみながら取り組んでいる雰囲気がわかるだろう。

とはいえ、メンバー全員が、最初から"サークルや学園祭のノリ"になってもらうことは不可能だ。言い出した人が損をする。たいへんな思いをするのはいつも同じ人。そんな現象が起こる。
コミュニティに関わろうとする人の多くが抱える悩みだ。

山崎さんは言う。
1000人に1人熱い人がいれば、コミュニティは変わる
人口5000人の村に5人、"サークルや学園祭のノリ"で取り組んでもらえる人を見つければ、後は続いていく。
継続のコツも、大学の部活やサークルのノウハウと一緒だという。
部費を集める、部室を持つ、新入生勧誘には力を入れる。卒業もある。役員の任期も決める。試合や発表会をやる。会報誌をつくる。
誰だって、一度や二度はやったことがあることばかりだ。

山崎さんが代表を務めるstudio-Lのコンセプトは、「人と人をつなぐ会社」である。
「人と人をつなぐって、いかにも胡散臭いでしょ。誰がこんな会社に発注すんねんって思いませんか」
人懐っこい顔で冗談を飛ばし、会場の笑いを取る山崎さんだが、実は全国から仕事の依頼が殺到して受けられない状態が続いているという。
回り出せば誰もが動かせる歯車も、最初のひと押しを押せる人は、なかなかいない。
そういうことなのかもしれない。

問題を問題にするために 安田菜津紀さん

photo_instructor_700.jpg安田菜津紀さんは、1987年生まれ、26歳の若きフォトジャーナリストである。
16歳の時、NPO「国境なき子供たち」の友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされている子供達を取材したことをきっかけに、この道を志向したという。
中学校時代に父親、兄を相次いで亡くし、家計を支えてくれていた母親は安田さんが高校生の時、乳がんを患った。
やむなく生活保護の申請を考えた時に、制度を巡るさまざまな問題に当事者として直面した経験もある。

カンボジアの貧困と日本の貧困。理由も実態も悲惨の度合いも違うけれど、貧困に起因する本質的な問題は同じだと安田さんは言う。

貧困とは何か。それは「機会の欠如」ではないか。
貧困が、本人の努力だけでは越えられない壁を作ってしまう。その壁が、大人だけでなく、子供達が持つ可能性を奪ってしまう。だから貧困は連鎖する。その構造は、世界も日本も同じではないか。

安田さんは、母親の知識と周囲の支えがあって、奨学金と学費免除を受けて大学に進学し、希望する職業につくことが出来た。
一方で、同じ年齢の若者が、同じような家庭の貧困をきっかけに、さまざまな機会を失い、いつのまにかネットカフェ難民に堕ちていく。
自分と彼らの道を分けたものは、ほんのわずかな違いしかない。しかし、そこには、本人の努力や才能で片付けられない大きな問題が隠されている。
その問題に向ける強いまなざしが、安田菜津紀というフォトジャーナリストの原点である。
http://www.aftermode.com/gallery_natsuki.html

3年前、もうひとつの原点が加わった。
東日本大震災の津波被害で、入籍間もないご主人(フォトジャーナリスト 佐藤慧氏)の陸前高田の実家が被災した。
義父(医師)は、翌朝、孤立した市民病院の屋上からヘリコプターで救助された。寒空の屋上で過ごした一夜のうちに、何人もの重症患者が息を引き取るのを看取るしかなかった。
義母は津波に流され行方不明になった。一ヶ月後、愛犬のリードを握りしめたままの亡骸が発見された。
夫婦は、被災地の復興のプロセスを記録し、発表し続けることを誓った。
単なる復興賛歌ではない。被災地に暮らす人々の迷いや悩み、苦しみにもしっかりと寄り添いながら、人の数だけ存在するさまざまな思いを記録する。
http://f311.jp/

ジャーナリストの仕事は、問題を問題にすることだと思う。
貧困も被災も、それだけでは問題にならない。
多くの人に知られることではじめて問題になる。
「なんとかしなければならない」「どこかがおかしい」「何かが間違っている」という声が沸き起こることで、問題解決の歯車が回り出す。
汚職であれ、貧困であれ、災害被災であれ、その構造は同じである。

問題を問題にするために、多くの人に知ってもらう。
安田菜津紀さんの写真やレポートには、そんな思いが込められている。

教養とは感じること、楽しむこと 川上さん・マリンバ奏者 塚越さん・声楽家 田幸さん

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人材コンサルタントでご自身フルート演奏も楽しまれている川上真史先生。
世界トップのマリンバ奏者である、塚越(つかごし)慎子さん。
声楽家でフリーアナウンサーの、田幸(たこう)知有紗さん。

教養について、皆さんで考えてみましょう。それが今日のテーマでした。
ぜいたくにもお3方にご登壇いただいて。マリンバ、歌、フルートの演奏と解説つきで。音楽を例に。
教養とはなんでしょうか。グローバルで活躍できる人材に求められる教養、自分を魅力づけられる教養、教養とはなんでしょうか。
その前に教養にかんする誤解を解いておきましょうか。講演は冒頭、川上先生のミニ講義で始まりました。

皆さん、教養という言葉を聞いて、どんなことを思われますか。本を読むこと、いろいろなことを詳しく知っていること、知っているほど偉い、そんなふうに捉えてはいませんか。でもそれは勘違いです。どきり、としました。勘違いしていました私も。
あなたは、クラシック音楽はお好きですか、そう問われたらどう感じますか。クラシック音楽は背筋をぴんと伸ばして、かしこまって聴くもの、それがふさわしいもの、と思い込んではいませんか。残念ながら教育でそうすりこまれてしまってもいるようです。でもそれは間違いです。そうだなあ、思い当たりました私も。
教養とはなんでしょうか。感じてみましょう、体験してみましょう、楽しんでみましょう。今回の演奏つき講演会は、そんな川上先生と演奏家の皆さんからのメッセージでもありました。

守りの教養・攻めの教養
感覚、情動、感情

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この世のなかに、くだらないものなんてない!  出雲充さん

今期の夕学 第2回に登壇された楠木健先生の名著『ストーリーとしての競争戦略』の中に「クリティカルコア」というキー概念が紹介されている。

小説にせよ、映画にせよ、演劇にせよ、よいストーリーに共通するのは、ストーリーの読者(聴衆)を「グイっ」と引き込んでいくドライバーが仕込まれている。
「えっなんで!」「どうして、そうなるんだ!」「これからどうなる?」と思わせる大胆なスートーリーチェンジが行われる、というものだ。

芥川賞作家で大手商社マンでもある磯崎憲一郎氏の言を借りれば、
「ンなこたぁないだろう。でもひょっとして...」という表現になる。

楠木先生によると「クリティカルコア」の条件は、そこに非合理性が埋め込まれていることだという。
一見するとムダで、バカげたことに思える。
ところが、その非合理性が、一貫性のある動画に流し込まれると、ストーリー全体の合理性を産み出していくのである。
非合理と合理の不思議な結合、それがイケてるストーリーに不可欠の要素だという。

photo_instructor_705.jpgユーグレナ社長出雲充(みつる)氏「ミドリムシで地球を救う」という信念は、見事な「クリティカルコア」であろう。

ミドリムシが地球の問題を解決する。
「そんなバカな話があるか」、と誰だって思う。
しかし、東大農学部出身の出雲さんが熱く語る、ミドリムシならでは効能を聞くと、これこそが次世代型のサスティナブルビジョンだ、と納得させられる。

和名ミドリムシ:学術名ユーグレナは、体長0.1ミリの水中に棲む微生物、藻類の仲間である。キャベツの葉につく青虫ではない。
ミドリムシは光合成を行う。したがって植物である。
一方で、自ら行動し移動する。つまり動物でもある。
植物であり、動物でもあるミドリムシは、栄養素の点からみると、植物と動物の良いところ併せ持った究極のハイブリッド生物だという。
野菜・肉・魚に含まれるそれぞれに特有な59種類の栄養素を持つ。

ミドリムシの栄養食品化。それがユーグレナをマザース上場まで成長させたビジネスモデルである。

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