« 2013年6月 | メイン | 2013年8月 »

キーエンスが500社あれば日本は変わる  延岡健太郎さん

日本の「ものづくり」の危機が叫ばれるようになって久しい。
その危機感は、いつもひとつの結論に行き着く。

日本のものづくり能力はいまも素晴らしい。しかし優れたものづくりだけでは勝てない。ものづくりに加えて、新しい価値をつくりこまねばならない。

新しい価値に関わる、キーワードも流布している。
意味、感動、経験等々
マーケティングでは、「ブランド・エクイティ」「インサイト」「経験的価値」などの概念が語られてきた。

これらはたいへん重要な概念であることは間違いないが、消費財のものづくりでは説得力を持つ一方で、日本の製造業の根幹を支える生産財のものづくりにはピンとこない。
「抽象的過ぎて、よくわからない話」とされてしまう。

製造業の製品開発マネジメントの研究を専門にしてきた延岡先生は、生産財における「価値づくり」を主眼に据えて、独自の定義を掲げている。
photo_instructor_675.jpg

価値=営業利益+人件費+研究開発費+その他
・高い営業利益を確保すること
・従業員に十分な給与を支払うこと
・長期的視野に立って必要な研究開発費を投資すること
・その上でたっぷりと法人税・所得税を払うこと
言い換えれば、社会に貢献すること。それが「価値づくり」である。

続きを読む "キーエンスが500社あれば日本は変わる  延岡健太郎さん"

災害は減らすことができる 大木聖子さん

photo_instructor_663.jpg地震も台風も自然現象であって、それだけでは災害ではない。
人や社会があるから災害が発生する。
だとすれば
人間が変わったり、社会を強くすることで、災害は減らすことができる。

それが、学際的な立ち位置で地震学を研究する大木聖子さんの考え方である。
地震に対する人間の意識と行動を変えること、地震に対して社会を強くすること、そのために災害情報の流し方、防災教育、災害科学コミュニケーションの等々の研究と実践を行っている。

講演は、人間が持つ特徴を説明するところから始まった。
「地震に対する人間の意識と行動を変えること」が大木さんの地震学の目的ではあるが、人間には変えられないものもある。
生物としての人間が、環境変化に適応し、生命を繋いできた過程で、何万年もかけて身につけた心理的特徴は簡単には変えられない。
それを心理学では「認知バイアス」というが、大木さんによれば、地震に対してもいくつかの「認知バイアス」に縛られているのが人間のようだ。

正常性バイアス 「まあ、大丈夫だろう」
何か緊急事態が発生しても、大丈夫だ、落ち着こう、という自己抑制的な心理が働くこと。
地震速報を聞いた時、私たち人間は無意識にそう思い込もうとする特性を持っている。

同調バイアス 「みんな逃げていないし」
いざ、という時に自分以外の周りの大勢に合わせようという心理が働くこと。
逃げた方がいいかな、と感じても、周囲が逃げなければそれに従おうとするのが人間というものだ。

「まあ、大丈夫だろう」と「みんな逃げていないし」が組み合わさると大惨事に陥る可能性が高まる。

「認知バイアス」は変えることは出来ない。しかしそういうバイアスがあることを知っていれば、いざという時に自分を客観視できるかもしれない。
大丈夫と思う自分を疑う、周囲に合わせようという自分を否定することで、「地震に対する人間の意識と行動を変えること」ができる。

地震が起きたら、まず逃げる。誰よりも先に、皆に声を掛けながら。
結果として何も起きなければ、それが一番いいのだから。
大木さんの最初のアドバイスである。

続きを読む "災害は減らすことができる 大木聖子さん"

シチューではなく、サラダを  坂井直樹さん

「日本にはいいデザイナーがたくさんいる。にもかかわらず日本企業はデザインで負けている」

photo_instructor_674.jpg坂井直樹さんの危機意識は、この言葉に集約されそうだ。
45年間デザインの世界で生きてきた自らの経験・知見を活かして、ビジネス・経営とデザインの結節点を大きく、強くする。
それが、坂井さんの社会的使命感なのかもしれない。
だから、実務家に向けてデザインの意義を語るし、大学でデザインマネジメントを教える。

坂井さんによれば、デザインの歴史は工業化社会の到来とともに始まったという。
産業革命を経て、人間の手に頼っていた「工芸」が、機械による「工業」に変わった。
当初、機械は「不器用な手」と評された。大量生産は可能になったが、工芸品が持っていた美しさ・繊細さが失われてしまった。どれもこれも同じような見栄えで美しくない。機械はなんと不器用なのか。ということであろう。

機械の不器用さを埋めるために生まれたのがデザインという概念であった。
デザインとは、言い換えれば「美を数値化する」ことである。
アーティスティックな感性を、直線の長さ、交差角度、曲線の関数といった数値に置き換え、工業化社会の大量生産システムに組み込むことがデザインであった。

デザインは生産性向上のツールであり、技術と不可分の関係にあった。ということは、技術がそうであるようにデザインは経営機能の一部とさえ言えるかもしれない。
80年代の日本企業の躍進を分析した米国のMBA教育がManagement of technology(技術経営)というコンセプトを作り出したように、現在の日本の経営教育にManagement of design(デザイン経営)という概念が必要なのかもしれない。

坂井さんによれば、ジェームズ・ダイソンも、F・A・ポルシェも、エンツォ・フェラーリもエンジニアでありデザイナーであり、経営者であったという。

さて、デザインが味気ない機械の造成物に美という魅力を付加するツールであったように、グローバル化する社会にあって、ダイバーシティをベースにしたデザインは、世界で求められるデザインを産み出すためのツールであり、仕事のやり方である。

シチューのようにさまざまな素材を煮込んで別の味に統合するのではなく、サラダのように素材の味を活かしつつ全体のアンサンブルを形成すること。
それがダイバーシティをベースにしたデザインの目的である。

坂井さんのクリエイティブ人生はダイバーシティをベースにしたデザインを先取りした45年間でもあったようだ。

坂井さんを一躍有名にした日産「PAO」のコンセプトメイクは、ファッションの経験しかない、女性だけのチームで作られた。しかも経営者(坂井さん)は免許さえ持っていなかった。
自動車の世界から見れば異質性の塊のようなチームが、自動車の基本モデリングを四角型から丸型に変えてしまった。

現在、坂井さんのチームが「PAO」のコンセプトメイクをした時代に比べると、ダイバーシティをベースにしたデザインの環境は格段に整っている。
SNSを使えば世界の異質性を取り込むことが簡単にできる。あとはやり方に慣れるだけ、慣れるということは実践すること以外にない。とにかくやってみることである。

「日本人はインプットに熱心だから...」

冒頭でさりげなく発したひと言は、坂井さんから日本社会に向けた、アイロニカルなメッセージでもあった。

どうすればいいか、どうやって障害を乗り越えるかを考えることは重要だが、「これで大丈夫」という答えは見つからない。
だとすれば、まずはやってみるしかない。

海陽学園という試み 中島尚正さん

photo_instructor_669.jpgきょうの講演者、中島尚正先生が学校長を務める海陽学園の設立は2006年。
学園のサイトでは、「将来の日本を牽引する人材」の育成を目標に掲げている。
日本の教育の危機感をもった中部財界が音頭を取った。トヨタ・JR東海・中部電力が40億円ずつ。他に80社が1億円ずつを寄付して計200億円の基金をもとにして生まれた次代のリーダー育成の場である。

完全全寮制で中高一貫教育。男子のみ一学年120名の生徒達が三河湾を望む13万平米のキャンパスで寝食をともにしている。
学費は280万円。私立の二倍以上になる。

全人教育を謳うだけあって生活指導は厳しい。
ケータイ、ゲームは禁止、PCのネット接続も制限する。マンガやテレビも限られた時間しか許されない。24時間定められたスケジュールをこなさねばならない。年に数週間の休暇以外は、その生活が6年間続くことになる。


全寮制という教育システムは、「リーダーの全人教育」の方法として有効だとされて、英国のパブリックスクール、米国のボーディングスクール、日本では戦前の陸軍幼年学校、海軍兵学校がそうであった。私も受講者の質問で初めて知ったが、都立秋川高校(1965年開校)という学校もあったそうな。

しかし、日本では現在完全全寮制はほとんど存在しない。秋川高校も2001年に閉校した。
コストの問題が一番のネックになるようだ。
中島先生によれば、多感な少年に全人教育を施すためには、一人の寮長(舎監)が面倒を見ることができる生徒は20人程度だという。
300人の生徒がいれば、15人の舎監が必要になる。それだけで億単位の費用。しかも誰でもよいわけではない。

続きを読む "海陽学園という試み 中島尚正さん"

縮小社会への適応力が必要だ 萱野稔人さん

photo_instructor_665.jpg猛暑突入を避けたかのように15日までイギリスに出掛けていたという萱野稔人先生。「日本のナショナリズム」について話して欲しい、という学者仲間の招請を受けた講演旅行とのこと。

萱野先生によれば、英国では、日本のナショナリズム、ことに東アジア情勢の不安定化に連動して起きている動きに関心が高いという。
竹島、尖閣諸島をめぐる日韓・日中の軋轢、新大久保でのヘイトスピーチ、安倍首相の発言、橋下大阪市長の慰安婦問題発言等々、当事者である日本人以上に緊張感を持って状況をみている。

それはなぜか。
日本のナショナリズムは、欧州のナショナリズムと同じなのか、違うのかを見極めたい。
英国の知識人は、そう考えているようだ。

英国では、2年前の統一地方選で極右政党の「英国国民党」が大躍進した。フランス、ドイツ、オランダでも極右政党の動きは活発である。移民排斥、死刑復活、反EU等々、彼らの主張はよく似ている。

萱野さんの見立てでは、
日本と欧州で起きているナショナリズムの伸長は構造的類似性がある、という。

いずれも、縮小社会にあって、これ以上限られたパイを奪われたくない、寄生されたくない、という国民意識に起因している。
低所得者層を中心に沸き起こったその意識運動が、欧州では移民排斥へ、日本では反韓・反中へ向かっているという図式である。

萱野先生によれば、現代のナショナリズムは、かつてのような無知・無教養に起因するのではなく、縮小社会のリアリズムを反映した根の深いものだ。縮小社会が構造的な問題である以上、人権や人類愛などの普遍的価値を説いたところで、問題の根っこはなくならない。

では、世界の先進国を覆う縮小化の波はなぜ起きたのか。たまたまなのか、避けられないのか。文明論的な巨視的な分析が必要である。

続きを読む "縮小社会への適応力が必要だ 萱野稔人さん"

「調べて書く」のではなく「頭にあるものを書く」 小田嶋隆さん

photo_instructor_666.jpg当代きっての人気コラムニスト小田嶋隆氏によれば、コラムというのは「枠組み」ということらしい。
新聞紙面の一画に罫線囲みのスペースを与えられ、その「枠組み」に収まる範囲で文章を書くことを求められる。罫線囲みは、新聞オピニオンとは一線を画すという、新聞社側の宣言でもある。

つまりこの中に書かれていることは我々(新聞社)の統一見解ではありませんよ、という逃げを打たれているに等しい。

新聞紙面の別枠、体制内の反体制派。
言いたい放題、やりたい放題の反体制派ではない。ましてや過激派ではない。
ある秩序を受け入れ、しかしその範囲内で誰も言わないことを言う。
それが、コラムニストの立ち位置ということになる。

言い方を変えれば、コラムがコラムである所以は、そこに独自な視点があるかどうかである。
小田嶋さんは、コラムの世界で30年近く生きてきた「コラム道」の求道者である。

「調べて書く」のではなく「頭にあるものを書く」

小田嶋さんのコラム作法はそういうものだという。

ネット社会では知識人・業界人と一般の人々との情報非対称性はぐんと縮まった。
「ネェネェこれ知っている」的なモノ書きが生きていける場所はなくなった。調べなければ書けない程度のコラムでは、人のこころを動かせない。

「頭にあるものを書く」とは、脳の中で眠っていた記憶に新しい命を吹き込む作業のようだ。
小田嶋さんの脳の中には若い頃に読んだ本、経験した出来事、聞いた話など、何十年もかけてコツコツと蓄えてきた雑多な記憶が詰め込まれている。
これらの記憶は、いわば発酵食品における微生物の働きをする。

素材となるのは、旬なネタ、例えばニュースや事件やスキャンダルかもしれない。いずれにしろ素材以上のものではない。
ところが、小田嶋隆という醸造機に放り込まれて、何十年も住み着いている麹菌が植え付けられ発酵することで、豊潤な香漂うお酒に姿を変える。

「頭にあるものを書く」ということは、そういうことである。

小田嶋さんによれば、人間の脳内では、ひとつの記憶にいくつもの雑多な関連記憶がヒモ付されて格納されている。
一見無関係で脈絡ないようにみえて、その人の中では独自な編集がほどこされ、ひと連なりのエピソード体系として「ある意味」を形成している。
その人ならではの色彩豊かな「知の体系」である。

この「知の体系」は、ゴツゴツして手垢にまみれているかもしれない。
デジタル処理を施し、共通フォーマットに落とすことが出来ない。クラウドにあげていつでも、誰とでも共有化することが出来ない。断じて、そういう類の情報ではない。

だからこそ、人のこころに訴える。
読者がそれぞれに持っている「知の体系」を刺激して共感を呼ぶ。

800字、1200字、2000字のコラムの中に、書き手の歩いてきた人生の軌跡を探すことができる。

ひとつの道に頼らない生き方 安藤美冬さん

「この道より我をいかす道なし。この道を歩く」

この名言を残したのは武者小路実篤だという。
実篤がこの言葉に込めた本意は、何だろうか。

ひとつの道をとことん突き詰める。

という意味だと言う人が多いかもしれない。
その背景には、ひとつの仕事に打ち込んで、その道を極めることを尊ぶ日本社会の気風があるのではないだろうか。
ひとつの仕事は、ひとつの会社、ひとつの場所、ひとつのチームと同義語になることもあり、例えばプロ野球の世界では、フリーエージェントの権利があっても、そのままチームに残る道を選ぶ選手の方がファンの声援が温かいような気がする。(私の気のせいかもしれないが)

私は二度転職した経験があるが、最初の時(30歳)に、転職をする(した)という話をすると、多くの人から、そこはかとない憐れみの表情を浮かべられたことをよく憶えている。

兼職や兼業ということのイメージもよくない。
「二足の草鞋を履く」ということわざがあるが、調べてみたら、江戸時代、博徒が十手を握り捕吏になることを言ったようで、同じ人が普通は両立しないような仕事を一人ですることをいうらしい。
二つのことを掛け持ちすることは、無理のあること、普通ではないこととされていたようだ。

photo_instructor_670.jpg安藤美冬さんが、30歳で集英社を辞めノマドワーカーの道を選んだのは、上記の気風に対する逆張りの戦略であった。

続きを読む "ひとつの道に頼らない生き方 安藤美冬さん"

人生の北極星  宮本亜門さん

photo_instructor_658.jpg8年振りとなる宮本亜門さんの夕学。
パッション、ユーモア、温かさ、頭の回転の速さ どれをとっても超一流。講演者としても卓越したパフォーマーである。

規格外であることを強みに転化してきた人

亜門さんをひと言で表現するとしたら、そう言えるのではないか。

亜門さんのお話を聞くと、御両親もどちらかと言えば規格外の人であったようだ。 
慶應を卒業後、紆余曲折を経て新橋演舞場前で喫茶店を経営するお父上。
SKDダンサーとして舞台に立っていたというお母上。
ふたりとも子供愛もたっぷりで、亜門さんには、規格外のコップが溢れるくらいの愛情量を注いで育てたようだ。
父は、母校の慶應への入学を期待し、母は、3歳から藤間流の踊りを習わせた。
規格外の両親を受けて、亜門少年も規格外に育った。

子供の頃の趣味は毛虫採集。好きな昔話は楢山節考。
中学校では、お茶や仏像巡りに没頭した。

多感な高校時代は反動が訪れた。
自分が他人と違うことを過剰に意識し、引きこもりになった。
ただし、このままで終わってしまったら、普通の引きこもり少年である。
亜門少年の場合、立ち直り方も規格外だったようだ。

慶應病院の医師のカウンセリングをきっかけに自信を取り戻した亜門少年は、演劇の世界に飛び込む。
カウンセリングで気づいたことは、「新しいこと、面白いことを多くの人に伝えたい」という願望が自分の中にあるということだったようだ。演劇は、その願望を叶えるフィールドとして最高の場所だった。

出演者、振付師を経てロンドン、ニューヨークに留学し演出家としてデビューを果たす。
蛹が蝶に変わるように、劇的な変態を見せたということか。
以降の活躍は多くの人々が知るところである。

続きを読む "人生の北極星  宮本亜門さん"

堂々たる姿  金子啓明さん

里中満智子の長編歴史漫画『天上の虹』をご存じだろうか。1983年に始まって現在21巻。いまだ未完の超大作である。
私は、昨冬のagora講座「阿刀田高さんと、いま、広く、新しく読む『古事記』」で受講生の方から教えてもらい、お借りして一気に読んだ。

photo_26.jpg

この漫画、副題が「持統天皇物語」となっていることからわかるように、7世紀半ばから8世紀初頭を舞台に、持統天皇(鸕野讃良皇女)を主人公にして、天智天皇(持統の父)、天武天皇(持統の夫)から、文武天皇(持統の孫)までの御代を描いている。

天武・持統帝の時代は、天皇の権力が最大化された時代と言えるだろう。今風の表現を使えば、日本ではじめて国家のガバナンスシステムが確立された時代とも言える。
法律(律令)、戸籍、税制(公地公民制)、都城が整備され、天皇を中心とした集権国家体制が形成されていった。天皇という名称や日本という国名が使われ始めたのもこの時代である。
一方で、文化的には、「白鳳文化」と呼ばれるひときわ華やかな文化が花開いた時代でもある。

photo_instructor_678.jpg金子啓明さんの夕学は、「白鳳文化」を代表する薬師寺のご本尊「薬師三尊像」に込められた古代人の思考と精神性、そして卓越した技術を解説していただいた。

薬師寺は、天武が皇后であった鸕野讃良皇女(後の持統)の病気平癒を願って建立がはじまったと言われる。天武亡き後は、持統がその志を継ぎ、約20年をかけ完成させた。
当時の最高権力者が、夫婦愛の象徴として、国家の平安と繁栄を願って立てた大寺院であった。

金子先生によれば、薬師如来像は、二人のイメージそのままに量感、威厳に満ちた堂々たる姿に特徴があるという。
厚い胸、太い腕、柔軟な身体、圧倒的な存在感。どれをとっても白鳳仏像の傑作である。

IMG_3822k2k.jpgのサムネール画像

表面的な姿だけでなく、裏側や台座など見えない部分にまで手が込んだ造作がなされており、しかも全てが生命力を感じさせる技巧表現で統一されているという。

『大智度論』という仏典の注釈書には「如来の三十二相」というものがあるという。
悟りをひらいた仏の最高の姿を表す如来にふさわしくあるためのチェックリストのようなものかもしれない。

・足下安定立相(足の裏が平らで、立つと地に密着する)
・手足指縵網相(指の間に水かき上の膜がある)

などといった三十二項目の条件リストである。
金子先生によると、薬師如来像は、この全ての項目を満たしているという。
宇宙の力を自分のものとした仏の姿と現世を生きる人間の理想的姿を合体させた、究極の姿を造形しようとしたということだろうか。

天皇が神として人々の前に立ち現れ、日本という帝国が生まれた時代。
時代の生命力、エネルギーの象徴として作られた薬師如来像。
千三百年の時を越えて、古代に思いを馳せるのは楽しいものだ。