« 2012年11月 | メイン | 2013年1月 »

人生を引き受けるということ  樹木希林さん

photo_instructor_628.jpg樹木希林さんは、5歳違いの実妹で、琵琶奏者の荒井姿水さんと供に登壇した。
薩摩琵琶の音色に合わせて、お気に入りの「詩」を朗読することから、この日の講演は始まった。

「最上のわざ」(Hermann Heuvers)
http://home.interlink.or.jp/~suno/yoshi/poetry/p_thebestact.htm

最近公開の映画『ツナグ』の中で、樹木希林さんは、監督にお願いして、自らこの詩を紹介するシーンを入れたのだという。

この世の最上のわざとは何か。
それは、老いていく自分をありのままに受け入れて、従順に、静謐な心で過ごすことだ。

講演の演題「老いの重荷は神の賜物」はこの詩の一節に由来している。
樹木希林さんは、文学座の大先輩長岡輝子さんに教えてもらったこの詩を大切にしてきたという。

11月に夕学に登壇された南直哉師は言った。
人間は、その宿命として「存在することの不安」を抱えている。
人間は生まれてきた理由など知らない。なぜいま、ここで生きているのか、誰もわからない。「存在することの不安」を抱え続けて生きているのが人間である。

しかしながら、元気な時、若い時にはそれに気づかない。
病や老いを自覚すると、不安の重さにはじめて気づくものかもしれない。

樹木希林さんも、何度も病気を繰り返した。
間を置くことなく映画やテレビ・CMに出演し、強烈な存在感を発揮してきたので気づかなかったが、この10年程は病気の連続だったようだ。
肺炎を繰り返して三度入院、網膜剥離で左目を失明、乳がんで切除をしたが、全身に転移・再発を繰り返した。
その身体で、よくあれだけ映画やテレビに出続けられたのか、不思議に思うほどだ。

続きを読む "人生を引き受けるということ  樹木希林さん"

2030年、あるいは2050年の世界  船橋洋一さん

photo_instructor_650.jpg2012年は世界主要国で指導者を決める選挙の年であった。
ロシア、フランス、アメリカ、中国、そして来週は韓国で新しい指導者が決まる。
新体制によって世界はどう変わり、日本はどうなるのか。
それを知りたいのは素朴な欲求ではあるが、その欲求に応える企画は誰もが考えそうなことでもある。

そんな短期的な予測は、他にいくらでもある、もっと大きなスパンで世界の変化を考えよう。
口には出さないが、日本を代表するジャーナリスト船橋洋一さんの思いはそういうことではなかったか。

2030年、或いは2050年の世界はどう変わるのか。
長期的な波動で世界を捉えてみよう。
きょうの夕学のコンセプトは、こういうことであった。

参考情報として、船橋さんが紹介してくれた長期予測は三つ。

・『2050年の世界 英『エコノミスト』誌は予測する』(文藝春秋社)

・米中央情報局(CIA)などで組織する国家情報会議(NIC)がまとめた「2030年の世界情勢を展望する報告書」
・船橋さんの著書『新世界 国々の興亡』(朝日新聞社)

2030年、或いは2050年の世界を予測するに際して、各書に共通する切り口は同じでる。

続きを読む "2030年、あるいは2050年の世界  船橋洋一さん"

西郷隆盛と明治維新  坂野潤治さん

untitled.bmp坂野潤治先生の『日本近代史』は、新書ながらも400頁の大著にして、4万5千部を売り上げたという。個人的には、2012年新書大賞の最有力候補だと確信している。

坂野先生が、夕学登壇にあたってつけた講演タイトルは、「『日本近代史』刊行後に考えたこと」 これは8月に決定した案だが、いま最新のタイトルをつけるとした「西郷隆盛と明治維新」であったであろう。
ちなみに、来春、連休前には同名の本が刊行される予定だという。
江戸後期から西南戦争後までの半世紀を、西郷を主役に見据えた本になるとのこと。
慶應MCCでは、5年ほど前に半藤一利さんを講師に迎えて、この時代を学ぶ連続講座を開催した。こちらの拙文を流し読みいただければ、この時代の全体像と流れが一望できると思う、


さて、坂野先生講演は密度が濃すぎて、詳細を正確に再現する自信がないので、連休前の刊行予定の坂野さんの新著を楽しみに待ってもらうこととして、ここでは、坂野さんが語る西郷像をまとめてみたい。

続きを読む "西郷隆盛と明治維新  坂野潤治さん"

「任せて文句をたれる」ではなく「引き受けて考える」  宮台真司さん

photo_instructor_648.jpg
講演終了後、現下の総選挙について宮台先生と意見を交わす時間があった。

「選択肢だけは多いが、入れるべき政党がみつからない」

それが、一致した意見であった。
この現象も、日本の民主主義が上手く行っていない証左と言えるだろう。

では、なぜ民主主義は上手く行かないのか。
宮台先生によれば、民主主義の機能不全は、実は日本のみならず、世界の先進国で起きている現象だという。
原因のひとつはグローバル化にある。
グローバル化への直裁的な対処と民主制の両立が困難であるからだ。

グローバル化は、新興国の貧困を解決するためには必要で不可避な道である。しかしながら一方で、先進国の中間層を没落させ、格差社会を産みだし、民衆の不安と鬱屈を臨界点にまで高めることも避けられない。
欧州でもアメリカでも、質は異なれども、ポピュリズムや原理主義が台頭し、民主主義の機能不全が起きている。

では、どうすれば民主主義は上手く行くのか。
宮台先生は、丸山真男の理論フレームワークを用いて解説してくれた。

民主主義を支えるのは自立した個人の存在である。
自立した個人を産みだし、支えるのは自立した共同体しかない。
つまり、「自立した共同体」→「自立した個人」→「妥当な民主制」という矢印が成り立つ。

民主主義の機能不全は、この逆の力学が駆動している状態である。
共同体が国家や権力に対して依存的で自立していない。
依存的な共同体は依存的な個人を拡大生産する。
依存的な個人が形成する民主主義はデタラメにならざるをえない。
「依存的な共同体」→「依存的な個人」→「デタラメな民主制」
こういう図式である。

つまり、民主主義が機能するかどうかは、なにはともあれ「自立的な共同体」の樹立にかかっている

続きを読む "「任せて文句をたれる」ではなく「引き受けて考える」  宮台真司さん"

死者は、その人を強く思う人がいることによって実在する  南直哉さん

「愛する人に会いたい。たとえその人が死んだ後でも...」

photo_instructor_637.jpgのサムネール画像この感覚は、洋の東西、時代の今昔を問わず、人間心理の本能のようなものらしい。
『古事記』のイザナギ・イザナミ神話では、子産みの只中に死んだ妻(イザナミ)を愛慕する夫(イザナギ)が黄泉の国を訪ねる。
ギリシャ神話のオルペウスは、毒蛇に噛まれて夭逝した花嫁エウリデュケを慕って、新郎のオルペウスが冥府の門を叩く物語である。

死者と出合う場として、日本で最も有名な場所、それが恐山であろう。

恐山院代を務める南直哉師によれば、東日本大震災の被災地(北は八戸、南は北茨城に至る一帯)は、恐山信仰の一大信者在住地であるという。
昨年は、地震の記憶も醒めやらぬ5月の開山と同時に、被災地から信者がやってきた。
夏には被災地ナンバーの車で、麓の駐車場は一杯になった。

彼らが語る話は、凄まじかったという。
多くの被災者は、眼前で家族が流されていくのを呆然と見つめるしかなかった。
「何で自分だけが生き残ってしまったのか」
誰もがこの思いを抱えている。

3.11の体験は、南直哉さんに、否、多くの日本人に「決定的な問い」を投げ掛けた。

「なぜ、あちら(被災地)はあれほど多くの方が亡くなり、こちら(自分)は無事なのか」

自分が無事でいること、生きていることに何の根拠もない。我々の生きている「生の土台」は、かくも脆く、はかないものであることを自覚せざるをえない。
自分もいつ同じような目にあうのかわからない感覚。
これを仏教は「無常」と呼んできた。

「自分もいつ同じような目にあうのかわからない」という感覚を共有できるのはなぜか。
人間は、感情・思考の根底で、このことを「知っていた」「当たり前のこと」として受け入れてきたからではないか。
南さんは、そう考える。

言い換えるならば、
「存在することの不安」
を知っていたからである。

人間は生まれてきた理由など知らない。なぜいま、ここで生きているのか、誰もわからない。「存在することの不安」を抱え続けて生きているのが人間である。

一方で、人間は意味や理由を欲しがる。それに応える宗教家、カウンセラー、商売とする人もいるのも事実である。

「私は違う」

南さんは厳然として言い放つ。

続きを読む "死者は、その人を強く思う人がいることによって実在する  南直哉さん"