« 2013年10月 | メイン | 2013年12月 »

私たちが知りうる宇宙には限界がある 池内了先生

satoru_ikeuchi.jpg

楽屋で池内先生にご挨拶をした。まっすぐでお優しい視線を返してくださって、吸い込まれる気持ちがした。
科学と社会の接点を常にきびしく見つめ、物事を追求されていらっしゃる。科学の終焉というタイトルもご著書も、先生の選ばれる言葉はきびしいものも多い。だから先生も、きびしい方なのではないかと、私は内心ちょっとどきどきしていた。しかし池内先生は、科学初心者である私の稚拙な疑問にも、好奇心から思わずでた反応にも、まっすぐな視線と丁寧な言葉を、常に返してくださった。そんなところもすべてが池内先生のメッセージであったような気がした。視線も言葉もとてもお優しい先生だった。

そして講演。池内先生のご研究の専門は宇宙であるが、近年は科学と社会の接点にある問題についても深く考え、哲学的な問いや社会論についても発言され、そして啓蒙的な活動もされている。池内先生はこうはっきりとおっしゃる。

私たちが知りうる宇宙には、限界がある。

それは「光の速さ」X「宇宙が生まれてからの時間」なのであるが、

続きを読む "私たちが知りうる宇宙には限界がある 池内了先生"

自分の脳で考える おもてなしとサービスということ 宮崎辰さん

講演前、楽屋に入ると、宮崎さんはすでに少し前に到着されていて、舞台上でデモンストレーション用の丸テーブルと椅子を並べられていた。「おー」感嘆。立ち姿、所作がなんて美しい方だろうと思った。

shin_miyazaki.jpg

次に、品よく、おすまししているテーブルと椅子の姿に驚いた。ふだん使いのとりたてて特徴のないものなのだが、宮崎さんの手によって整えられた家具はいつもとまったく違う美しい表情をしていた。

ご挨拶しながら、素直にいまの感想を言うと、宮崎さんは小さく微笑まれて(ような気がした)、手元の紙ナプキンをこう、ではなく、こう、と動かして見せて、「そうなんです。ほんの小さな差。それこそが大事なのです。」とおっしゃった。

宮崎辰さんは、恵比寿にある三つ星レストラン、ジョエルロブションプルミエ メートル ドテルである。
メートルとは、レストランにおけるサービスのプロフェッショナル、と説明される。私も講演の冒頭でそう紹介した。しかし宮崎さんのお話を伺ってわかったのは、メートルとは、 "サービス"と"おもてなし"のプロフェッショナルである、ということだった。

サービスとおもてなしは違う。宮崎さんはこう説明される。

続きを読む "自分の脳で考える おもてなしとサービスということ 宮崎辰さん"

自分のアイデアで社会を変える。  駒崎弘樹さん

社会起業家という言葉をはじめて聞いたのは7年前の夕学だった。この言葉と概念が日本で広がるうえで大きな役割を果たした慶應SFCの金子郁容先生に教えていただいたのが最初だった。
日本の社会起業家の実例として、金子先生が真っ先にあげたのが、起業間もない頃の駒崎弘樹さんであった。
http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/2006/07/post_121.html
その時、金子先生は4つの条件を使って社会起業家を定義した。

1. 社会をより良くしようというミッション性が明確にある。
2. 経済的リターン(利潤)と社会的リターンの両立ができること。
3. 継続的な事業として社会の問題を解決していくこと。
4. イノベーションを実践していること

photo_instructor_683.jpg
今回、駒崎さんの講演を聴いて、社会起業家に対する私の認識が、7年前に出来上がった枠組みに縛られていたことに気づいた。
社会起業家というのは(特に日本では)、小さくてもキラリと光る「草の根型」の組織を起こし、営む人達である。そう思い込んでいた。

駒崎さんは、もっとスケールが大きくて、したたかな人であった。
自分の力が及ぶ範囲でコツコツと社会を変えると同時に、自分がテコになりもっと大きな範囲で社会を変えていこうとしている。
草の根型ではなく、「レバレッジモデル」と言った方がいいかもしれない。

確かに、駒崎さんのフローレンスは、病児保育という日常の問題に目を向けた草の根型からはじまった。生まれ育った東京下町江東区ではじめたビジネスモデルである。

子育て経験豊富な主婦を組織化し、地域医療機関と連携してレスキューネットを構築する。利用者は掛け捨ての月会費を払うことで、いざという時にレスキューネットを利用できる。利用者の使い勝手のよさ、会費による安定収入を両立した画期的なアイデアである。

フローレンス設立から2年、悪戦苦闘の末なんとかモデルが回り始めた頃に、厚労省の役人が「話を聞かせて欲しい」とやってきた。
それから数ヶ月後、「緊急サポートネットワーク事業」という業務委託事業を、国が開始するという記事が大手新聞に掲載された。

「やられた!」 「国(厚労省)にアイデアをパクられた」
駒崎さんは憤慨したという。

続きを読む "自分のアイデアで社会を変える。  駒崎弘樹さん"

生きるらしく生きる 長谷部葉子さん

「コンテキストのズレを解消することに慣れていない」

かつて夕学で、劇作家の平田オリザさんは、日本人のコミュニケーション上のウィークポイントをこのように表現した。
コンテキストとは、「国柄や地域・文化によって異なる個性」と言い換えることが出来る。「その人の価値観」と言ってもよいだろう。
私たちは、よく知らない人、わからない人と、目的が不明確なまま関係を形成していくことが決定的に苦手である。
要は異文化との接点を上手くやるコツがわからないわけだ。
http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/2010/04/post_362.html

photo_instructor_703.jpg「異文化との接点を上手くやるコツ」
これを研究・教育の主軸にして、徹底的な実践主義で取り組んでいるのが慶應SFCの長谷部葉子先生である。

異文化との接点といっても、相手が外国人とは限らない。コンテキストのズレ、価値観の違いは、同じ場所に生きる人、例えば家族間であっても生じる。
価値観が違えば、思い描く絵も違う。同じものを見てもイメージする世界は異なる。だからこそすり合わせと共有化が必要になる。
「異文化との接点を上手くやるコツ」というのは、価値観が多様化した成熟社会で生きる私たちにとって必須の基本リテラシーと言えるだろう。

続きを読む "生きるらしく生きる 長谷部葉子さん"

日本の美、共存の美 高階秀爾先生

こんにちは。慶應MCC 湯川です。第11回目 11月15日は高階秀彌先生にご登壇いただきました。

文字と絵、意味と音、言葉とイメージが、ひとつの画面に共存し、互いに響き合いながら、美を奏でている。それが日本の美。高階先生のお話は余韻の残る豊かなお話でした。

高階先生のお話は、「古今和歌集」から始まりました。西洋美術の権威である高階先生からこれほどまでに和歌や日本美術のお話を伺うとは。意外で驚きでした。けれども綴られるお話に、西洋の美術と日本の美術、ともに造詣の深い高階先生だから、のお話であることがわかっていきました。日本の共存する美、対する西洋の美は、分け、分かれ、揃える美。

syuji_takashina.jpg

日本語はまさに共存する美の代表です。
漢字とかな。意味を表う漢字と、音を表すかな。まったく違うシステムが共存して、多彩な表現を生んでいます。音を掛け、意味を掛け、場面と意味を掛けて。左右上下対称の漢字と、非対称のかなは、造形の美もまた生み出します。共存する言葉、ゆえに複雑ですが、ゆえに実に豊かさも生み出しているのですね。

和歌は、共存する美の典型だとわかりました。

続きを読む "日本の美、共存の美 高階秀爾先生"

こころを苗にして育てる  安藤忠雄さん

「なんでこんな国になったのか」

photo_instructor_694.jpg安藤忠雄さんは、いつになく厳しいトーンで話しはじめた。
夕学四度目の登壇となる安藤さん、これまでの講演でも日本という国の社会システム、日本人の意識に対して警鐘を鳴らすことが多かったが、今回はこれまでにもまして思いが強かったのではないか。

2020年東京オリンピックが決まったが、安藤さんが監修するオリンピックスタジアム建設の入札に建築会社が乗り気にならないという。
理由は「現場の人が集まらない」ということらしい。
現場監督、大工、左官、建築資材・部品の加工工場等々で働く人がいない。
世界一と言って過言ではない日本の土木建設業。その現場力を支える肝心の人間がいなくなってしまった。
東北復興の需給が逼迫しているという事情はあるけれど、ホテルなどのサービス業でも人不足に悩んでいる。
「額に汗して働く人々」がいつの間にかいなくなってしまった。
「なんでこんな国になったのか」

それほど大きくもない自治体が、2つも3つもオペラハウスを建てようとする。
広大な敷地を持つ郊外キャンパスをほったらかしにして、大学は都心に回帰する。
そこにこれまで投下した資源はどうするのか。
「なんでこんな国になったのか」

経営者はゴルフばかりしている。
ホワイトカラーは勉強ばかりしている。
「なんでこんな国になったのか」

安藤さんが尊ぶスピリットは、ご自身が愛読しているというサムエル・ウルマンの『青春』になぞらえて言えば、「理想を追い求める」ことだ。
(詳しくはこちら(前回)の夕学ブログをご覧ください)
そのスピリットがいまも安藤さんを突き動かしていることは、きょうの講演でもよくわかった。
それだけに、日本人が「野生」「挑戦」「勇気」「構想力」を失いかけていることが歯がゆくてしかたがないのだろう。

「でも絶望することはない。こころはしっかりと残っている」
毒舌ながらもその心底に温かさを持つのが安藤忠雄さんである。

東日本大震災で親御さんを亡くした遺児のための育英基金を立ち上げたところ、たちまち40億円の寄付が集まった。
「日本をなんとかしたい」という人々のこころは失われていない。

「人々のこころ」を種や苗にして、時間をかけて豊かな森に育てようというのが、安藤さんのライフワークのひとつである。

長年の煙害のために全島が禿山だった直島は、20年掛けて日本有数のミュージアムアイランドに変わった。

東京湾では、かつてのゴミの島が「海の森」に変わろうとしている。
自然が持つ生命力を上手に活かしてあげれば、森は自ら育っていく。
「野生」の力を信じて、「勇気」をもって「挑戦」し、「構想力」を駆使して考えれば、荒涼たる大地を緑に変えることができる。

毒舌とユーモアを絶妙のバランスで組み合わせて送られた安藤さんのメッセージはそういうことだったと思う。


丸の内の会場で募った震災遺児育英基金の募金額は70,253円でした。
MCCより安藤忠雄事務所に送金させていただきました。皆さまのご協力に心から御礼申し上げます。

「夢があれば道理は引っ込むⅡ」  三浦雄一郎さん

まずはこちらのブログを読んでいただきたい。
5年前、三浦雄一郎さんが75歳で二度目のエベレスト登頂に成功した後に夕学に来ていただいた際のものである。

-------------------------------
「年を取ったら無理をするな」というけれど、
私にとっては、それは間違い。
「年を取っても無理をする」でないと冒険は出来ない。
夢中にさえなれれば道理も引っ込む

-------------------------------

photo_instructor_686.jpg三浦さんのこの言葉は、夕学13年の歴史の中でも、とりわけ印象深い名言のひとつである。

5年前の宣言通りに、今年5月三浦さんは80歳で三度目のエベレスト登頂に成功した。自身の持つ世界最高齢登頂記録の更新であった。
本日の講演を伺うと、三浦さんにとっての5年間は、やっぱり「年を取っても無理をする」5年間であったようだ。

二度目の登頂の翌年、76歳の冬にスキーのジャンプで転倒し、大腿骨、骨盤四箇所骨折という大怪我を負った。医者は5ヶ月の入院治療を宣言したという。
普通の76歳の老人であれば、ここまでの大怪我を負うと、そのまま寝たきりになってしまうだろう。三浦さんは、「治る」という確信、「治してみせる」という意志の強さが半端ではなかった。
サムゲタン風に煮込んだ鮭の頭を一日一匹、それも中骨ごと食べるというノルマを自身に課し、サントリーのセサミンをがぶ飲みするという我流治療法で治してしまった。
医者は「10代の回復力だ」と驚嘆したという。
2ヶ月半で復帰、一年後は普通にトレーニングが出来るようになった。

今年の1月には、持病の不整脈で4度目の心臓手術をした。
心臓にメスを入れるのだから、これも普通であれば復帰まで半年はかかる。
にもかかわらず、2ヶ月後にはヒマラヤに出発してしまった。
現地での高地順応フェーズをリハビリ兼用にするという荒技であった。

無理するばかりではなかった。マイナス材料をプラスに転化する発想の転換もやった。
1日のルートを半分に分けて、倍のペースで登る決断をした。
「年寄り半日仕事」
そんな格言を口にしながら、疲労を蓄積しないようにゆっくりと山頂を目指したという。
面白いもので、二倍の時間がかかるはずのものが、ベースキャンプを過ぎた頃から、通常のペースに追いつきはじめたという。
通常のルートだと、疲労がたまり高地にいくほど順応に時間がかかる。三浦さんはゆっくり登ったので、そのロスが少なくてすむ。結果的には、通常ルートの登攀とほぼ同じ日程で登ることができた。
8,000Mを越えてから、ウニの手巻き寿司、お茶会を楽しむ余裕もあった。

家族を中心にしたチームの結束もあった。
次男の豪太氏が常に父に付き添い、長男の雄大氏は、ベースキャンプで通信と情報発信を担当。日常のマネジメントを担当する長女の恵美里さん、妻の朋子さんは、いつも健全なるブレーキ役を務めてきた。
80歳の父の冒険を、40~50代の息子・娘達がチームで支える姿は、理想的な家族像でもある。

「三浦さんの次の挑戦は何ですか?」
この問いを待っていたかのように、三浦さんは楽しそうに夢を語ってくれた。
5年後85歳で、ヒマラヤにある世界で6番目の高峰「チョ・オユー(8,201 M)」に挑戦することである。
チョ・オユーは、8000M級の山で唯一、山頂からスキーで滑り降りることができる山だという。
プロスキーヤー三浦雄一郎氏が、原点であるスキーを履いての挑戦である。

「夢中にさえなれれば道理も引っ込む」

5年後もこの言葉を聞けることを楽しみに待ちたい。