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誰もがブラックスボックスを抱えている 角田光代さん

今期の夕学最終回を飾る対談。
直木賞作家で、『八日目の蟬』など話題作を出し続ける角田光代さん
マルチな分野で活躍するプロデューサーのおちまさとさん
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「話すのが得意ではないので、どなたかとの対談であれば...」という角田さんの返事を受けて、熱烈な角田ファンであることを公言していたおちさんに即依頼。トントン拍子で実現した企画であった。

かつてのおちさんは、入念な作り込みをし、展開ストーリーを設計するタイプであった。
いまは、あえて作り込まずに、その場の力を掴み取って、自由に展開しようとする。
今回も、頭の中でテンコ盛にしてある「聞きたい事」の中から、「いま、この時に、何を聞きたいと思うのか」という衝動に身を任せて質問を選びとろうというスタンスで臨んでいた様子であった。

話は、自由気ままに寄り道をしながら、笑いを交えて「小説を書くこと、読むこと」というテーマに収斂していった。
このブログに書きたいこともいくつかあるが、印象に残ったことをひとつだけ。

人間の不可思議性、多義性についてである。

「私は、いい人なんですね。電車でも自然と席を譲ったりする。でも、譲ったあとに、窓の外を見ながらとんでもない悪いこと考えたりもする。悪い人でもあるんです」

角田さんは、そう言う。
人間というのは、誰もが、そういう不可思議性、多義性を抱えているものだろう。
角田さんは、それを「ブラックスボックス」と呼び、小説のモチーフになるという。

私たちは、「ホニャララの本質」とか、「ナントカらしさ」という表現を使いがちである。
そこには、無意識のうちに、表面の化粧や衣装を取り除いていけば、芯の部分にひとつの真実がある、という幻想がある。これも世にいう「正解主義」なのかもしれない。
世の中のなぞには、必ず正解があって、解に行き着く最短ルートを知る者が最後に勝つ、という、アレである。

人間は、所詮タマネギでしかない。
何枚皮を剥いたところでタマネギに変わりはない。剥ききって何もなくなったとしても、ブラックスボックスはいつまでも残りつづける。
人間とは、そういう不可思議で多義的なものである。

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東アジア・モデルの希望と呪い  與那覇潤さん

「はたして民主化とはなんでありましょうか!」
「私は、民意を政治に反映させること、このように思うのであります!」

人差し指を立てた右手を打ち振るいながら、声高らかに話す姿は、自由民権運動の弁士を彷彿させるようでエネルギッシュであった。

photo_instructor_653.jpg弱冠33歳の歴史学者 與那覇潤氏 が書いた『中国化する日本』という本は、だれが見ても挑発的なタイトルである。事実、出版社側には「このタイトルは不快な気持ちを喚起するので止めた方がいい」という意見が根強くあったという。與那覇氏は、自身でつけたこのタイトルをあえて押し切った。
中身を読めば中国礼賛論、脅威論ではなく、中国の実像を冷徹に見通した東アジア歴史観だということがわかる。中国の論理もわかるし、課題も見えてくる。という強い信念があったからではないか。

與那覇氏がいう「中国化」というのは、「社会のあり方が中国社会のあり方に似てくること」を意味するが、その「中国社会のあり方」はいまから千年前 宋の時代に形作られたものだ、という。
つまり、日本は、というよりも東アジア全体が、ひょっとすると世界全体が、千年前に形成された中国社会のあり方に似てくるのではないか、という論旨である。

近代以降、人類の進歩は「文明の進んだ西洋のようになること」と同義とされていた。近代化とは西洋化であった。
それは簡略化すれば、「議会制民主主義による国民主権国家体制」であり「自由で公正な資本主義体制」である。
中国はこの要件を満たしていない。特に前者はその萌芽さえ見えない。にもかかわらず、2016年にはGDP世界一の大国になることが予想されている。

ひょっとして中国は、従前われわれが持ち得なかった新たな文明のあり方を、無自覚的に目指しているのではないか、というものだ。

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コンセプトが変われば会社が変わる 谷田大輔さん

photo_instructor_635.jpg1985年谷田大輔氏が社長を引き継いだ時、タニタは大手メーカーのOEM生産を請け負うアッセンブリメーカーであった。
電気事業部ではトースターを、ライター事業部では卓上ライターやキャンドルライトを、
秤(はかり)事業部では体重計やクッキングスケールを作っていたという。

素人が考えてもトースターやライターに明るい展望があったとは思えない。事実赤字状態だったという。
谷田氏は比較的順調だった秤事業への絞り込みを行い、トースターやライターは撤退した。いずれも戦後間もない頃からタニタの経営を支えてきた歴史ある事業で、役員の反発は大きかった。
秤(はかり)の中でも、体重計にフォーカスし、板橋にあった製造工場は秋田に移転した。これにともない工場社員全員が退職する事態となった。

これまでのしがらみを取り除き、血を流した改革によって、「体重計のタニタ」というコンセプトは確立した。
同じ頃、アメリカに進出、不良品を出し、返品の山に苦しみながらも、谷田氏は中古車を駆って全米を見て回った。さまざまな会社を訪れて気づいたのは、事業とは、商品そのものではなく、消費者のどんなニーズに応えるのかということだった。

タニタは、「体重計ビジネス」から「体重ビジネス」へとコンセプトを変えた。
谷田氏ははっきりと言わなかったが、「体重を測定する計器をつくること」を事業とするのではなく、「体重を維持・管理するための習慣をサポートすること」を事業にするということではなかったか。
体脂肪計や体組成計機能付きの体重計に絞り込んで業績を伸ばすと同時に、体重科学研究所やベストウェイトセンターなどの関連施設を設置した。

体重科学研究所では、体重と体脂肪についての情報を集め、研究を統合し、肥満解消と健康を科学すると同時に、積極的に研究成果を学会発表し、体重管理や脂肪のコントロールのインフォメーションを広く社会に提供している。
講演の冒頭で谷田氏が話してくれた健康と体重にまつわる話が随分と面白かったのは、この研究所の知見が生きているからであろう。

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経営の大局をつかむ  山根節さん

photo_instructor_631.jpg監査法人の会計士7年、経営コンサルティング会社の経営者12年、博士号の取得を挟んでビジネススクールの教員18年。山根節先生は、MBAの教授として理想的なキャリアを積んできた人である。
そんな山根先生が提唱する「ビジネスリーダーに必要な能力」は
情報リテラシー会計リテラシー
の二つである。

1)情報リテラシー
情報を知識として捉えるのではなく、変化の兆候を示すサインとして認識すること。
鋭敏な現場感覚で本質を掴み、今後の方向性を決めて、発信すること。
昨日の佐々木毅先生の言葉を借りれば「見立て」能力になるのかもしれない。

情報はスナップ写真でしかない。
動きの一瞬をとらえた写像なので、1枚見ただけでは本質はわからない。
しかし、何枚かをつなげて見ることで、他の写真と比較して見ることで、表面からは見えない動きを推察することができるかもしれない。
それが情報リテラシーであろう。
残念なことに、山根先生は、日本の大企業トップは情報リテラシーが弱いという認識を抱いているようだ。

2)会計リテラシー
会計数字を知識として捉えるのではなく、「何で儲けているのか、何にお金を使おうとしているのか」という企業戦略を読み解くカギとして使うこと。
山根先生は「健全なドンブリ勘定」という独特の表現を使うこともある。

会計数字は企業経営の結果でしかないので、数字から企業活動のプロセスや経営の意図はわからない。
しかし、他企業・産業と鳥瞰的に比較し、経年の変化を分析することで、その結果を生み出したプロセスや経営者の意図を推察することができる。
それが会計リテラシーである。

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「見立て」という学び  佐々木毅さん

私はどちらかといえば理屈っぽい人間である。
原理とか理念など抽象的な事柄をしつこく考え、議論するのが好きなタイプである。
MCCの創設に参画して12年、責任者という立場になって10年目を迎えようという今になってもなお、「大人の学びとは何か」などという青臭いテーマを考えてみたりする。

photo_instructor_652.jpgのサムネール画像昨年の春、いつもの書店で『学ぶとはどういうことか』というタイトルの本を目にした。著者が高名な政治学者で、東大総長を務めた佐々木毅氏とあって、読まずにはいられない。
エッセイと言いながらも少し高尚な文体であったが、こころ惹かれる部分も多く、「この部分をもう少し掘り下げて聴いてみたい」という思いが実現して夕学にご登壇いただくことになった。


佐々木先生の「学び論」は大きく3つに分けられたように思う。
・「学び」という言葉の持つ多義的な意味を整理・分析した部分
・人はいったい何を「学ぶ」のかを整理し、あるべき学びの姿を提示した部分
・これからの時代に求められる新たな「学び」を示唆してくれた部分
の三つである。

・「学び」という言葉の持つ多義的な意味 = 四つの学び
学びは次の四段階に分けることができるという。
1)勉強すること
答えがある、手本があることに習熟すること。
高等学校までの教育はこの部分を請け負う

2)理解すること
答えがでるプロセスやロジックを知り、なるほどと納得すること。
大学の学びとはこれ。

ここまでは学校が舞台となる。この二つの「学び」を修了することをもって社会に出るが、学んだことがそのまま活かせるとは限らない。学びの効果性は時代に依存する。想定外変化の時代には、投資対効果の歩留まりが下がり続ける。

3)疑うこと
変化の激しい時代には、否応なしに、これまでの学びを疑うことが余儀なくされる。アンラーニングと呼ばれる学びのあり方である。

4)乗り越えること
疑うばかりでは前に進めない。自らの意思で山に登り、峠を越えなければならない。これもまた学びである。

後半二つの期間と長さが広がったのが現代の特徴になる。

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「動員の革命」をどう使うのか  津田大介さん

「門閥制度は親の仇でござる」

自伝文学の傑作と言われる『福翁自伝』の中でも、とりわけ有名な一節である。
下級武士の子として生まれた福澤にとって、「門閥」は自分の可能性に頑強なタガをはめる呪縛でしかなかった。

門閥がなくなってからも、やりたいことがあり、やり遂げる能力と意志がある人の眼前に立ち塞がる呪いの壁はいくつもあった。
学歴、金銭、地域性、時代、国籍などなど、さまざまな壁に阻まれて、陽の目を見ることなく消えっていった多くの夢・希望があったに違いない。

ネット社会、とりわけ2009年以降に生まれたソーシャルメディアの登場は、これらのハードルのいくつかを、一気に下げてくれたことは間違いない

自分の歌や演奏を多くに人に見てもらいたい人は動画投稿サイトを使えば、才能とパフォーマンス次第で世界中の注目を集めることができる。

大手新聞社の記者や高名なジャーナリストでなくとも、ブログを通して、事件や政策に『対する見解を公知することができる。

政治家や知識人でなくとも、twitterやfacebookを駆使して、災害や事故で苦しんでいる人々への支援やボランティア参加を組織したり、呼びかけたりすることができる。

やりたいことがあり、やり遂げる能力と意志があれば、個人の力で多くのことが実現できる。

ソーシャルメディアが果たした社会的な役割をポジティブに捉えれば、そういうことになるだろう。
津田大介氏は、その可能性にいち早く気づき、自ら実践しつつ、啓蒙してきた先駆者のひとりである。
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津田氏の父親は、社会党代議士高沢寅男氏の私設秘書を務めていたという。学生運動を経て、政治と労働運動に生涯を費やしてきた。幼い頃ころから、自宅に多くの「活動家」たちが出入りする環境の中で、津田少年は育った。

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