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拉致と決断  蓮池薫さん

東大でバリアフリーを研究する全盲ろうの研究者福島智先生は、かつて夕学でつぎのように話してくれた

生きる意味=苦悩+希望

「苦悩」の中に「希望」を抱くこと、そこに人生の意味があると。

同時代の日本人の中で、福島さんの言葉を自分の実体験に照らし合わせて理解できるであろう、数少ない人のひとりが、蓮池薫さんではないだろうか。
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蓮池さんの24年間は、絶望的な環境の中に希望を見いだすことであったという。それが生きる意味であり、生き抜く力であったのではないかと思う。

蓮池さんにとって、希望の中身は時とともに変わった。
拉致当初は、生きること、死んでたまるかという思い、いわば生存本能を失わないことこそが希望であった。
そのためには、自己の置かれた環境を冷静に把握し、適応する必要がある。蓮池さんには、それを可能にする理性と意志の強さがあった。
自らの運命を得体の知れぬ他者に委ねることへの恐怖や屈辱に耐える力があった。

やがて、結婚し子供が生まれたことで、希望の中身は変わった。
家族を守ること、子供達を育て上げること、つまり良き父親であることが希望となった。平和と飽食ボケした私たちには想像すらもできないが、激烈な北朝鮮の社会条件、生活条件の中で、拉致された日本人が家族を守り、子供達を普通に育てることは、とてつもなく困難なことではなかったか。
何があろうとも、どこに行こうとも、疑われるような行為だけは絶対にしない。日本帰国への思いを絶ち、ひたすら現状に順応することが必要だった。

子供達にさえ拉致の事実を隠し、出自を偽り、日本語を一切教えなかった。日本人である子供達に、日本人であることを隠して生活することの辛さを考えると胸をつぶされる思いがする。それが良き父親でるために必要なことであっただけに蓮池さん夫婦が抱えねばならなかった精神的葛藤、不条理の重さは筆舌に尽くしがたい。

蓮池さんは、この24年間を「最悪の状態を想定し、それを免れるために考えをめぐらし、行動した時期だった」と述懐してくれた。

2000年代になって、蓮池さんの周りに吹く風が大きく変わった。
2002年の一時帰国は蓮池さん夫妻にとって、想像すらできなかった一大転機であったという。日本に戻った蓮池さん夫妻は、当初は北朝鮮に戻るつもりであった。残された子供達を守るためには、なんとしても戻らねばならないと思ったからだ。

しかし、風向きの変化は、蓮池さんの希望の質を変えた。
最悪の事態から逃れるにはどうすればいいかという消極思考から、最良の結果を勝ち取るためにどう振る舞えばよいかという積極思考への変化である。
自分達の帰国を待ち望んでいた日本の家族(父母、兄)と北で新たに生まれた家族(子供達)が日本の地でひとつになれること、それが蓮池さんの希望となった。

北朝鮮に戻らず、子供達を日本へ取り戻す。
蓮池さんの決断は、「ふたつの家族を日本でつなぐ」という希望に支えられたものであった。


蓮池さんは、拉致された時の状況をつぶさに語ってくれた。なぜ拉致を企てたのかという北朝鮮の思惑も推察してくれた。常時監視のもとで送った招待所での生活、90年代以降にひどくなった食糧事情の実態なども詳しく話してくれた。
興味がある方は、是非とも迫真の手記『拉致と決断』を読むことをお薦めしたい。

帰国から10年、蓮池さんのお子さん達は、柏崎を離れ、東京、韓国を行き来しながら暮らしているという。
北朝鮮の政治体制が未来永劫続くはずがない。そう遠くない将来に南北の統一が実現するかもしれない。その時、北朝鮮を故郷にもち、たくさんの友人がいる日本人として、子供達が東アジアをつなぐ役割を果たして欲しい。それが蓮池さん夫妻の願いではないだろうか。

困難を楽しむ 高島宏平さん

photo_instructor_667.jpg学歴エリート(東大生)ではあるけれど、勉強よりはお祭り好き、イベント好き。
みんなで集まってワイワイ騒ぎながら面白そうなこと、新しいことにチャレンジしたい。
世の中をどうこうしようという高邁な志はないけれど「世の中の役にたっている自分が好き!」という感情に素直。

1990年代後半の東大キャンパスに、高島宏平さんをリーダーとする、そんな仲間達が集まっていた。
好奇心と行動力旺盛な学生達が、サークル活動の延長で始めた学生ベンチャー。それがオイシックスの原点である。

2000年、3年間の実社会経験を積んだ高島達仲間が再び集まって、本格的なベンチャーを起ち上げた。
普通なら、学生時代特有の熱病は、瘧(おこり)のように冷めていくものだが、高島さん達の仲間は違った。根っからのベンチャー向き人間が集まっていたのかもしれない。

サークルの会議ように、ワイワイ・ガヤガヤと議論しながら考えたビジネスプランは、およそ彼らのバックボーンとは縁遠い「有機野菜のネット通販ビジネス」であった。

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いけばなは「移ろい」の芸術  笹岡隆甫さん

photo_instructor_673.jpg笹岡隆甫さんは、華道 未生流笹岡の血筋に生まれ、3歳から祖父の指導を受けてきた。小さな子供が、ままごとやプラモデルで遊ぶように、いけばなと親しんで育ったという。

二代目家元の祖父は母方にあたる。父親は数学者で、ご自身も建築学者を夢見て京大大学院まで進んでいる。根っからの理系人間でもある。

25歳で、天命に身を委ね、華道に専念することになったが、理系的思考はいまも健在である。「いけばな」とは何かを、分かりやすく論理的に説明することに長けている。
「なぜ」「いつから」「どういう経緯で」という、素人の素朴な疑問に丁寧に答えることができる。

日本文化の伝承者には、この手の質問が苦手の人が多いようだ
ものごころついた頃から、当たり前のようにやってきたことゆえに、理由など気にしたことがないからだろう。
「昔からそうやっているから...」という答え方が多くなる。

笹岡さんの特性は、日本の伝統文化の伝道者として、新しい時代に不可欠な能力だと思う。


笹岡さんは、「いけばな」について、実にいろいろな話をしてくれた。
皆さんには、是非ご著書『いけばな 知性を愛でる日本の美』(新潮新書)を読んで欲しい。

このブログでは、印象に残ったことをひとつだけ紹介したい。

いけばなは「移ろい」の芸術

「移ろい」とは時間の経過、プロセスのことである。
いけばなとよく似た西洋芸術にフラワーアレンジメントがある。この両者は同じ花の芸術であっても、拠って立つ考え方が違うようだ。
フラワーアレンジメントは、花が美しく見える最高の一瞬を、スナップショットとして切り取ったようなもの。瞬間の芸術とも言える。

いけばなは違う。
例えば、意図的に配置したつぼみが、いつどうやって開いていくのか、葉の色はどう変わっていくのか、その変化を見届けること。「移ろい」を愛でていく芸術である。
はかなく、もろく、だからこそ深みのある世界なのかもしれない。

未生流という流派は、「未だ生まれず」という言葉に由来している。生まれてくる前段階の花を見ることを重んじている。
「見えないものを見る」日本文化に共通するキーワードである。

「見えないものを見る」という知的営みは、深みがある一方で、伝わりにくさ、はかなさという欠点を併せ持つ。
ロジカルに伝えにくい、先入観にとらわれやすい。
日本人でさえ、日本文化の特徴は語れない。
外国人は、わずかな知識・経験のフレームに頼って理解しがちである。

だからこそ、笹岡さんのような方が大切だと思う。
暮らしの中に日本の伝統文化を埋め込んだ環境で生まれ育った。
数学者の父をもち、建築学者を志したこともあるというとびっきりの理系人間でもある。
日本文化を世界に語る、論理と表現力を持っている。
これから10年後、いや30年後、40年後が楽しみな若き華道家である。

「トレンダーズがあったから、女性にとって日本の社会はよくなった」と思われたい 経沢香保子さん

photo_instructor_659.jpgトレンダーズ社の起業と慶應MCCの開設は期せずして同じ2000年である。
売上高推移グラフを拝見すると、つい3年前まで事業規模は並んでいたようだ。いやむしろMCCの方が少しだけ大きかったかもしれない。ところがたった3年でウン倍の差がついてしまった。これもひとえに経営能力の差だと認めるしかない(MCCも少しずつ成長はしているのですが...)

トレンダーズ社を率いる経沢香保子社長は、いまや最年少上場企業女性社長だという。
全3800社の上場企業のうち女性社長は26人しかいないというからその稀少性は特筆すべきものがある。
トレンダーズの成功は、その稀少性を逆手にとったことにある。
女性の社長が少ないということは男発想の経営が行われているということ
一方、現代の消費社会の中核はF1層(20歳から34歳までの女性層)である
つまり、男発想の事業戦略と女発想の消費ニーズにギャップがある
ここにビジネスチャンスがあるはず!
それがトレンダーズ社の戦略であった

女性消費のオピニオンリーダーを組織化しようという創設当初からトレンダーズの戦略は、ソーシャルメディアというフォローウインドを見事につかまえて結実した。

女性起業家の星として、早くからカリスマ的な存在であった経沢さんだが、設立当初から上場を目指していたわけではないようだ。
ベストセラーになった著書『自分の会社をつくるということ』は、女性の新しい働き方を提示するライフスタイル提唱本であった。

トレンダーズ社の経営を「目指せ上場」モードに切り替えたきっかけは、8年前に最初のお子さんを出産されたことだったという。
難病を抱えて生まれたお子さんと向き合った経験が、「日本の女性のあり方を進化させる」ような会社にしようと決意を促すことになった。
自らの環境を前向きに捉え、そこから使命感を紡ぎ出す力が、経沢さんにはあった。
3度の出産、お子さんの介護と死別、離婚と再婚etc。それらの困難を糧に変えていける発想と思考と行動ができた、ということであろう。

経沢さんの真骨頂は、50分間とたっぷりと時間を費やした質疑応答にあったと思う。
全ての質問が想定できていたとは思わない。問われて初めて考えるような事柄もあったのではないか。それらの問いに対して、瞬時に自分の考えをまとめ、よどみなく、そして自信を持って、的確に表現できる能力は特筆ものだ。
39歳の若さながら、いい意味での「凄み」さえ感じさせた。
新世代の女性リーダーとして活躍が期待される存在である。

女性向けのソーシャルメディアマーケティングで成功したトレンダーズ社が、いま注力しているのは、女性ライフスタイル支援事業だという。
「仕事」「美」「パートナー」という現代女性の幸せの三種の神器を提供しようというサービスである。
「あれもこれも欲しい」というのが女性の本性。だから多くの女性が「仕事」「美」「パートナー」のバランスで悩む。そこにビジネスチャンスがある、ということだろうか。

「トレンダーズがあったから、女性にとって日本の社会はよくなった」と思われたい。
このビジョンを掲げる経沢さんにとって、大きなブルーオーシャンが広がっているのかもしれない。

辺境生物が教えてくれること 長沼毅さん

スティーブン・スピルバーグ監督の映画『ジュラシック・パーク』は、バイオテクノロジーを駆使して蘇らせた恐竜の楽園が制御不能に陥るというSF映画である。
映画の中に、2億年前の恐竜をどうやって甦らせたのかという謎を解説する部分がある。
恐竜が闊歩するジュラ紀に、一匹の蚊が木の樹液に絡め取られ、琥珀の中に閉じ込められてしまう。その蚊が吸っていた恐竜の血液からDNAを採取し、恐竜を再生させるというストーリーである。
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photo_instructor_662.jpg長沼毅先生の研究は、これとよく似ている(本人がそう言っている)
長沼先生によれば、琥珀が古代生物のDNAを現代に甦らせるタイムカプセルの役割を果たすというのは映画で言う通りだという。
DNAは生物よりもはるかに長い期間にわたって保存される。
湿った状態で室温保管でも千年から万年単位
乾燥状態にして低温保存すれば百万年単位
冷凍状態で保存すれば千万年単位の寿命
生物としての寿命は短いが、生命の原型というのはなかなかしぶとい。

タイムカプセルの役割を果たすのは琥珀だけではないという。
南極の氷床、シベリアやグリーンランドの永久凍土、砂漠にある岩塩なども同じ役割を果たす。岩塩は億万年単位の時間を閉じ込めることができるとのこと。
琥珀の中に2億年前の恐竜のDNAが保たれるということが可能かどうかは知らないが、少なくとも、数千万年昔の古代生物のDNAが存在していてもおかしくはない。
現に長沼先生は、それを探している。恐竜ではなく微生物のDNAという違いはあるが。

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理想的な師弟関係 栄和人監督&吉田沙保里選手

photo_instructor_660.jpg夫婦であれ、コンビであれ、他人同士の「関係性」を長続きさせるには、ふたりの「相性」が重要であろう。師弟関係の場合はそれに加えて、どちらかの絶対的支配や無条件崇拝だと長続きしない。
栄和人監督・吉田沙保里選手の師弟は相性ピッタリの絶妙な関係である。その上、互いを尊重しつつ補いあう理想的なパートナーシップが感じられる。
吉田選手の生活全般の面倒をみるという監督の奥様が加わったトライアングルになると信頼&協働関係はよい強固になるに違いない。

ふたりはよく似ている。
根っからの陽性人間である。笑う時は爆笑、泣くときは号泣、目立つことが大好き、気のおもむくままに行動するが、周囲がその天衣無縫さを受け止めてくれる人間的魅力を持つ。
一般論からいえば、そういうタイプの人は、「攻めには強いが守りに弱い」「精神的プレッシャーをものともしないが、油断という大敵を抱えがち」である。
吉田沙保里選手にもそういう面があるのかもしれない。

ふたりの違いがあるとすれば、栄監督には「いちばん大事な試合に負けた」という、貴重な挫折経験があることであろう。
その経験が、吉田選手の持つ「強者特有の脆弱性」を補完しているように思う。
吉田さんの明るさ、真っ直ぐさを誰よりも愛しつつも、あえて悲観的に、用心深く、耳の痛いことを言う役割を引き受ける。

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