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まずはじめに自分が社会に働きかけるかどうか 三宅秀道さん

一年間に7万8千点の書籍が出版されていると聞くが、著者がそれまでの人生をかけて、渾身の力を注ぎ込んだ本というのはめったにあるものではない。
三宅秀道氏の『新しい市場のつくり方』という本は、その"めったにない"本と言えるだろう。
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三宅氏は、弱冠40歳の若手経営学者である。早稲田商学部で経営史を学び、商学研究科ではベンチャー論を選び、東大ものづくり経営研究センターでは藤本隆宏氏のもとで製品開発論を叩き込まれ、東大駒場で文化人類学にも関心を持ったという変わり種である。

photo_instructor_668.jpgそう聞くと現代の高等遊民かと思ってしまうが、実際は苦労人で、学費や生活費を稼ぐために企業や市役所で嘱託として働いたという経歴を持つ。そのせいか40歳にしては少し老けて見える(笑)(※たいへん失礼致しました!)

この本は、そんな三宅先生が、18年間のアカデミックキャリアの全てを込めて書き上げた本だという。それがよく伝わるのは帯書きの藤本先生の推薦文だと思うので、そのまま掲載したい。

本書は要注意の本だ。一見軽そうに見えて論理は重厚。事例は軟派だが解釈は硬派。ラテン野郎の与太話かと思いきや、実はゲルマン魂の高踏派。幻惑されてはいけない。 むしろシュンペーター、ドラッカーの筋が好きな人にはよくわかろう。 問題開発、認知開発、必然的偶然などの新概念も並び、類書はありそうでない。 商品開発の根本に戻り、イノベーションの王道を行かんとの志を持つ人々に本書を勧める。
とある。 恩師として最高級の褒め言葉だと思う。

確かにこの本には、そして三宅先生の講演には、理論の説明はほとんどなかった。ひとりでも多くの人に読んでもらうため、理解してもらうために、背景理論の説明を我慢して、我慢して後ろに隠したのだろう。学者としては難しい作業だったと思う。
「B級グルメ」のような経営書と自称しているが、あえてB級料理に仕上げるために、かなりの苦心と試行錯誤があったに違いない。
そんな苦労や思いの熱量が行間から匂い立ってくるような本である。

本の紹介が長くなり過ぎたが、ほとんど無名の若手経営学者を夕学にお呼びした理由にもなると思ったので書かせていただいた。

さて、この本をモチーフにした講演は三宅先生の軽妙な語り口とよく練り込まれた論理展開もあって、楽しい講演になったが、伝えたかったメッセージは、随分と骨太である。

「企業の目的は顧客の創造である」
と喝破したドラッカーと同じことを、違う言い方で伝えたように思う。

企業の目的は「新しい市場」を創造すること。
それはスティーブ・ジョブズやラリー・ペイジのようなひと握りの天才経営者でなくとも、豊富な資金や人材を有する大企業でなくとも、たとえ、社員8人の家族企業であっても同じこと。

むしろ技術や資金や組織能力がない方は、失うものやこだわりがないぶん柔軟になれるかもしれない。
どこか知らないところに「成功する商品」「新しい市場」が存在しているわけではない。
要は、まずはじめに自分が社会に働きかけるかどうか。
働きかけた結果として起きる小さな反作用を逃さずに掴まえて、更に大きな働きかけを返すことが出来るかどうか。
それを何度も何度も繰り返すことが出来るかどうか。

それが人々の意識を変え、ニーズを喚起し、社会や文化を変えて、新しい市場を作り出す。

そういうことだと思う。

「新しい学びの文化をつくる」ことを標榜している慶應MCCにとっても、ズシンと思いメッセージであった。

人生に正解はない、働き方にも正解はない。  古市憲寿さん

作家 山本一力氏の代表作『あかね空』は、江戸時代の起業物語としても読める。
京都生まれの主人公栄吉は、二十五歳で江戸に出て、深川の三軒長屋で豆腐屋を始める。数え十二で修業を始めて以来コツコツ貯めた十五両が元手で、あとは自分の腕と出入りの大豆問屋の紹介人脈だけを頼りに単身江戸へと乗り込んだのだ。
いまでいえば、大阪で板前修業を重ねた高卒の若者が貯金百万円を資金に、東京下町のアパートの一室で弁当屋を始めるようなものかもしれない。
ちょっと無謀な挑戦に思える。

ところがおもしろいことに、栄吉の周囲の人々は、彼の挑戦に驚くことなく「若いのにたいしたものだ」と評価し応援してくれる。
長屋の隣人(大工)は祝儀代わりに豆腐製造用の大桝をただ同然で設えてくれた。長屋に出入りしていた棒手振りの豆腐屋もライバルでありながら陰で支えてくれる。
栄吉も、大工も、棒手振りも皆同じ「働き方」で生きている。「雇われないで生きる」人々である。
栄吉は起業家、大工はひとり親方の自営業、棒手振りはフリーエージェント的営業マンといったことろか。
江戸時代の日本は、それが当たり前の生き方であった。

photo_instructor_656.jpg古市憲寿さんによれば、この感覚はなんと1970年代まで通用していたらしい。
『ドラえもん』の第一回(1970年)には、未来からやってきたドラえもんが、のび太がどんな人生を送るかを彼に教えてくれる場面がある。なんとのび太は、就職できずに、仕方なく会社を興し、しかもなんとか7年間も持ちこたえていた(結果的に潰れたけれど)。
あの、のび太でさえ起業家になれる。しかも作者(藤子不二雄)も、読者も、それが不自然なこととは認識していない。
生きていくために会社を興すという生き方は、つい40年前までは、ごく普通の感覚であったということだ。

起業家、ノマドワーカー、フリ-エージェントは、皆同じ範疇に入る人達である。組織に雇われないで生きることを選んだ人達である。
日本では、雇われていないで生きること・働くことがマジョリティである時代が随分と長く続いていたことになる。

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相手がしゃべりたくなる対象になれるかどうか  阿川佐和子さん

新書では、何年かに一度驚異的なベストセラーが誕生する。
永六輔『大往生』1994年
養老孟司『バカの壁』2002年
藤原正彦『国家の品格』2005年
姜 尚中『悩む力』2008年
などの本が社会現象化に近いブームを巻き起こしてきた。こうしてもみると、いずれの本も、功成り名を遂げている著者であり、ご本人の専門から少しずらしたテーマながらも、この人がこのテーマを書くのならぜひ読んでみたい、と思わせる絶妙な企画がなされている。
上記の方々のうち、夕学がスタートした2001年以降の著者には、すべて夕学に登壇をいただいてきた。

photo_instructor_664.jpg阿川佐和子さんの『聞く力』は、2012年1月に刊行されて現在141万部。いまも売れ続けているという。
直裁かつ洒脱な文章が魅力の作家・エッセイストであり、一方で雑誌・テレビで毎月8人の著名人と対談、討論をするという阿川佐和子さんが、「聞く」というテーマで書き下ろしたこの本も、読んでみたいと思わせるテーマと著者の組み合わせである。

ちなみに、阿川さんによれば、ベストセラーを書いた人は皆同じ事を言うという。
「自分の本が、なぜこんなに売れたのかよくわからない。わかっていれば次の本も売れたはず...(笑)」
阿川さんらしいウイットに富んだ逸話である。

さて、講演では阿川さんが考える「聞く力」のコアエッセンスを、ご自身のテレビ・雑誌のエピソード、失敗談を交えながら楽しく語っていただいた。

阿川さんは言う
「インタビューは生ものである」相手との相性、タイミングによってフィットする話法やHow toは変わる。ましてや、どういう質問をするかではない。「相手がしゃべりたくなる対象になれるかどうか」につきる、と。

そのために、阿川さんは、事前に質問をある程度は用意するものの、それにこだわらないように心がけているという。
質問リストにこだわると、用意した質問ができたかどうかということばかりが気になり、相手の話にのめり込めない。それが相手にも伝わってしまう。結果として表面的な部分で終わってしまうことがある。

いま、このタイミングで気になること、聞きたいと思うことに遭遇したら、それをしっかりと掴まえて突破口にすると、思わぬ展開に転ぶこともある、という。

「相手がしゃべりたくなる対象になれるかどうか」ということは、
「相手が話したいと(潜在的に)思っていることに気づくかどうか」ということなのかもしれない。
言うならば、それが「聞く力」のカンドコロとも言えるだろう。

お父上(作家の阿川弘之氏)の友人である故遠藤周作氏の逸話も面白かった。
対談は、具体性に富んでいないとダメだ、という。
あるエピソードや経験をきっかけにして、「なんで」「どうして」「その後どうした」と繋ぎたくなるような具体性があると、対談は豊かになる。

ただし、具体性に富んだ話ほど、脱線も多いし、一見くだらない話もたくさん混じり込む。その中から、「宝モノ」を見つけ出せるかどうかは、読者や聴衆の力量にもよる。
「聞く力」ならぬ「聴く力」が重要なのかもしれない。

中国はいま  国分良成さん

photo_instructor_655.jpg意図したわけではないけれど、習近平の訪米が大きな話題になった直後のタイミングに設定された国分良成先生の講演は、実にタイムリーな企画となった。
昨年の反日暴動と尖閣問題の緊迫化を経て、日中関係はかつてない相互不信状態に陥っている。
「中国はとても大切な国ではあるけれど、いったい何を考えているのか理解できない」
それが我々一般人の率直な感覚である。
この時期に、現代中国研究の第一人者の講演は願ってもない機会である。

今朝の新聞では、米中首脳会議で習近平が、尖閣は中国にとって「核心的利益」であると表明したという記事が掲載されている。
奇しくも、国分先生の現代中国解説も「核心的利益」とは何かに言及することから始まった。
「核心」という言葉の含意は「ひとつに絞る」ということ。つまりいろいろと大切なことはあるけれど、その中からもっとも大事なひとつに絞り集中する。それ以外は妥協や手打ちもやむなしと割り切る。
それが「核心的利益」の意味だという。

では、現代の中国における「核心的利益」とは何か。
それは、現体制(共産党による一党独裁支配体制)の維持に他ならないと国分先生は喝破する。中国共産党が国家を率い、軍を統べる「党国体制」を維持することこそが、もっとも大事な利益だという。

見方を変えれば、それだけ危機的状況に陥っているのかもしれない。現体制による反政府勢力に対する強圧的な抑え込みは、文革時代や天安門事件後を彷彿とさせるほど異常なものだという。無理に無理を重ねている状態だと、国分先生は見ている。

なぜ、そこまで強圧的になるのか。
理由は、この20年間党国体制で推進してきた「社会主義市場経済体制」の限界がはっきりと見えてきたことに他ならない。

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ミシマ社という名の実験  三島邦弘さん

「原点回帰の出版社」 「一冊入魂」 「ほがらかな出版社」

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いずれも、三島邦弘さんが7年前にたったひとりでミシマ社を始めた頃から謳っているコピーである。
「キャッチコピーではありません」
三島さんは、そう言う。

キャッチコピーという言葉には、人目を惹くために、実体よりも大きく美しく見せようという虚飾の芳香がまとわりついているけれど、自分達は違う。
本当にそれにこだわっている等身大の自己を表現する、実感を込めた言葉である。
既存の出版社で失われつつある「大切なもの」を追究し、なおかつ持続可能な経営体を目指そうという「実験」だという。

無骨で一徹、でも明るく楽天的。
スマートでも、雄弁でもないけれど、素の人間として人から愛され、信頼される。三島邦弘さんとは、そんな人である。

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